心って体のどこにある?
心って体の一部だと思いますか?それとも、概念でしょうか?例えばですが「雨が降っていて傘をささないといけないが、なぜか踊ってみたくなった」そんな頭でわかっていることに逆らってまったく違う行動をしてみたことは?
きっとそれが心であり、思考とは別の意思を司る本能的なニューロンでしょう。
心を大事にするためにはどうしたらいいのか?では歴史から少し学びましょう。
ふたつの心
2000年以上前の古代中国にある2人の思想家がいました。その思想家らは人の心について
異なるベーシックの説を唱えており現在もこの2つの説を基に心について研究しています。
それでは、この2人はそれぞれどういう説を唱えていたのかを解説しようかと思います。
性善説(孟子)
人の本性は先天的に善であるとする説。中国の孟子が提唱したもので、人間の本性は生まれながらにして善であり、悪い行為は、物欲の心がこの性をおおうことによって生ずる後天的なものであると主張する説。つまり「人は可能性の塊だから、良いところを伸ばせば立派になれる」ということ。
性悪説(荀子)
人の本性は先天的に悪であるとする説。中国の荀子が提唱したもので、人間のうまれつきは悪であって、善なる行為は教育、学問、修養など後天的な作為によって生ずると主張する説。つまり「人は怠惰な怠け者だから、悪いところを改善していけば立派になれる」ということ。
以上が性善説と性悪説というものです。正直、どちらも心当たりがあって頷ける内容です。順序としては性善説が先で性悪説が後ですが、激動の春秋戦国時代という背景も鑑みると自身の人間関係や出来事に基づいた人生観としても唱えたのではないかなと推察します。
掘り下げてしまうと非常に難しい世界なので、ざっくりと上記のような解釈となりますが
陰陽で世界が成り立つように、人の心には光と影があることを参考にできる説になります。
心の脆さと強さ
【心が折れる】って表現、不思議だと思いませんか?比喩表現かもしれませんが、実際に自分の中でポキッと音を立てて割れている感覚になるんですよね。もしくはブチッっと切れるとか。物理的なものでもないのに概念としてそこまで感覚に食い込んでくるなんて心って凄くないですか?そして、骨と同じように心は持ち主のモチベーション次第でそのまま脆くなるか、より頑丈になるかという性質もあります。心が強い人は生まれつきもあるでしょう。
しかし経験上、悔しい思いをしたり、ナニかに気づいたり、守るモノが増えていくたびに心というのは強くなっていく実感があります。私は心療中でお薬が必要な状態であっても、自己治癒することを諦めてはいません。心の強さを与えてくれる出来事もありましたから。そうやって心の脆さを認めつつ、強くなりたいと思える、生きるのに必要な呼吸そのものです。呼吸をすることを諦めなければ、心のままに生きていくことは可能だと信じています。
ココロのカタチ
心というのは一朝一夕で形成されるものではなく、目に見えるものではありませんが
心をカタチにする行い、気遣い、所作、贈り物、そして言葉で伝える。方法は様々です。
心と心が通い合った数だけ心が形成されるというのが持論として確信しつつあります。
心のカタチがすなわち【魂】となって自分にとっても人にとっても影響していきます。
心や魂を現代風に言い換えるなら【データ】とデジタルな解釈をしてもいいでしょう。
とにかく人間である以上、それだけ必要不可欠なものなんだなと伝われば幸いです。
機械は効率的でコスパが良く便利ですので今後の仕事は人間に代わっていくでしょう。
だからこそ、人間の付加価値が示せるモノが心になってくるだろうと予感しています。
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