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2024/4/10:フリーペーパーvol.97発刊!

診断までに50年かかった「大人の女性の発達障害」(就職を決めるまで)第九回

みんなが知っているのとはちょっと違う「女性の発達障害」

私は50歳で発達障害の診断を受けました。ADHD(注意欠陥/多動性障害)、そしてASD(自閉症スペクトラム障害)の傾向も多少みられるという診断で、すぐにADHDの治療薬を使い始めました。幼少期に発達障害の専門医受診を検討されたこともありましたが、結局は治療やサポートを受けること無く生活してきました。

アルバイトを含めて、社会に出てからも自分に発達障害があると知らずに生活していましたが、すでに周りの人と同じようには出来ないことがあると気がついていることも多くあり、自分なりに工夫もしながら仕事をしていました。自分では不器用で人よりも苦手なことや、時間がかかることがあるというレベルだと思っていましたが、過集中になりやすく全力でやってしまい、いつも疲れ切って心身をすり減らしていました。自分のコントロールの方法をしらず、無理を重ねて不調を起こすのに、それを無視し続けた結果、30代で限界に達して社会に復帰できないほどの発達障害の二次障害と思われる症状も発症してしまいました。

今回は私が短大を卒業して、就職をするまでのことを書きます。同級生が就職していく中、海外の大学へ編入しようと考えて、卒業後も学生時代に始めたアルバイトを続けました。

発達障害のサポートを受けずに成長して、「発達障害の二次障害」を発症するまでの自分史のような要素も強いですが、発達障害の人もそうではない人にも共感してもらえたり、身の回りに同じような人がいたらどのような感覚なのかを少しでも知ってもらうきっかけになれば嬉しいです。

おそらく50歳で発達障害の診断を受けるなんて、どうして必要なの?と思われるかもしれませんが、私自身は診断を受けたことで、とても楽になりました。いままでのたくさんの困ってきたことの理由と改善方法が、具体的にわかってきたからです。そしてADHDの治療薬も合っているようで、行動に落ち着きがでて生きやすくなったと感じています。自分の苦手なことや得意なことを客観的に知ったことで、自分のことを理解しやすくなり、周囲にも伝えやすくなりました。

発達障害は幼少期にわかるケースが多いのですが、特に女性では現在の診断基準とは違った見え方がすることもあり、幼少期に気が付いてもらえない場合があるようです。しかしそのまま成長してしまうと、周りの人と同じようには出来ないことが多くあり、家族や友人との人間関係がうまく築けず、自分を責め続けて二次障害と言われるウツなどの心の病を発症する原因になってしまいます。私が発達障害の診断を受けたのは、長いこと良くならない自分のウツ症状や不眠が、この二次障害である可能性を考えたからです。

発達障害は「害」という言葉のネガティブなイメージを避けるために、「発達障がい」または「神経発達症」などへ呼び方が変化していますが、ここでは現在一般的に知られている「発達障害」という言葉を使います。

これまでの記事はコチラから

診断までに50年かかった「大人の女性の発達障害」
https://tinyurl.com/2g8cqtf4

短大卒業後もアルバイトを継続

短大を卒業した私は、ほとんどの同級生が就職する中、学生時代からしていたアルバイトを続けました。高校生の頃から少しずつ計画していた留学のためでしたが、社会情勢の悪化で、卒業する年に留学は叶わず計画を延期していました。私が海外で勉強したいと考えていたことが、当時の日本ではまだ職業として成り立つものではなかったこともあり、将来の職業をどうするのかも考えながら過ごしていました。もともとは家族と距離を置いて生活したいことから考え始めた留学計画でしたが、アルバイトを続けて仕事に慣れてくると、このまま今のような仕事を続けてみたいと感じるようになっていきました。

あわただしい貿易事務の仕事

短大生一年生で始めたアルバイトは、埠頭にある倉庫で貨物を用意する作業でした。そしてしばらくしてから、「事務の仕事を手伝えば時給を上げるよ」といわれて始めたのが貿易事務の仕事でした。

偶然はじめた貿易事務は、主に輸出のための通関書類を英文で作成する仕事でした。留学をしたいと思うほどでしたから英語には抵抗がなく、あまりプレッシャーを感じずに、新しい仕事を覚える気持ちになりました。倉庫内作業の頃から事務所の人とも一緒に仕事をしていたので、知らない人の中で始める緊張感もあまりありませんでした。普段から休憩時間を過ごしていた事務所での、一人だけの学生アルバイトという立場で、ある程度は自分のペースで仕事を覚えていくことができました。

でも貿易事務は貨物を載せる船や飛行機の便に合わせて動くので、とても慌ただしい職場でした。貨物の量を計算してコンテナを決めて手配し、海外への納期から逆算して船や飛行機を手配し、通関書類を作成して貨物が着くまでに税関へ届けます。

国外へ出す貨物は細かく英文で書類を作り、税関で書類と貨物が合っているのかを確認しないといけません。海外へ到着した貨物も、同じように書類と貨物を合わせますが、国により必要な書類が違うこともあります。
通常の仕事を進めながら、貨物を運ぶトラックが事故を起こして遅れたり、税関に書類が届いていないと言われたり、書類と貨物が合っていないというトラブルへも対処します。

そして私には人との関わり方や仕事の進め方で上手く行かないこともあり、とても悩みながら過ごしました。

苦手な仕事をゆっくり少しずつ克服していくしかなかった

最初は周囲の慌ただしさに混乱して、どうしたら良いのかわからないで固まってしまう時間がありました。私は仕事の覚えもスピードも遅いし、最初は書類の区別がつかなくてミスも多かったので、周りに迷惑をかけているのではないかと感じて居心地も悪かったです。会社という騒がしくて人の多い環境で、苦手なことも期限までにやらなければならないプレッシャーもあったし、苦手な人ともそれなりに関わらなければならない「大人の社会」という初めての経験に、自分がどう対応するべきなのかを学ぶ期間でもありました。

自分にできることから考えてみた

まず私に出来ることは、同じ間違いを何度も繰り返さないようにすること、そのためには一度に色々やろうとしないで、一つ一つに集中して確実に終わらせるように意識することでした。

それに気が付いて、なんとか割り切って仕事に慣れるまでには一年くらいかかりました。環境に慣れてきて仕事を覚えて、ある程度は一人でこなせるようになってからです。嫌なことを言われたり、嫌な態度の人が居て、気になって落ち込んで行きたくないこともありました。でも仕事が覚えられずに出来ないままの自分が嫌だし、慣れたら出来るようになるという漠然とした自信もあり、どうしたら苦手な人へ上手く対応できるのか、仕事をミス無く早くできるようになるのかを家に帰ってからも一生懸命に考えました。嫌な人でも、私が仕事を覚えて迷惑さえかけなければお互いに気にならなくなるだろうと思いました。

仕事を覚える過程でやってみたこと

まだ当時は、自分の発達障害による苦手なことを客観的に知りませんでした。だから他の人も同じように苦手があっても上手くやっているはずだから、自分も出来るはずだし、誰よりも出来るようになりたいという負けず嫌いの部分が強くでていました。仕事に対して真面目に向き合い過ぎて、後に二次障害を発症した可能性もあります。私がどのように仕事に取り組んでいたのかを紹介することで、参考になる工夫も、頑張り過ぎの悪い見本にもなると思います。

電話が怖い日々

会社では、電話の音も電話を取ることも苦手でした。まず電話の相手の言う社名も名前も、全く聞き取れませんでした。何度も聞き返す内に、電話の向こうでイラッとされるのがわかることもありました。それに電話と自分の仕事のマルチタスクになって、自分の作業への集中が途切れるのも嫌でした。電話が鳴るのが、怖くて仕方がありませんでした。でも自分がアルバイトとして事務所に居るのは、社員の仕事がスムーズにすすむサポートのためだと気が付いて、思い切って積極的に電話を取るようにしてみました。そこに気がつくにも何ヶ月もかかりました。常に電話の近くにメモ用紙と、社内の座席表に内線番号を書いたものをおいて、電話対応の練習をしました。

おそらく会社に入ると、最初は先輩の仕事を増やしている自分が迷惑ではないかと悩むと思いますが、少しずつ出来ることを増やすことでお返しできるのではないかと思います。先輩へ頑張っていることを伝えやすい仕事が、電話対応なのかもしれません。電話を取らないで済むと仕事に集中できるのは、誰でも同じだと思います。新人が電話を取ることで、新しい職場にどのような取引先があるかを覚えて、これから自分がどのような人と仕事をする現場なのかを知ることができるメリットもあります。電話を繋ぐことで、社内の人の名前を覚えて会話をするきっかけにもなります。

私は後に人事の仕事で、新人の電話対応の指導をしたことがあります。電話対応に関しては、「慣れ」しか解決方法は無いと思います。慌てずに落ち着いて対応すること、相手にも自分が新人で電話対応に不慣れだとバレていると開き直ることです。イラッとされても、その人はいつでも誰にでもイラッとしている人だったりするので、実際には落ち込む必要がなかったりします。でも嫌な思いが重なると、電話を取るのが嫌でとても悩むこともあります。私も傷つく言葉を言われることもあり、その人からの電話を受けるのが怖くて仕方がない時期もありました。

決まった会社同士での仕事をしていれば、よく電話がかかってくるのはある程度決まった人です。社名と名前を、電話を繋いだ先輩にあとで教えてもらってメモをしておくとか、多少の工夫は可能です。文字で見ておけば、聞き取りやすくなると思います。そして何度も失敗をしていく内に、お互いに誰なのかを第一声でわかるようになっていきます。そうなると、ちょっとした挨拶とかコミュニケーションも発生して、電話を取るのが楽しい場面もありました。

働く環境により電話の相手は様々だと思いますが、コールセンターやクレームの電話が多い職場は、相手が常に変わるので慣れにくいですし、人の感情をもらいやすい人は避けたほうが良いと思います。電話以外の面でも、できるだけシンプルな対外関係の職場が良いと思います。どうしても電話対応が苦手であれば、正直に相談して最小限にできるようにすることも可能な環境が良いと思います。

私は電話の鳴り続ける音も嫌なので、対応に慣れたらさっさと一番に取ってしまうようになりました。電話が鳴ったら取ると決めておけば、いちいち嫌だと考える時間もなく、作業が途切れることにも慣れていきました。どうしても集中したい時は、電話から離れた場所へ移動したり、ちょっと周りに声がけをしておけば問題はありませんでした。

教えてもらったことを理解するために

初めての仕事は先輩に教えてもらわないと何も出来ないし、仕事を身体が覚えるまでは確認しながら進めないと間違えたり、不安なことが沢山あります。

私の場合は一つの仕事へ集中すると他のことを忘れることがあるので、常にやることをメモに書き出して、進める順番を書いて、終わったら線を引いて消すようにしていました。そうすると忘れないようにしなきゃ、と考えながら他のことをやる必要がなくて楽でした。毎週や毎月でやることが決まっていることは、カレンダーに書いておくようにしました。毎朝、仕事の始めに今日やることを書き出しておきました。

教えてもらったことは専用のノートを作ってまとめ、わからなくなったら見るようにしていました。さらによく確認をするものは、机の目に付く場所に硬めのクリアケースを置いてすぐに見られるようにしていました。書類の違いや換算表、レートをまとめて書いておいたり、人の名前を覚えにくいので簡単な座席表を書いておいたり、電話がよく来る人の名前と番号をまとめたり、ミスしたことは付箋に書いて貼って足して、確認をしながら進めるようにしていました。私は自信がないので確認行為が多いという特徴もあり、できるだけ自分で確認が済ませられるようにしました。

仕事を教えてもらうときはメモを取っておき、後でノートにゆっくり時間を取ってまとめていました。自分から話しかけるのが苦手なので、何度も同じことを聞かないで済むようにするためと、書かないと聞いたことを忘れやすいからです。でも途中で気が付いた一番の利点は、教える人がちゃんと話しを聞いている姿勢だとわかりやすいことです。

私は質問している最中に集中が途切れたり、後からノートへ書き直す頃にはもう内容が理解できていないこともありました。でもメモをしていれば、それをみせながらまたすぐに確認することもできます。もちろんメモをとらなくても一回で覚えられる人もいるし、メモの変わりに好きなデバイスで入力したり、写真を撮って画像で確認する方が合っている人は、自分が一番受け入れやすい方法で確認や管理ができれば良いと思います。私の場合は、いまでも一番信頼できる方法が手書きです。

自分から質問できないことに悩む

最初はスピードよりも確実にこなすように、分からないことは出来るだけ早く確認するようにしました。気になったのに確認しなかったことほど、後で必ずミスが発覚してもっと迷惑をかけてしまいました。後回しにすればするほど、それをカバーするのに手間と時間がかかります。スピードは、徐々に身体が覚えて身につけることも可能です。

確認することが大切だとわかっていても、私は自分から話しかけることと簡潔に質問するのが苦手で困りました。自分が何をわからないのか、最初は特にそこからわかりませんでした。私自身が集中している時に話しかけられるのが嫌いなので、教えてもらいたいことがあっても人へ話しかけるタイミングにも余計な気を遣っていました。その結果、自分のタイミングで無理に教えてもらうことをやめて、周囲をよく観察してみました。

発達障害のある人は、学校の人間関係ですでに嫌な経験をして、人に対して積極的になれない場合も多いと思います。対応が冷たかったりイライラした人に対して、「怖い」と感じる人も多いと思います。しかし周りが忙しい時に、遠慮して声をかけられないで待っていると、自分の作業も止めてしまうことになります。

いつも忙しそうでイライラしていて、声をかけづらいタイプの人も居ましたが、よくみているとコピーを取っている間に休んでいたり、タバコ休憩で戻ってくるタイミングなど、相手の仕事の流れを止めずに話しを聞いてくれるタイミングがわかってきました。そこで相手によって、話しかけて良いタイミングや伝え方も違うことに気が付きました。

忙しいときでも、きちんと話をきいてくれる人も居ます。ただし何度も時間をもらうのは申し訳ないので、簡潔にまとめて質問をする工夫も必要でした。特に込み入った質問をする時は、要点や図をメモにまとめておいて、見せながら確認をしてテンポよく聞くようにしました。忙しい時は、耳できくだけではなくて、視覚の情報で補足しながら質問されるほうがわかりやすい人が多いと感じたし、自分も見せながら要領よく質問ができました。ややこしいことや質問が複数の時ほど、よく考えて準備をしてから質問をするようにしていました。「何がわからないのか」を頭の中で整理して、質問の要点がわからない状態で聞くことを避ける効果もありました。教えてくれた先輩も、私がペンとメモを持って近づくと、「なになに?」とメモを見ながら教えてくれるようになりました。一度に三つ質問する時も、先にメモを見せているから聞きそびれることがなくなりました。

質問されるのを嫌う人には、「〜を教えて欲しいから時間ができたら声をかけて下さい」と早めに伝えておきながら、他の出来ることを先に進めて待つようにしていました。教えてくれる相手が、どのくらいの時間で済むことで声をかけられたのかをある程度は想像できるように、先に何の質問をしたいのかを簡単に伝えておくようにしました。それでもなかなか声をかけてくれなかったら、もう一度「まだお時間ないですよね?」と声をかけると「あ、ごめんごめん」と言ってすぐに教えてくれることが多かったです。

周囲の人をみていると、とても図々しく質問している人ほど上手くやっているようにみえました。でも私には出来なかったので、自分なりに納得する方法を取るしかありませんでした。押し付けず、できるだけ簡潔に、という方法です。

使いにくいものは自分が使いやすいように

暇でやることがない時間もたまにあったので、そのような時はやれることを探しました。暇だと周りの目も気になるし、私の多動の特性からきていると思いますが、席に座って何かをしているフリができないからです。何もしなくて良ければむしろ机で寝ていたいくらいですが、会社ではそうもいきません。アルバイトだといっても、手を抜く塩梅もわからないし、社員よりも真面目にやらなければいけないと思って常にフル稼働でした。

自分の仕事がない時はチームの人へ手伝えることが無いかを聞いて、何もなければ備品を整理したり、スタンプのホコリを取ってインクを補充したり、メモ用紙を作ったり、細かなことで放ったらかしにされがちなことを見つけていました。細かなホコリを取るとか、クリップを分けておくとか、そんな細かい作業が好きなので終わるとスッキリして自分の仕事もやりやすくなりました。忙しい時に余計な情報が目に入ると気がそれるので、気になっていた所を掃除したり整理をしながら、自分が日頃から反射光が気になる場所の角度を変えたりしていました。

コピー置き場所に、空いたコピー用紙のダンボールや包装紙が置きっぱなしの時は捨てて、新しい用紙をそばに置いておきました。忙しい時に、自分が楽をしたかったからです。

もっとやりやすく変える場所がないかを探していると、普段の作業の流れを復習してゆっくり見直すこともできました。いつも間違えて書類を置いてしまう棚は、許可をもらって色の違う紙に書類の名前を太字で書いて貼ってみました。間違えていないかを確認する時間と、確認の回数が減りました。ファイルの背にある文字が読みにくければ、ひと目でわかるようにテプラで作って貼り直していました。

そうする内に、他のチームの人も「見やすくなってる!キレイになってる!ありがとう」と声をかけてくれるようになったし、掃除を手伝ってくれる人も居て、人間関係も良くなったと感じました。自分のためにやっていたけれど、結果は喜ばれたから一石二鳥でした。

ジワジワと環境を自分の好みに変えて、周囲にも助けてもらいながら仕事のミスが減ってスピードが早くなってくると、会社に貢献できているという満足感を得るようになりました。それに至るには時間がかかったし辛い時期もありましたが、チームで助け合いながら仕事を終わらせることも楽しくなり、少しずつ自信を持つようになっていきました。

発達障害と環境への慣れ

発達障害の人は、知らない人や場所など、慣れない環境にいるだけでも疲弊します。慣れるのには何ヶ月もかかりますし、慣れても音や光などの気になることが一般の人よりも多くて集中が途切れやすいし、緊張もしやすくてストレスをためやすいです。ずっと「慣れた」という感覚を、持てないかもしれません。臭いや声のトーン、話し方や貧乏ゆすりが気になる人が居ると、それに気を取られたりイライラする元にもなってしまいます。

そして「頑張らなきゃならない」と思うほど、自分のペースがわからなくなって疲弊します。会社は情報量が多いし、周囲の人の目も気になるので、なかなか自分のペースがつかめません。手抜きの塩梅もわからず、一生懸命にやりすぎてしまうと思います。もしかしたら反対に、失敗して怒られるのが怖くて何もできなくなることもあると思います。私も白黒思考の、「やるかやらないか」になりがちです。

その点では、私が「社会人として」ではなく、アルバイトであまり気負わずに、「会社」というものを10代で経験した環境は、仕事を覚えるのには適した環境だったと思います。

事務の仕事だけど座りっぱなしではなく、コピーを取ったり、書類を立って分けたり走って渡しに行ったり、タイピングをしたり、動き回れる事も多動のある私には向いていました。英語が好きだったのが、偶然に英文の書類を作ることになり、通関書類作成の一連の仕事を任せてもらえたことで、自分のペースで集中して、期限に間に合うように取り組むことができました。周囲も学生のアルバイトという、ちょっと甘い目でみてくれていたと思います。「会社」で一人前の社会人としてすぐに活躍しなくてはならない、という気負いもありませんでしたから、会社とはどういうものなのかをゆっくり知ることが出来て幸運だったと思います。

「入社したけど合わないから辞めます」というのは、会社にとってもできるだけ避けたいのは同じです。実際にどういう環境で働くことになるのかを、採用する側も事前に少しでも多く知ってもらうことができるように配慮する必要があると思うし、採用される側も可能な限り事前に確認することが大切だと思います。

大きな企業での新卒採用は、どの配属先になるのか全くわからない場合もあります。得意なことを活かして、専門職の知識をつけて、仕事内容だけでも想像できるような実力をつけておくのも一つの方法です。面接の際には、社内の雰囲気を知りたいので事務所を見学したい、と言ってみるのも良いと思います。

一般の企業への就職ではなくても、アルバイトや福祉事業の利用でも、先にある程度のイメージができるようにしておくほうが、想像と違ってガッカリする確率が低くなると思います。

苦手な人へは観察力を活かす

発達障害と診断を受けた人ではなくても、周りが気になる人はすごく人を観察できているとも言えます。自分の身を守るために嫌な感覚を持つ相手を避けてしまいがちですが、どうしても関わらないといけない関係の場合は、その人へどのように対応したら良いのかを自分で考えることが出来るかもしれません。他の人がその人とどうのように関わっているのかを観察して、自分が関わる時に役立てる事もできます。他の人がイラ立たせていたら、自分は伝え方を変えてみようとか、人の失敗を観察して自分のやり方を考えることもできます。

会話が噛み合わないならば、相手の理解しやすい伝え方を考えてみると良いかもしれません。声よりも文章のほうが理解しやすい人、両方ないと理解しにくい人もいます。図で見たほうが分かる人もいます。難しい論拠を求める人には、その証拠になるものを用意してから話すとすんなり受け入れたりします。自分が伝えやすい方法が、相手のわかりやすい方法ではないことも多いので、それを観察して試してみるところから始めてみると、良い対処法がみえてくるかもしれません。

一人で頑張らない

後に私は人事の仕事もすることになり、会社でどのような人が評価されるのかを知る事ができました。会社では、自分の仕事を早く的確にできることはもちろん大切です。さらに周囲の人が、仕事がやりやすくてモチベーションが保てるような環境や雰囲気を作る人が、会社からの評価が高くなる場合が多いです。

自分一人で頑張って沢山の仕事をこなすよりも、チーム全体がある程度の能力を出せるようにする人のほうが、一般の会社では良いとされる場合が多いのです。だから要領よく人に仕事を押し付けて、上からの評価だけは高い人が居るのです。社風にもよりますが、そのような人は同僚からは嫌われるし、客観的な視点で評価する会社側から見ればわかるので、自分が害を被らないようにだけ注意すれば良いと思います。

仕事を断ることができるようになる

おそらく、頼まれた仕事を断ることができない人も多いと思います。発達障害があると、自分が思うよりも実際に出来る仕事量が少ないことが多々あります。自分の仕事に余裕がある時だけ手伝うことができれば良いのですが、それにつけ込んでどんどん仕事を押し付けてくるような人もいます。断るのが苦手な人は、仕事を頼まれるたびに「それは本当に自分がやるべき仕事なのか?」と、まず考えてみることが大切です。

優秀な人でも、自分がやったほうが早い、自分でやったほうが確実で安心、という気持ちで仕事量を増やして自分を追い込まないようにすることが大切です。社会にはそれぞれに役割があるので奪ってはいけませんし、何より自分が疲れてしまいます。ある程度できるようになったら、自分が居ないときでも他の人が出来るような状態にしておくことが大切です。

会社も一つのコミュニティーなので、それぞれが得意で周囲に信頼されることを作って、苦手な部分はお互いに助け合える関係性を築いていけたら、一人が抱え込んで無理をしすぎることを防げます。そのような関係を作るには、ある程度のコミュニケーションを取って人を知る必要があります。人へ心を開くのには時間がかかりますが、受け身でいるだけではなく、自分から心を開いて譲ったり歩み寄る過程も必要になります。全員と友達になる必要はないので、相手に合った距離感、かつ自分も程よいと感じる程度の関係で充分です。少し人へ関心を持ってみることで、少しずつ自分の居心地も良くなると思います。

言われた作業だけを完璧にこなせば良い、という仕事を選びたい場合は、雇用形態や職場環境の選択をしっかり検討したほうが良いと思います。それぞれに合った仕事を選ばないと、やりたいことと周囲から期待されることが合致せず、自分も苦しむことになると思います。

私のような集中が途切れやすく得手不得手が極端な場合は、ある程度できるようになったら仕事の一部を任せてもらい、自分のペースで配分できる仕事が良いと思います。集中したいときには一気にやって、集中できない時はあまり考えなくても出来る作業をすすめて、自分で塩梅を考えられるようになると良いと思います。反対に誰かにずっと気を遣い続ける環境は、とても疲れてしまいます。

仕事の中には苦手なこともありますが、その苦手な感覚を活かして自分がやりやすいように変えてみると、苦手な感覚もいつか薄れるかもしれません。他の人もやりやすく、改善できる可能性も秘めています。何よりも自分がいつの間にか苦手を克服出来ていると気が付いた時に、とても自信が持てます。早く嫌な感覚から逃げようとする前に、そこで自分が出来ることを考えて、やってみるのも良いと思います。遠慮をしてしまい、やりたいことが出来るようになるには時間がかかるかもしれません。ストレスも感じると思います。でも慣れたら、人よりも能力が発揮できる可能性を信じても良いと思います。

大人への抵抗も少なくなり、将来を考えるようになった

私は一番身近な大人であった母が、会話ではなく暴力暴言でわからせる、辻褄の合わないことや不条理なことでも強引に押し付ける人だったので、「大人」というものに嫌な感情を持っていました。そして、大人が沢山いる「会社」というものへも嫌な感情を持っていました。会社の仕事とは上司の言うことを聞いて、決まったことをやるだけだと思っていました。

それを自然な流れで、普通の会社にも良い大人が沢山いること、会社の仕事も言われたことをやるだけではなく、クリエイティブで面白いことを知りました。周囲に助けてもらいつつ、自分の力で考えて工夫すれば、仕事の精度が上がって幅も広がることがモチベーションになっていきました。

何よりも、学校へ行って興味のない人と仲良く出来ないことに悩んだり、やりたくない勉強をするよりも、会社はお金をもらえるし、やることをしっかり出来れば無理に全員と上手くやる必要もないことが嬉しくて、大人って案外良いものだと感じました。

留学をやめて就職へ

私がアルバイトをしていた事務所は、外資系企業の下請けの仕事だったので、直接海外とのやり取りはありませんでした。倉庫や税関寄りの貿易事務、という位置づけだったと思います。自分が将来どのような職業につきたいのかを考えた時に、いまの仕事の経験を生かして、海外の人と直接やり取りもできる仕事ができたら良いな、と考えるようになりました。

バイト先の会社には、アメリカ留学帰りの人も居ました。その人をみていると、仕事は雑だし騒がしく、周囲からの評判も良くありませんでした。海外の大学を出ても即戦力にはならないのをみていたら、自分が留学してから日本に戻ってまた働きなおす事と、このまま慣れた状態で成長していくこととを比較するようになりました。留学が必要だと思ったら、いつでも行けると思いました。

結局、「就職する」という結論を出しました。

就職活動

いまの自分がどのような仕事ができるのかを調べながら、求人にも目を通すようになりました。そこでやっと自分のやっている仕事が、「貿易事務」という言葉のもので、意外と特殊な仕事であることに気がつきました。学生時代から二年以上続けて得た知識と経験が、私の就職の「売り」になると確信しました。

当時の私は、自分で仕事を探すのは転職雑誌、転職フェアという大きな会場で仕事を探すことしか頭に浮かびませんでした。まだウェブで探すことも出来ない時代だったし、職安はあまり良い仕事はないと思っていました。

そして運良く三社、やりたい仕事が出来そうな会社の面接を受けて採用の連絡をもらいました。その中から海外との仕事が直接できそうな企業へ入社することを決め、海外事業部の貿易部門の仕事へ採用されました。年齢が若いことから、特別に新卒扱いで入社することになりました。

長く続けたアルバイト先からも、新卒で採用すると言っていただけたのですが、実家を出ることも同時に考えていて通勤に不便な場所だったので、次のステップへ進むことにしました。

アルバイト時代のまとめ

私が学生の頃は、大学を卒業するまでに就職先を決める事があたりまえのような時代でした。私は遠回りをしましたが、自分でやりたいこと、自分に合っていることを知るまでに時間をかけた分、希望に合った仕事へ就くことができました。後に転職もして様々な職種も経験し、家政科出身なのになぜか経営の仕事まですることになったのですが、どれも自分に必要な素晴らしい経験をすることができたと思っています。

残念ながら30代後半で一般の仕事ができる体調ではなくなってしまいましたが、働くことができていた期間はとても楽しかったです。もし私が健康な身体であれば、もっといろいろな経験を続けて、今でも仕事を楽しむことが出来たかもしれないと思うと悲しい気持ちになります。

でもその間に何事にも代えがたい経験をすることができたことに感謝して、いま出来ることを楽しんでいこうと思っています。自分を否定的に捉えていて自信がなかった私に、自信を持てるようにしてくれたのは、社会に出てから出会った人たちです。おそらく働き続けていたら、今のように感謝することなく当たり前だと思っていたかもしれません。

私が発達障害のある人間として育てられて、教育を受けていたらどうなっていたのか?もしくは成人後でも、もう少しはやく判っていたらどうなっていたのか?と考えることもありますが、やりたいことを沢山できたし、まだ出来ることがあると信じています。

この記事を書いているいま、ADHDの治療薬を服用開始から一年になります。先日医師から、「お薬を続けて何か変わりましたか?」と聞かれました。

お薬の効果かはわからないけれど、まず自分に発達障害の特性があることを客観的に知ることができて、自分の生活上ので工夫や、良い意味での諦めも出来るようになったことが大きいと伝えました。そして私に関わる人達へも、私の行動や感じ方を説明したり、理解してもらいやすくなったと感じていることも伝えました。

自分が思うよりも疲れやすいし、自分が感じるよりも深く物事を感じ取っていたり、やりたいことがそれほど器用に沢山は出来ないこともわかってきました。自分を出来るだけ振り幅の少ない良い状態で維持するために、刺激に疲れないようにゆったりしたスケジュールで、休む時間を沢山とって生活するようにしています。

自分へよく言い聞かせている言葉は、「欲張らず」「無理をしない」で、「やりたいことをやる」です。様々な不安はありますが、人間はどのような環境でも不安を感じないことは無いと思っています。「いま」を大切にしながら、先のこともちょっと考えておく程度にしようと思っています。考えるのが好きだけど、考えすぎるのは疲れるだけだと感じています。

では次回からは、社会に出てどのように過ごしていたのか、その後発症した発達障害の二次障害について、また男性と女性の発達障害の違いや大人になってから診断を受けることのメリット・デメリット、日常生活や仕事で工夫してきたことなども盛り込んで紹介していく予定です。

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