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2024/11/10:フリーペーパーvol.104発刊!

「障害のある入学希望者」からの大学入試レポート

出願用紙の片隅に空いた障害者専用記入欄

私が大学に入学したのが平成3年4月。入試は各大学の実施要項にのっとり行われました。当時は、希望する大学宛に切手を同封した封書を郵送し、希望者各自で募集要項の冊子を請求していました。現在のように、オンラインでフォームに入力することで、受験申し込み手続きが完了するものではありません。

障害者の大学入学

障害者への募集も、現在ではまるでこれ見よがしのように積極的に行なわれています。障害者の大学進学についてはむしろ奨励するぐらいの勢いです。しかし、今からおよそ30年前の入学出願用紙には、書面の片隅、下の方に、まるで学生のなかの例外扱いでもあるかのように、障害者が障害内容を記入し、医師の意見書を添えるよう指示された空欄が設けられていました。

障害者の安全とは閉じ込めること?

特に精神障害に関しては、医師による診断内容によっては、大学がその障害のある入学希望者の希望を制限することさえ許されていたはずです。たとえば「通勤(通学)に特別な補助が必要な者を除く」といった表現は、先に起こった中央省庁による障害者雇用率水増し問題からも、有名になった言い回しです。すべては「障害者の安全を確保するため」という名目のもとに行なわれていた、大学側の手間省きだったのかもしれません。

大学入試の別の側面

私自身は、自分の精神疾患の進行にしたがい、高校を中退し入院治療に専念せざるを得ない状況に追い込まれていました。しかし、自分には絶対に大学で学びたいことがあり、当時の大学入学資格検定(現在の高等学校卒業程度認定試験)を取得し、大学に出願しました。自分は半年で中退していましたから、進学指導の教員からアドバイスを受けた経験もほとんどありません。入試を控えた当時19歳の私は、入試の制度などシステム的なことに疎く、受験を控えて学力を蓄えながらも、不安ばかりが先行していました。

大学入学における「破戒」

「4年間通して成績優秀なまま卒業してやればいい」と、今の自分なら悩むことなく覚悟を決めることもできます。でも、当時の自分は、大学で学ぶ内容が肩透かしのように簡単にこなせてしまう程度のものだということも知りません。まだ少年気分の抜けていない自分には不安のともなうことでした。

障害者が志願することの実情

私は、入試の実情に詳しい知人から「精神障害のことは書かないほうがいい」とのアドバイスを受け、障害のことは書かずに書類を作成し、応募し、受験し、合格しました。4年間の学生生活で、成績は極めて優秀だったと思います。

現在実施されている障害者への大学入試が、ダイバーシティ社会の実現や障害者差別解消法なども後押しし、以前に比べ障壁の少ないものになっているとすれば、それは望ましいことです。たとえ今から28年前の大学入試が、障害者の受け入れに関して今より少しだけ消極的だったという事実があったとしても。私たち障害者は、改善がなされている現在の制度を高く評価するべきなのでしょう。

大学が評価すべきこととは?

しかし、28年前の大学入学希望者で、精神障害を抱えた一人の少年が、当時の出願制度のもと慢性的に不安な気持ちに苛まれていたことは事実です。

問題が解決されたと思うな

そして現在の私が思うことは、改善されているはずの現在の大学入学出願制度の下にあっても、28年前に私が心のなかに封じ込めていたように、また別の項目で進学を悩んでいる進学希望者がいるかもしれないという懸念です。

見えない問題の潜在性

学力とは関係のない部分で、精神障害者をはじめすべての障害者が、障害の無い入学希望者であれば負う必要のない精神的な負担を背負わされていたように、現在は現在で同様に、健康に日常を過ごす者には見えてこない何らかの障壁が存在することに、外野の私たちが気付いていないだけなのかもしれません。

LGBT、内部障害

たとえば、日本においては比較的最近普及し始めた言葉「LGBT」について、それぞれの頭文字の意味や示す内容を、正しく理解し説明できる人はどの程度いるのでしょう?

性同一性障害を持つ人でも心労することなく「トイレ」や「更衣室」を使用できる環境が、1校の漏れもなく全国すべての大学で整備されているのか?

外見だけでは障害の分かりにくい「内部障害」を持つ人が、些細な精神的苦痛さえ感じることなく、排泄のための環境「オストメイトトイレ」を快適に利用できているのか?

問題として社会的に明るみにならなければ、目を向けられることさえ難しい問題が、今の社会にも根強く残っているはずです。

隠れた問題は山積み

アレルギーを持つ学生のために、学食は対応した食事を提供できるのか?

障害のある学生がスポーツにいそしみパラスポーツを楽しむために、学内の環境が整えられ大学の建つ地域のスポーツクラブとの連携は積極的にとられているのか?

車椅子を利用する学生が、そこを通過する度に言われなき遠回りを強いられることの無いよう、階段、スロープ、エレベーターなどのバリアフリー環境は完ぺきに整えられているのか?

発達障害を持つ人にも等しく学ぶ機会を与え、努力の反映されるべき合理的配慮のなされた講義は行われているのか?

毎年、数千、数万の学生を受け入れる大学側に、障害者受け入れに関するある1つの問題が解決したばかりだからといって、とりあえず一息つかせてもらおうなどと、甘ったれてほしくはありません。

大学は、学びを志すすべての者に学習の機会を等しく与えることができるからこその大学です。そのために必要な学費を、大学側はきちんと計算して徴収しているはずですから。

障害者として望む

19歳だった私が、慢性的に自分一人だけの心に抱え込まなければならなかったような混沌とした不安を、同じく障害を持つ現在の受験生にまで、今になってさえまだ抱え込ませるような無神経を、もうこれ以上放置したままにしてほしくはありません。

その程度の対応で障害者への配慮をとどめておきながら、利用する側である入学希望者の声を採取するわけでもなく、自分たちを「学びを志すすべての人に門戸の開かれた」大学などと、勝手に美化してほしくないのです。

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