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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

うつ論(うつのHOW TO )-その4-

(病欠を)得るまでの冒険

突然うつ病を発症した私の物語。
当時、どのような状況だったのか、どのように苦しんだのか、どうやって前に進んで行ったのか(現在も奮闘中ですが…)、どうにかこうにか日々を生き抜いてきた男の話をエッセイ風にして書いてみました。

どうぞご覧ください。

前回の記事はこちら

(『一行でわかる前回のあらすじ』:職場に入らずんば病欠を得ず)

ごちゃごちゃ言わんと診断書職場に出したらええんや

天神地下街をフラフラ徘徊する男。私です(そして何を隠そう、この出来事は福岡であったことなのです)。

この時、私の精神は極限まで追い詰められていた。うつ病による病欠休暇を得るためには、職場(当時)に自分で病欠届を提出しなければならないからだ。

これは私にとって死活問題だった。必死こいて職場付近から脱出したと言うのに、再び引き返すどころか職場本丸に乗り込まなければならないというのだ。いやだ。

その日は久々の外出、かつ他人の目を極度に気にしていたこともあって私の肉体・精神ともに疲労がピークに達していた。が、職場にめちゃ近い自宅(当時)に帰ろうとはどうしても思えなかった。

と言っても他に行く当てなどどこにもない。当時はコロナ禍真っただ中、情勢的に友人宅にもホテルにも泊まることは厳しかったし、天神地下街も数時間後には灯が落ちてしまう。悪夢のごとき八方ふさがりだが残念ながら現実、ノンフィクションであった。

♬生きてる、生きている(中略)生きることはサンサーラ♬

中考介氏の歌声が聞こえた気がするが、幻聴だろう。とにかく職場付近に戻りたくないという思いを原動力に、ゾンビのように地下街をさまよっていた。

暗夜投函

本当は分かっている。診断書を提出しなければにっちもさっちもいかないのは重々承知している。

だが不都合な真実は飲みこむのに時間のかかるものである。私は現実と向き合うためもうしばらく独り相撲を続けるほかなかった。

時は進んで深夜0時、のっぽの古時計がベルを鳴らす真夜中に道を行く男が一人。もちろん私です。長きにわたる自問自答の末、闇にまぎれて診断書を職場のポストに投函する、「夜逃げ」ならぬ「夜行き」を決行する運びとなったのだ。

ここまでの道筋を立てるまで、それはまあ大変だった。地下街の床にへばりつこうとする肉体を無理矢理ひきずり、今にも爆発しそうな精神を抑え込みながらどうにか家まで辿り着くも、今度は外に出ず引きこもっていたいと全身の細胞がストライキし始めるなど実に前途多難であった。

しかし、職場と正式に距離を取るためにはこれ以外の方法はない。トランプタワー以上にもろく吹けば崩れそうな心をなだめすかしながら、夜の街へと立ち向かって行った。(図)

夜をいそぐ私

これほどまでに過酷な旅路があっただろうか。職場まで歩をすすめながら私は苦悶していた。

この時、急げば5分とかからない職場への道が私には四国八十八箇所お遍路巡りに勝るとも劣らない道程に感じられた。誰もいないはずの夜道なのだが、闇の中に職場の先輩あるいは上司が潜んでこちらをじっと見ている気がしてならなかった。ジェームズ・ボンドやイーサン・ハントは常にこんな不安や恐怖と戦いながら任務を遂行していたのだろうか。やっぱり世界に名だたるスパイは違うなぁ...

などと架空の映画スターに思いを馳せるなどして恐怖をごまかしごまかし歩を進め、遂に職場に辿り着いた。幸いにも明かりが落ちており、人の気配は皆無であった。私は息と足音をこれまで以上に殺しながら職場の玄関ポストにそろりそろりとにじり寄り(図)、診断書を投げ入れると後も見ないで逃げ出した。

そして自宅に戻った私はすぐさま布団に飛び込む(※手洗いうがいはちゃんとしました)と、毛布を被ってガタガタ震えていた。だが当時は残暑厳しい9月上旬だったのですぐに暑さに耐え切れなくなり、クーラーつけてアイス食べながら改めてガタガタ震えていた。

次回へ続きます。
お楽しみに!

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