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2024/4/10:フリーペーパーvol.97発刊!

中学2年生の独り暮らし【後編】

一人暮らしと独り暮らしの違い

ひとりの漢字表記「一人」は、人数が1であり一名であることを表す。「独り」は、孤独の意味以外にも、単独・独立・独力・独身など様々な意味で使われる。「一人暮らし」と書けば、家にいる人数が1であることを表し、「家に独り」と書けば、その人以外に誰もいなくて寂しい印象を与える。英語にするとHOME ALONE。日本語は発音が同じ単語が多いので時には再認識したほうがいいのではないだろうか。では、上記の違いを踏まえて後編を綴っていきます。以降は一人称の語り調になります。ご理解いただければ幸いです。

なお、前編をご覧になっていない場合はこちらのリンクからご覧いただけます。

中学2年生の独り暮らし【前編】

家族と友達

僕は長男、長女は1才下の異父兄妹。そして10才離れたDV養父の実子兄妹、計4人兄妹。母はフィリピン×スペインのハーフでとても感情が激しく野心が旺盛な人。父は…一人ではなく戸籍上では5人いた。そのうちの一人が狡猾で暴君な養父だ。DV養父は私と1才下の妹を混血児というだけで虐待していた。僕は妹を守るために一身にその暴力を受けてきた。それからまもなく10才離れた兄妹たちの誕生によりDV養父は実子を愛して養子は差別する愛情格差の虐待に変わった。兄妹たちが楽しげにしているのを見守りながら、ひたすら独りで虐待に耐えていた。そのようにして私は家族の中でいつも孤独を感じていた。だから、中学2年生の独り暮らしなんて余裕だろうし、むしろ解放感すら感じた。これから綴る出来事が起こるまでは。

陰鬱な境遇ではあったが、友達はいた。ほとんどが喧嘩したうえで和解して友達になった。健全とはいえないがお互いに嫌なところをぶつけあったうえで成立した友人関係ともいえる。そんな友達が私が一人暮らしをしていることを知り5人ほどが遊びにきた。斜めになってる家をおもしろがり、親の前だと観れない番組を観たり、エアガンで撃ち合い壁中が穴だらけ、他にも色々あるのだが中学2年生ならではの無邪気でカオスな時間を楽しんでいた。そして、夕暮れになり皆それぞれ自分の家に帰っていく。そこで我に返り現実に気がつく。友達が一人一人帰っていくのを見送りながら自分が独りになっていく虚しさを感じていた。
もう夏休み…皆それぞれ旅行や海やBBQを家族で楽しむと話していた。自分はどうなる?中学2年生の夏休みはこのまま独りで過ごすんだろうか?悶々としながら寂しさを覚えた。

この対比は今後の人生でかなり影響した。社会性というボタンをかけ違えたまま現在まで生きてきた僕は表現者だ。

飢餓

空腹だ。自炊できない、そもそも食費など渡されていない。自宅に電話したら意地の悪い養父がでれば無言のまま切られる。当時の親はパチンコにハマっていてその店というのも私が独り暮らしをしている家の近くにあったので、勝ち負けや気分で食料をついでに持ってくる感じだった。ある日、1〜2週間ほど食料が届かず連絡も途絶えた時があった。やむを得ず、パチンコ店に入って親を探すが見つからない。コンビニやスーパーが近くにあったが、お金がないので空腹のまま眺めるだけ。万引きも脳裏をよぎったが養父から常々『泥棒の国のガキ』と侮辱されていたので、道徳心というより執念強い意地によって歯を食い縛り踏みとどまった。

やがて栄養失調に陥り、成長曲線はそこで止まる。そして太陽を浴びるとなぜか左の眼球が刺されたような偏頭痛が始まる。それから生涯、慢性的に腹部や左足など場所を変えて左半身のみに異常が起きる持病になってしまう。原因は不明だが明らかにその頃がキッカケだ。ストレスによるものか、その苦痛が拍車となり孤独感や希死念慮といった深淵を味わった。
思春期の飢餓ほど残酷なことはない。物理的にも心理的にも愛にも飢える子供は世界中にいるが僕はそのひとりだ。

そして音信不通だった理由は、どうやら家族旅行に行っていたようで、どうやらとても楽しんでいたらしい。

『。』

救い

『ごめんください』と誰かが訪ねてきた。相手は中年の大人の男女3人。スライド式の半透明ガラスのドアだったので、相手の姿と自分の姿もうっすら見える。なので居留守できず、とりあえず対応した。聖書を携えた、とある宗教勧誘だった。痩せこけた僕をみて、お菓子を与えてくれた。そして聖書について語り始めた。既にカトリック教徒なのだが、あえて伏せた。人との関わりに飢えていたのだろう。聖書について解釈は違うが、とにかく聞いた。愛や罪と罰そして主の救いなど、満身創痍の中学2年生にどれほど効果的だっただろうか。

完全にマインドコントロールされていた。訪問者も3人から5人と増えていたが、それを不審に思うどころか僕はむしろ望んでいた。しばらくすると『聖域へ参りましょう』と言い、とある支部に連れていかれた。そこで契りを交わしたら親族もその門徒となり抜けられないこと、そして献金(最低でも10万)についてなど、唐突に契約事項としての説明が始まる。

『僕は未成年なので親に確認してみます』わりと冷静に返答し、すぐにその場を去った。お金の話になる時の大人の汚さを、皮肉なことに親を通してみてきたことで身に沁みて抗体ができていたためだ。
完全に醒めてしまいマインドコントロールは解かれたが、しばらくするとまた訪問がきた。
『開けてください』とガラス越しに大人たちの影が多数ひしめいていたのがみえていた。
流石に恐怖を感じてしまい警察に通報すると一斉に退散して以降は二度と来なくなった。

どうやら、町内会の回覧板などで僕が独り暮らしであることを特定していたようだった。
そんな出来事があったことを親は知らない。言ってもきっと…招き入れた僕が責められる。
親が珍しく『最近どうしてた?』と聞いてきたが、僕は『なんもなかよ』と答えておいた。

 

ある日、テーブルに置いてあった食べ物が荒らされていた。もう犯人はわかっている。エアコンがなく扇風機だけでは暑かったので、縁側のふすまを開けっ放しにしていた。自分が寝ている時や不在中に犯行していて、毛が落ちている。そう、犯人は野良猫だ。前述の通り僕は飢餓だったので食べ物への怨みがある。だから捕まえようと決意した。野良猫が盗み食いをしている隙に、ふすまを一斉に閉めて封じ込める策略が成功した。

野良猫はフーッ!と威嚇しながら部屋中の隅から隅へと逃げ回り、かなり必死だった。僕はどうしようか考えた。不穏なことも一瞬頭をよぎったが、僕は猫に食べ物を与えた。なぜそうしたのか?孤独に耐えられなかったのだろう。宗教勧誘の件もあり人間不信だが…野良猫ならそれもないだろうと諦めていた。やがて猫は僕の掌から食べ物を食べていた。そして食べ物が無くなると『今日はこれだけでごめんな』と告げると外に放してあげた。

翌日「ニャー」と鳴いて縁側にちょこんと座っていた。もう警戒心が解けているようだ。『お前また食いに来たのか?』と呆れながらも、本心では野良猫の来訪をとても喜んだ。もう盗み食いすることもなく手渡しで与えていると段々と、じゃれてきてなついてきた。数週間後…姿を見せなかったがなんと仔猫を連れてきた。当時は気づいていなかったがどうやら妊娠していたらしい…だから食べ物が必要だったのか。僕はそうとは知らずに命を宿した母子を救ってしまったらしい。母猫は母乳をあげる姿を僕にみせてくれていた。

きっと彼女なりの感謝の証だったんだろうか?中学2年生なので、そこまで深く考えてなかった。しかしこの経験で僕の人生において猫は強烈なアイコンとなる。猫は僕に尊さを授けてくれた。5年後、エルモという運命の猫を飼い始めるのだが…それはまた別の話にしておこう。

夏の終わり

中学2年生の独り暮らしに慣れた頃…気まぐれな親により突然、終わりがやってきた。理由というのが、さすがに義務教育上その状況がマズいことをPTAに指摘されたこと?
否、そんなことよりゲストハウスとして金儲けのために利用したい客が現れたことだ。大人たちのあまりにも身勝手な事情とタイミングにより、辛くて奇妙な体験を終えた。
自宅に戻ってもしばらく虚無状態というのか、他の兄妹より浮世離れしていたと思う。

クーラーが効いていても、その恩恵を感じることもなく涼しい秋が訪れる虚しさを感じ、蝉の鳴き声は止み、蝉の亡骸があちこちに落ちている。夏と共になにかが終わったのだ。アレはなんだったんだろうか?と部屋にこもってボーっと追憶する日々を過ごしていた。様々なストレスやモラルが凝縮して中学2年生で体験したのだろうと現在は解釈してる。もともと養父からの虐待が発端だが、人生における光と闇のテーマを与えられたようだ。

しかし、今こうして綴っていきながら現代の状況を鑑みると意味があったようにも感じる。

人の意志

以上、体験談として綴りましたので文調を戻してここからは締めのコメントとなります。更に細かい事情はありますが大まかに綴ったものでこちらの記事とさせていただきました。お気づきかもしれませんが一人称を私から僕に変えています。前編と後編を区別しつつも思い出しながら深く没入している心情を反映させるためにあえてそうしたかったのです。前編でもchatGPTに触れましたが情緒までデータ化されるとやはり虚しいものがあります。

もしかしたら近々テクノロジーにより人の記憶すらデータ化して保存できるかもしません。それが実現したら飛躍的に便利となるでしょう。ただ、きっと大事なことも見失います。その肌、その五感、その瞬間に感じたこともすべて加工されてしまうような気がします。だからって『AI反対!』なんて訴えても無意味ですし、時代がくれば常識も変わります。なので…せめて自分の記憶を自分の手で打てることを活かす機会にさせていただきました。

といいますのも、人間の自己啓発には限界があることを私は通過儀礼として悟っています。
そして私のこういったアイデンティが障害なのかをテーマとして考えてみることも人間にしかできません。
ここまでの話の流れを支離滅裂かどうかを判断するのも人として捉え方の自由があります。

実はそれが本当に伝えたかったことです。私は専門家でもないので、なにか知識や根拠などを示す術はないですが、私の記憶であれば示すことができます。
きっとこれから難しいテーマが湧いてくる時代ですが…どうか考えることを放棄しないように。

Memory with a lock over it…

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