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2024/10/10:フリーペーパーvol.103発刊!

うつ論(うつのHOW TO )-その5-

スローな復帰にしてくれ

突然うつ病を発症した私の物語。
当時、どのような状況だったのか、どのように苦しんだのか、どうやって前に進んで行ったのか(現在も奮闘中ですが…)、どうにかこうにか日々を生き抜いてきた男の話をエッセイ風にして書いてみました。

どうぞご覧ください。

前回の記事はこちら

うつと無慈悲な僕の病状

時間というのは無慈悲なものであり、私がうつ病を発症してから早一か月、未だ回復のめどは立っていなかった。

(そしてさらに無慈悲なことにこの文章をしたためている2024年1月現在、いまだうつ病は私と肩を並べている。)

時の流れに身を任せてどうにかなるのはテレサ・テンだけなのかもしれない。最初の診断書では二週間で職場に復帰する意向を書いてもらったが、一度芽生えてしまった職場への恐怖と不信感を払拭することは私には出来なかった。近づくだけで体に負荷のかかる場所でもう一度働くというのは自殺行為にも等しい。なので早急な復帰は諦め、心がある程度回復するまで都度都度病院に診断書をお願いして休暇期間を伸ばしてもらうことに決めた。

毎日毎日僕はお布団の上でへこたれ嫌になっちゃうよ

それからまた一か月近く経過し、2020年も残すところあと一カ月半となっていた。そこには寝たきり・暴食・昼夜逆転の三種の神器を兼ね備えた救い難きニートの姿があった。(図)

病欠休暇を伸ばしてもらったはいいものの、外出するのも一苦労な男が有効活用出来るはずもなくその時間の大半は引きこもりに費やされた。

これではらちが明かないと心配した家族が実家に私を呼び戻したり、親族を頼って他県へ気分転換の旅行をさせてくれたりしたが効果は薄く、どこに行っても自宅に戻ると即座に布団に潜り込み、春でなくとも暁を覚えない生活を繰り返していた。

この時私は現状に対して何ら危機感を覚えていなかった。というより何も考えられない状態だった。一日一日をやり過ごすのに精いっぱいであり、未来に目を向ける余力は赤ちゃんの小指の爪の先ほども残されていなかった。

そうして先の見えない暗がりの中、その日暮らし(その場しのぎともいう)宙ぶらりん闘病生活を続けていた私だったが、どんな状態だろうと時間は進んでいく事をこの後肌身で実感するのであった。

To tell,or Not to tell

そんなこんなでまたしても無為な時間の使い方をし、気づけばサンタが天翔ける12月となっていた。しかしプレゼントをもらえる当てのなかった私は肌寒さ以外に季節の情緒を実感することのないまま、いつものようにお布団で一日を終えようとしていた。

その時、突然携帯が振動を始めた。なんと数ヶ月ぶりに上司から電話がかかってきたのである!!

このとき私は久々に感情を(もちろん悪い方に)強く揺さぶられた。一番向き合いたくない相手からの連絡に、またしても布団を被って震えることしかできなかった。

とは言えども、いい加減なんらかのアクションを起こさなければ職場からの不信感も相当なものになるだろうし、地に足がつかない今の生活もいよいよ終わりが見えなくなってしまう。数か月もの間宙ぶらりん状態というのは、シルクドゥソレイユの空中ブランコ乗りでも体験したことのない境地に違いない。

金田一耕助ばりに頭を掻きむしりながら苦悶したのち、数か月ぶりに職場とコンタクトを取ることに決めた。そして相手が不機嫌だったら即座に電話を切ることも決めた。

私は勢いよくプッチンされたプッチンプリンみたいに震えながら携帯を手に取り、意を決して通話ボタンをプッシュした。(図)

...結論から言うと、数カ月ぶりに会話した上司は特に機嫌が悪いということもなく、泰然自若とした態度で応対してくれた。しかし電話口で告げられたある言葉によって、私の前に新たな壁が立ちはだかった。

「申し訳ないんだがうちの会社、病欠休暇は三カ月が限度なんだわ」

次回へ続きます。
お楽しみに!

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