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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

涙なんて、もう要らない。求む!「当たり前」な障害者像

障害者を普通に扱った作品はいつ生まれるの!?

平成が終わり、令和という新しい時代が始まりました。
そんな中、わたしは どうしても伝えたいことがあります。
「バリアフリーだ!個性だ!と叫ばれているこの日本で、障害者を普通に扱った作品はいつ生まれるの!?」

いやいやいや!どういうこと?
そう思った、皆さん。ちょっとドラマやマンガの世界を思い出していただきたい。
障害者を扱った作品は数あれど、お涙頂戴感動ストーリー以外のものって、すぐに頭に浮かびますか?意外と、なかなか出てこないものでは?
もっと、感動!前向き!努力!以外の障害者像を描いた作品があっても良いじゃない!!
今回は、これまでと一味違った障害者が主役の作品をご紹介します。

今の時代を映し、新しい時代をも見せる『dele

依頼者の死後に不都合なデジタル機器の情報を、内密に削除(=delete)する仕事を請け負っている、車いすの坂上 圭司(通称:佳)。
弁護士である姉の紹介から、真柴 祐太郎(通称:祐太郎)と名乗る青年と共に仕事をすることになるが…

人間の内面を描き白黒つけずにモヤッとした展開で終わったり、誰でも被害者にも加害者にもなり得たりと、まさに今の日本を描いているこのドラマ。
ミステリー風やスパイやアクションもの、オカルト調や恋愛ものと1話1話ティストが違うので、そこも楽しめます。

特に魅力的なのが、山田孝之さん演じる佳というキャラ。今まで描かれなかった、新たな障害者像を見せています。
例えば盗聴器を仕掛けるシーンでは、車いすという目線の低さを生かして立っている人には気づかれない場所に設置したり。祐太郎を介護者に見立てて、2人で堂々と敵地に乗り込んだり。
ヒーローにも悪役にも転化し「障害者」という世間の見方を上手く使っている姿に、「コレコレコレ!こういうの待ってた!」と、手を叩いて喜びました。
何より、「障害者=弱者」という今までのイメージを覆すアクションシーンは観ていてスカッとするし、格好良い!
日本で こういうドラマが作られるのは50年後ぐらいだと思っていたので、余計にそう感じます。
…まぁ、アクションシーンは下半身不随の割に全く体勢を崩さないから、どんだけ体幹鍛えてんの!と最初はツッコンじゃったけど☆

あと、車椅子ユーザーと接しないと気づかない細かなシーンの数々!さらりとドラマの随所に入れているのが、とても良いです。
ドラマだとぎこちない車いすの操作も、このドラマではとにかく自然でした。

そして、なぜ佳が車椅子を使うようになったのか。何の病気なのか。そこを描かないことで、変に同情心を持たせないのも、この作品の良さかと。
こんな風に、障害を前面に押し出すのではなく、オプションに扱った作品がもっと増えますように。

ヤンキー×恋!ありがちだからこそ新しい『ヤンキー君と白杖ガール

街を牛耳る最恐ヤンキー 黒川 森生は、ある日 盲学校高等部に通う弱視の赤座 ユキコと出会う。顔に傷があるために周囲から避けられる日々を送っていた黒川だが、ユキコだけは普通に接してくれ、恋に落ちる。必死にアプローチし、付き合いだした2人は…

ネットで発表され、人気となったこの作品。
「ヤンキーがヒロインに恋をする」「ヒロインは苦労人」というのは、もはや少女マンガの鉄板です。
けれど、ヒロインであるユキコが障害者であり、更には世間ではあまり知られていない盲学校という場所を描いていることは、今までに無かった設定ではないかと。
このマンガの魅力。それは何より、少女マンガと障害者あるあるの絶妙なバランス!
例えば、黒川がレンタルビデオ店に行って、その店がセルフレジだったシーン。そこで、コレでは彼女が借りられないことに気づきます。
よくある少女マンガだったら「ごめんね、ヒラナリ。わたしはセルフレジも使えない女…。やっぱりレイワと幸せになって。」と、ヒロイン目線で涙涙の展開に走りそうなもの。
けれど、それに気づくのが当事者ではない健常者で、かつギャグテンポで描くことによって、読者自身も自然に「そういえば!」と気づくことができます。
他にも弱視の視点をサラリとマンガで描かれており、今まで遠くに感じていた視覚障害者の世界を身近に感じることができます。

障害者あるあるを描くと、どうしても自傷気味に走ってしまったり、作者がそう思っていなくても読む人によって大きく受け取られてしまうことがあります。
特に小さなことでも炎上しやすい日本で、こういう風にサラリと、かつコメディに描くのはかなりの勇気が必要なのではないでしょうか。
“マンガ”という媒体だからこそ描くことができ、伝えられる。
更に、このマンガがネットでヒットしたことに、ユニバーサル社会の新しい可能性を感じます。

平成を代表する少女マンガ『フルーツバスケット

天涯孤独でテント暮らしをしていた本田 透は、あることがきっかけでクラスメイトである草摩 由希の家に居候することになる。実は、草摩家は十二支の呪いに縛られた一族だった…。

最初に言っておきます。このマンガ、障害者は出てきません!
じゃあ、なぜ紹介したのか?
時代が変わった今だからこそ、読んでいただきたい作品だからです。

連載終了が10年前(!)の作品ですが、最近では本編から十数年後を描いたアナザーストーリーも発表され、春からはアニメ化もされています。
全世界で累計発行部数3000万部も突破し、マンガ好きなら知らない人はいない作品なのではないでしょうか。

なぜ、こうも人気なのか。
それは、魅力的なキャラクターと丁寧な話作りによるものだと思います。
十二支の呪いとは、「異性に抱きつかれると動物に変身してしまう」こと。現実世界に生きる自分たちはあまりピンと来ません。
けれど、十二支以外の猫に憑かれた夾という存在。彼は、十二支にとっても異質であり、周りから距離を取られています。
家族や仲間にすら認められなず、憧れ、嫉み、憎しむ。
登場人物の性別、性格によって様々な悩みを持った彼らが、人の輪の中で生きていくこと。
それはある意味、今の社会で生きている自分たち自身であり、マイノリティーを抱えた人たちにも通じるものがあります。
心の闇も結局は自分自身から生み出されたものであり、その心を癒やすのは他者との関わりによるものが大きい。
もがき苦しむ日々を過ごすなか、主人公である透と関わることで少しずつ自分の足で立つことができ、自立を遂げる。物語は、そんな彼らの姿を丁寧に丁寧に描いています。
彼らだけでなく、ひたすら優しく、お利口さんである透が少しずつ人間的に成長していく姿も、見ていて抱きしめたくなります。

十二支というだけあって、出てくるキャラクターは多いです。だからこそキャラクターによって共感したり、理解できなかったり。読む時の心情や年代によってキャラへの印象も変わるので、何度読んでも新たな発見があります。
そして、登場人物らのセリフ、モノローグと、とにかく作者の紡ぐ言葉の強さ、優しさ、美しさ。キャラへの言葉であっても、ときに読んでいる側に向けての叱咤激励に感じることが多々あります。
個人的には、10代の内に出会って欲しい。そうして、20代30代と年を重ねる度に読み直して欲しい作品です。

 

他にも、フランスでベストセラーとなり話題となった『見えない違い—私はアスペルガー』、現在ドラマが放送中の『パーフェクトワールド』、障害者の性を扱った『パーフェクト・レボリューション』と、一味違った障害者を描いた作品はあります。

 

個人的に、障害者が出てくる作品を描く場合、主人公枠じゃなくて良いんです。
例えば学園モノだったら、廊下の端で同級生と戯れている姿があったり。
ゴジラなどが襲ってきた時に、逃げ惑うモブのシーンに車椅子や白杖をついた人がいたって良い。
ハンディキャップを背負った人々が普通に生活している。それが作品の中でも当たり前の世界になって欲しいんです。(ゴジラに襲われるのは勘弁だけど)
令和は、そんな作品が生まれる時代になれたらと願います。

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