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2024/9/10:フリーペーパーvol.102発刊!

痩せ姫のカリスマ、アシュリーに生き方の多様性を見る。

近年、医学的に見て痩せすぎている女性のことを『痩せ姫』と呼ぶ傾向がある。
痩せ姫については以前『胸も生理もいらない!?「痩せ姫」たちの生きる道と摂食障害。』という記事にて紹介をしたが、そんな痩せ姫たちの中でもカリスマであるとされる女性がいるようだ。
その女性の名前はアシュリー。

o0720074413742340182画像引用:痩せ姫の光と影

彼女については、痩せ姫という言葉の産みの親であり、著書『痩せ姫 生きづらさの果てに』を持つ、エフ=宝泉薫(えふ=ほうせん・かおる)さんも、取りあげている。

痩せ姫のカリスマが持つ悲しみ

極端に痩せ細った体型を撮影し、言葉を添えてSNSに投稿をするアシュリー。

それは激しい生きづらさを抱えながらも、私は生きているという、儚き存在証明のようにも感じる。
そんな彼女にはたくさんのファンがいて、投稿には多くのアクションが返ってくるというが、彼女の姿を見て、ネガティブなアクションを起こす人も少なくない。
投稿した写真や記事が摂食障害を助長するという考え方や、その見た目から不快感を感じるといった理由で通報を受け、SNSのアカウントは幾度も停止されているそうだ。

このように、多数派が少数派を排除しようとする動きであるとも見てとれる事態。
このことに対してアシュリーは、新たに取得したアカウントにて
「私がこの世界で生きていることは、ルール違反なのだ」とコメントしている。

私が、痩せ姫であった過去

まるで、自分の居場所を失ってしまうことを悟っているようなこの言葉。

以前の記事に詳細を書いているが、実のところ、私自身も以前は痩せ姫であった。
食事をほとんど受け付けなかったために極端な体重低下を経験し、それでも自身が低体重であることについては満足していたように思う。

現在は朝食を少し、そして昼食まではしっかりと食べるが、夕食は食欲が出ないがためにほとんど食べていない。
しかし、摂食障害であるとはいえず、体重的にも痩せ型ではあるが、痩せすぎているというわけでもない。
このように、摂食障害を体験した上で、今もその狭間にいる私としては、そうなることで食事に始まって、日常生活を侵食するほどの生きづらさを感じてしまうようになることは分かっているつもりだ。
しかしそれは本人が抱える問題で、摂食障害であり、痩せ姫であることによって、生きる場所を奪われてしまう理由にはならないはずだと思う。

異端であるとされる恐怖

痩せ姫のカリスマ、アシュリーは、自分の追い求めるカワイイを追求し、そうでありながら自分の中に抱える生きづらさと社会から受ける生きづらさの中で必死に生きている。

確かに、彼女を含む痩せ姫はその考え方、そしてルックスから見ても異端な存在であるかもしれない。
異端とは反対に『普通』という言葉が存在し、時にそれにとらわれてしまうことも多いこの社会。
しかし、普通とは、他と同じであり、変化のないことを指すが、世界には他人と同じである人は存在せず、必ず人にはその人の個性がある。
そのような矛盾に注目してみると、多数派が少数派を「異端である」とし排除しようとしてしまうことに悲しみを感じた。

痩せ姫は、自身が痩せ姫であることについて満足していたり、または、それを希求していることが多い。
だからといって私は、痩せ姫として生きることを推奨するわけではないし、否定するつもりもない。
しかし、ありのままの自分の姿で生きる自由が人にはあるのだ。
そうしてより多くの人が生き方の多様性を認めることによって、様々な形の苦しみを抱えながら生きる、アシュリーを代表とした痩せ姫たちが少しでも生きやすい社会へと変化していくことを望む。

http://best-times.jp/articles/-/3074

via:BEST-TIMES

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