「ゲームが好き」で終わらない、僕のこだわり
皆さんは、ゲームが好きですか?
僕には「ゲームが上手くなりたい」という強いこだわりがあります。
10代の頃、社会との接点が減って引きこもった時期があり、そんな中で唯一続けたことがゲームでした。その影響もあるかもしれません。
ネットで見かけた「人は10代の頃に手に入らなかったものに、一生執着する」という言葉。
これはまさに、僕自身にぴったり当てはまると思っています。
ざっくり
ゲームにしか執着できなかった理由
自分を満たせるような「楽しいこと」って、本来たくさんあるはずです。旅行、食事、人間関係…。
でも僕は、ゲームをプレイしている自分と過去の経験を比べて多分そういったものにあまり満足を感じられませんでした。
「どこかに行きたい」「何か美味しいものを食べたい」といった気持ちよりも「ゲームが上手くなりたい」という気持ちの方がずっと強く、長く続いてきました。
そんなこだわりが13年以上、今も続いています。
小学生の頃の「遊べていた記憶」と、時代の進化
僕がここまでゲームにこだわる理由には、子ども時代の記憶も関係していると思います。
小学生の頃は、友達と一緒に普通にゲームを楽しめていました。
でも、時代が進むにつれ、ゲーム機や周辺機器は複雑になり、ゲーム自体も高度な操作を求められるようになりました。
気づけば、自分だけが取り残されているような感覚を覚えるようになったんです。
ゲームが社会的に注目され、誰もが楽しめる娯楽として成長していく一方で僕はその進化から少しずつ遠ざかっていくような感覚を持ちました。
そんな中で、僕はゲームを通して、自分の身体障害と向き合うようになりました。
対戦ゲームに惹かれる理由
僕が特に好きなのは、対戦型のアクションゲームです。
成長を実感できること、そして一人一人の責任が重いところに魅力を感じます。
成長を実感する喜びは、ゲームに限らず多くの分野に共通しています。
できなかったことができるようになる。それは素直に嬉しいことです。
そして、チームプレイでも「一人ひとりの責任が平等」だと感じられる点。
これは僕にとってとても大きいです。
学生時代、体育の授業や休み時間などで強い人だけが目立つようなチームスポーツの空気が苦手でした。
パスが回ってこない、自分の存在感が薄い…。そんな悔しさもありました。
ゲームには友達だったり知り合いと遊ぶための楽しむためのツールとしても使われますが、今僕にとっては自己成長を目的にしている側面が大きいです。昔は僕も遊ぶためのツールとしてゲームをプレイしていましたが、オンラインゲームという競争社会に魅了されてからは、環境もその一つの要因ですが取り組み方や考え方も変わったと思います。
対戦ゲームでは、うまくいけば誰でも試合の主役になれる。
それが、僕にとっての希望です。
それでも「責任」は重く、時に苦しい
ただし、責任が平等であるということは、逆に「弱い=価値がない」と見なされやすい危うさもあります。
オンラインゲームでは、見ず知らずの人から心ない言葉を浴びせられることも少なくありません(実体験です)。
ですから、こうした対戦型のゲームを「やってみたい」と思う人には理解したうえで挑戦してほしいと思います。
シューティングゲームにこだわる理由
いろんなゲームジャンルを幅広くしてきましたが僕は対戦ゲームの中でも、特に「シューティングゲーム」ができるようになりたいと考えています。理由は3つあります。
- 初めて遊んだオンラインゲームがシューティングだった
- 新作が多くリリースされ続け、人気ジャンルであること
- できるようになれば、きっともっと楽しめるとわかっているから
ただ、現実には身体に障がいを持つ人間が健常者に勝つことは、そう簡単なことではありません。
いわば、パラリンピック選手がオリンピック選手に挑むようなものです。
それでも「挑戦する人たち」が世界にいる
けれど、世界には、両手がなくても足でゲームをする人や
寝たきりの状態でも口や工夫を凝らしてプレイしている人たちがいます。
僕はそうした人たちと直接の関わりはありませんが、ネットを通じてその存在を知りました。
彼ら彼女らの姿勢に、何度も勇気づけられました。
だからこそ、僕も自分なりに工夫し、努力し続けたいと思っています。
そして、いつかその努力が報われる日が来ると信じて、これからもゲームに向き合っていきます。
最後に
障がいがあっても、ゲームで自分を表現したい。
自分なりのやり方で楽しみ、挑戦し続けたい。
色々悔しさも相まって発信活動も、時代から見れば遅く始めたほうではありますが、今からでもそれらを表現したり発信するためにも最近は、個人的にyoutubeに動画を上げたりXで色々呟いたりすることを始めたところです。
障害者の可能性も発信していくつもりです。
そんな僕の思いが、少しでも誰かの心に届いたら嬉しいです。