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2023/10/10:フリーペーパーvol.91発刊!

診断までに50年かかった「大人の女性の発達障害」 第七回(短大生 前篇)

みんなが知っているのとはちょっと違う「女性の発達障害」

私は、50歳で発達障害の診断を受けました。ADHD(注意欠陥/多動性障害)、そしてASD(自閉症スペクトラム障害)の傾向も多少みられるという診断で、すぐにADHDの治療薬を使い始めました。幼少期に発達障害の専門医受診を検討されたこともありましたが、結局は治療やサポートを受けること無く生活してきました。

今回からは2回に分けて、私が短大生の頃のことを書きます。ADHDらしい行動力がある一方で、自分が上手くできないことも自覚するようになり、発達障害ではないかと悩みはじめた頃です。成人前後のことなので、記憶している内容がこれまでよりも具体的になっていると思います。周りの人や状況に合わせることで発達障害に気がついてもらえず、サポートを受けずに成長して、「発達障害の二次障害」を発症するまでの自分史のような要素も強いですが、発達障害の人もそうではない人にも共感してもらえたり、身の回りに同じような人がいたらどのような感覚なのかを少しでも知ってもらうきっかけになれば嬉しいです。

おそらく50歳で発達障害の診断を受けるなんて、どうして必要なの?と思われるかもしれません。しかし私自身は診断を受けたことで、とても楽になりました。いままでのたくさんの困ってきたことの理由と改善方法が、具体的にわかってきたからです。そしてADHDの治療薬も合っているようで、行動に落ち着きがでて生きやすくなったと感じています。

発達障害は幼少期にわかるケースが多いのですが、特に女性では現在の診断基準とは違った見え方がすることもあり、幼少期に気が付いてもらえない場合があるようです。しかしそのまま成長してしまうと、周りの人と同じようには出来ないことが多くあり、家族や友人との人間関係がうまく築けず、自分を責め続けて二次障害と言われるウツなどの心の病を発症する原因になってしまいます。私が発達障害の診断を受けたのは、長いこと良くならない自分のウツ症状や不眠が、この二次障害である可能性を考えたからです。

発達障害は「害」という言葉のネガティブなイメージを避けるために、「発達障がい」または「神経発達症」などへ呼び方が変化していますが、ここでは現在一般的に知られている「発達障害」という言葉を使います。

これまでの記事はコチラから

診断までに50年かかった「大人の女性の発達障害」
https://tinyurl.com/2g8cqtf4

発達障害の診断を受けずに過ごした短大時代

私が高校を卒業して進んだのは、通っていた高校の付属大学としてできた女子大の短期大学部家政科の被服専攻です。大学受験の勉強をしなくても、高校の成績と論文・面接だけで入学できました。私の通っていた高校では、大学へ進まなかったのは学年で2名だけでした。進学するのが当たり前の恵まれた環境でしたが、私には特に付属の大学で学びたいことがあったり学生生活を楽しみたいという考えもない状態で、消去法で選んだ学部へ進路を決めました。

しかし短大の家政科で被服学を専攻したことは、人生で初めて自分の意思で選択した大きなことでした。口うるさくてすぐに手が出る母は相変わらず怖かったのですが、進路に関しては何でも良いから大学へ行って卒業さえしてくれれば良いという扱いで、予想よりも干渉されませんでした。そして変わらず父の借金で家庭が経済的に困っている状況だったので、私が二年制の大学を選んでちょうど良かったとも言っていました。

私自身が大学と短大の違いや、家政学部で何を学ぶのかもよく知らずに進んだ短期大学の被服専攻というものは、予想以上に卒業が大変でした。短大の授業数は、四年制大学の四年分の内容を二年間に凝縮したような数で、特に被服学は手作業もあるので、授業で教えられたことを家で作って次の授業までに終わらせておく課題(宿題)が沢山ありました。もし進めておかなければどんどん置いていかれて、完成できず単位がもらえません。もちろん四年制大学は、もっと専門的な知識を高める時間があってより高度な勉強ができますが、短大だからといっても馬鹿にはできない内容でした。

そして「家族」という当たり前にある自分の環境も、自分の努力で離れることが可能で、もっと生きやすくなることが出来るのではないか?と真剣に考えて行動を始めた時期でした。

家族という集団生活がつらかった

私は家族と生活することを、とても苦痛に感じてきました。高校生になると、自分のことを家族にわかってもらうことは諦める方向へ気持ちを切り替えて、「自分のやりたいことができる自由な大人」になるためには、家族を離れて生活をする必要があると考えるようになりました。

幼少期からの虐待で家の居心地が悪かったこと、自分のペースで過ごせないこと、特に気の合わない家族に合わせて行動することがとても苦手だったからです。急にやってくるタイミングで急いでお風呂に入らないと怒られる、早くご飯を食べないと怒られる、それだけでも苦痛で常に急いで生活をする必要がありました。幼少期から「早くしなさい!」と母に言われ続けたことが、大きな要因だと思います。母に命令されたら、アニメの最後の30秒の大切な場面であろうが、すぐに従わないとひどい目にあってきました。幼い頃にトイレへ行こうとした瞬間に皿洗いを頼まれて、我慢をして洗いながら失禁してかなり怒られたこともありました。言われたらすぐにやらないと、無理やり引っ張って連れて行かれたり殴られたり怒鳴られたりで散々な目に遭うから、「命令されたらすぐに動く!」というどこかの国の軍隊みたいな生活をしていました。

いまでも「早くしなさい!」という母の声に支配されていて、銀行のATMやスーパーの精算機の使用など、人の目がある場所で急がなくてはならないと感じると、大きなストレスを感じてしまいます。最近一番イヤなのは、マイバッグを持ってセルフレジのお店へ行くことです。「ポイントをつけてもらう→セルフレジで精算をする→マイバッグへ買ったものを入れる」という三つのやることが重なると、順番を間違えないように早くしなくてはならない緊張感でパニック状態になります。うっかりバーコードを読む前の商品をバッグへ入れて注意されたり、精算が遅くて後ろの人にイライラされたり、精算を飛ばしてバッグへ入れて帰ろうとして警備員に止められた経験もあるから、余計にストレスを感じます。

発達障害の検査で自分の「処理能力」が低いことを知るまでは、「どうして周りの人のように早く出来ないのだろう?」と自己嫌悪を抱いて生活していましたが、いまは原因が解って少しだけ開き直って自分のペースで出来るようになってきました。それでもまだ周りに人が多いと、ポイントをつけることを諦めて、レジ袋を買って回避することも多々あります。自分のペースで精算機を使うと、機械に怒られたり、スーパーの従業員が使い方を教えに来てしまうこともありますが、いまは出来るだけ自分のペースを守るようにしています。

つまり、常に人のペースに合わせて行動する必要のある「家族」という環境は、トイレすら自分のペースで入ることが出来ず私にはとても辛かったのです。そして家族全員が個性の強いキャラクターだったので、それぞれに対して「怖い」という感覚も持ちあわせていて、怒らせないように機嫌を伺って緊張感と閉塞感を感じていました。

感覚過敏も集団生活が苦手な原因

さらに発達障害の人に多くみられる、感覚(聴覚・臭覚・視覚・皮膚など)がとても過敏で、明るすぎる部屋(暗いほうが落ち着く)、冷暖房で熱すぎたり寒すぎる環境(具合が悪くなりやすくモーター音も気になる)、大きなテレビの音(お笑い番組など展開が早くて騒がしい声に疲弊する)、大きな声や物音(怖がったり驚きやすい)、人や食べ物の臭い(私は父の臭いが嫌い)、急に話しかけられる(ビックリする)といった、自分の意志では改善できないことが苦痛でした。

特に「一番怖い人」である母の、せっかちでイライラして雑に物を扱う生活音、大きな声、暴力的なところ、さらに傷つける言葉を使うのが妙に上手いところが一番の苦痛でした。私が中高校生になると、母は殴る蹴るよりも言葉で貶める(おとしめる)方法を多く取るようになっていました。言葉というものはどうしても深く心に刻まれて、深夜にその言葉をいわれた理由を考えて不眠の原因になっていました。

短大へ通いながら家族から離れるために決めたこと

将来どうしても就きたい職業や夢は具体的に無かったのですが、子供の頃から唯一人より褒められることが多かった音楽に関わる仕事をしたいと考えていました。ただし何をするにしても、自分でお金を貯めて実家をでることだけは絶対に決めていました。そのまま家族と生活をし続けたら精神的に辛くて、自分を保てなくなると感じていました。特に母とは、物理的な距離を取るのが一番良いと考えました。そして私の性格や好きなことをよく見直してみると、海外のほうが生きやすいのではないかと感じて、当時日本では学べなかった音楽療法を勉強するための留学を目標にしました。日本の学校はルールが多すぎて、受け身の授業ばかりで、もっと自由に表現ができれば私でも良い成績が取れるかも知れないとも考えていました。

親は借金もあるし、高校生から何度も留学には反対されてきたので、家族から費用を出してもらうことは考えられませんでした。短大へ通う途中、二年もかけて卒業することを無意味に感じ、音響の専門学校へ移りたいと相談したこともありました。母からは、「短大を卒業してくれたら何をしてもいい」と泣きながら言われて我慢しました。もちろんそれはその場だけの言葉で、その後も私のことをコントロールしようとするところは大して変わりませんでした。しかしそれを信じて、短大を卒業するまでの二年間を我慢しながら200万円の貯金を目標にアルバイトをたくさんしました。

毎日ギッチリつまった短大の授業にでて、バイト・課題(宿題)・試験勉強、そして高校から続けていたバンド活動をする日々でした。マルチタスク(複数のことを同時に進行すること)が苦手な私にとっては、自傷行為のように感情を殺してやることを増やしてしまい、余計に苦しんでいたと思います。でも長いこと家族関係で悩み心が壊れた状態だったので、目標に向かって一生懸命になることで「自分だけの平穏な時間」を作り、「自由な未来を自分で作ること」を生きる目的にしてバランスを取っていたのだと思います。

いまも昔も、私の考える「自由」とは『自分の意志で決めることができること』を意味しています。

短大の生活で自分の発達障害を疑いだした頃

小学生の時、両親が私の発達障害の検査を検討したことがありました。専門医へ通うのが遠いこと、通っても治るものではないという会話が薄っすらと残っている程度でした。しかし成人前後には自分の凹凸の特性もわかってきて、やはり自分には発達障害か何かがあるのではないか?特に多動とか自閉、学習障害といったことには当てはまるのではないかと自分を観察するようになっていきました。

しかし30年前のことですからインターネットで調べることもできず、一般向けの情報も少ない時代でした。多動は男性に多いと言われていたし、子供でも発達障害の検査が可能な病院も少なかったです。幼少期に診断をされなければ、大人の女性が診断を受けることはかなり少なかったのではないでしょうか。成人するまで、誰にも発達障害だと言われなかったのだから、違うだろうけれど何かが人と違う、という感覚を持っていました。

苦手な制服から解放され、私服が楽しくて通学を忘れる

女子大では他大学のサークルに入る人も多く、トイレやカフェには男性ウケの良い服装でひたすら鏡をみてお化粧直しや髪のセットをしながら大声で騒ぐグループがたくさんいました。私一人が男っぽいライダースや古着を着て浮いていましたが、好きなものを着ることができる私服の通学はとても楽で楽しかったです。特に高校の制服までは決められた長さのスカートでしたが、私はパンツの方が好きなので、それだけでも落ち着く感覚がありました。自分が着たい物にアクセサリーや靴やバッグを合わせて、慣れないお化粧もして髪型も考えて…となるので、準備時間がうまく管理できず、肝心の講義に間に合わないことが多かったです。着けたり脱いだりが楽しくなって、他のことがどうでも良くなってしまう感覚で、結局学校へ行かないことも多々ありました。忘れ物が多いことを自覚しているから、慎重に確認しすぎて荷物の準備に時間がかかるし、逆算して動く時間管理も苦手だし、疲れやすいしで、部屋も私の心もいつもぐちゃぐちゃでした。

発達障害の衣服へのこだわり

発達障害の衣類へのこだわりは、感覚が過敏なことも原因の一つです。繊維や内側にある表示フダがとてもチクチク感じたり、靴下の締め付けに耐えられなかったり、シャツの第一ボタンをしめるのが苦痛であったり、服の重さや色形が気に入らないと外出先で耐えられなくなって脱いだり、今であればマスクが耐えられなかったり、他の人からしたら我慢できると思われるような事が辛いのです。女性であれば女性らしい服装やスカート、下着の締め付けが苦手な人も多いです。

私の場合は男性的な服、ゆったりめの暗い色の服装が落ち着いて好きです。衣類や下着を買ったら、すぐに内側の表示フダをハサミで取ります。衣類を選ぶ際には、ゆったり目の着心地と手触りの良さ、首まわりがキツくて気にならないかを重視して、なるべく実店舗で確認して購入しています。いまは無印良品の、表示フダが何もついていないTシャツをインナーにしたり、男性用のサイズの大きな靴下を履いたり、楽に過ごしたい時はカップ付きのタンクトップを着けるなどの工夫をしています。

また発達障害からくるこだわりが強いためか、洋服の合わせ方に納得するまで外出できません。やることが多くて準備に集中できないのか、過集中になってしまうのかわかりませんが、幼少期から洋服を着ることや出かける準備に時間がかかります。ボタンを間違えずにかけるような作業も遅く、慎重にかけても間違えてしまいます。天候や気温を考えて、組み合わせを考えることも必要です。やることが多いので、手順がわからなくなって着たり脱いだり散らかしたりして混乱し、途中でカバンに入れる荷物の準備をしだして逃避したりします。

さらに私は左利きと右利きが混ざって、余計な動作が多いです。針に糸を通す時に左利きになったり、ボタンを左手でかけていたり、細かい動作やとっさの動作で左手を使います。おそらく元は左利きで、幼少期に道具を使うのを右利きで教えられたからだと思っています。どちらの手を使うか混乱して止まり、行動が遅い原因にもなっています。

「左利きと発達障害」の関連はすでに研究されているので、ネットでも様々な情報をみることができます。右脳と左脳の使い方の違いが、脳の発達にも影響しているそうです。左利きの場合は、右脳が発達しやすい代わりに左脳の発達に時間がかかり、一般よりもやや言語の発達に時間がかかるようです。もちろん発達に時間がかかるだけで、最終的な言語能力が劣るわけではなく、決して左利きがネガティブなことばかりではないことは皆さんもご存知だと思います。

顔と名前が覚えられないからあまり友達もつくれない

短大にもクラスがあり、被服学には2クラスありました。横浜市と東京23区で育った私は、大学で初めて地方出身の同世代の人と接することになりました。大学でも、内部の中高から進んだ人と外部出身の人のグループで別れていました。さらに地方から来た寮に住む人達、ブランドものを持つ派手な人達、近県の公立高校出身の実家から通う真面目な人達という風に、いつの間にかくっきりとグループが出来上がっていました。そういった暗黙の了解のようなことに気がつくのが、私は遅いと思います。自分から声をかけられないので、すでに出来上がったグループへ入るようなことはできません。そして友達が作りにくい理由の一つが、人の顔や名前を覚えられないところだと思っています。

高校までも、卒業するまで顔と名前が覚えられない人がクラスにいました。短大のように選択授業があると、毎回会う人が同じではないので余計に顔と名前を覚えられませんでした。だから短大でも入学してすぐに隣の席に座っていた外部の人をまず覚えて、その人と卒業まで一緒に行動していました。その子は夜のお商売のバイトをしていて、朝が苦手で妙にマッタリした雰囲気のところが心地よかったです。二人とも学校で親しい友達を作らず、バイトを優先したいから学校で会うだけの程よい関係で、気が合っていたのだと思います。

発達障害の人には、人の顔や名前を覚えにくい人も多いようです。私は視力の悪さや色覚異常もあるのが原因かもしれませんが、フワッと全体の雰囲気と声で人を覚えます。毎日会うような興味があるはずの恋愛関係にある人でも名前が出てこない時があり、顔も覚えられないです。名前は何年もかければ出てきやすくなりますが、顔を思い出そうとすると恋人や家族や親友であっても写真でみた顔が目に浮かびます。お笑い番組や映画やドラマに出てくる人の顔が識別できず、名前と一致せず、なんの話なのかさっぱりわからないことが多々あります。

名前はあだ名をつけて覚えることが多いのですが、本人の前では使わないように気をつけて、頭の中で変換してから名前で呼んでいます。基本的に親しい人は、間違えないように全員「あなた」と呼ぶことで回避しています。犬猫も、「あなた」と話しかけていることがあります。

私は検査も診断も受けていないので詳しくわからないのですが、「相貌失認(そうぼうしつにん)」といって人の顔が覚えられない脳の病気があるそうです。私にもその要素がすこしあるのかもしれないと思っていますが、単に顔以外のことに興味が強くて、集中して見ていないだけかもしれません。俳優のブラッド・ピットさんも、似たようなことを話しています。

いまも雰囲気の似た知らない人に間違えて声をかけてしまったり、思い出せずに名前で呼ぶことが出来ないで困ることもあります。でも自分が困ることよりも、周りの人の方が迷惑かもしれません。挨拶をしない失礼な人だと思うだろうし、初めて会うみたいなことを言うし、ひと間違いや名前を間違えていると思います。一般の会社で働いていた頃は、電話や会議をする前に相手の名前や共通の話題として言われそうなこと、大事な話したいことを忘れないように先に書いて用意していました。名刺の裏には、性別や特徴、話した内容を書き込んで思い出しやすいようにしていました。面接をする側のときは、写真で覚えていました。

短大の授業中にもあった、歩きたくなる強い衝動

私は発達障害の検査を受けて、幼少期から典型的なADHDであることがわかりました。学校の先生にも「落ち着きがない」「おしゃべりが止まらない」「集中力がない」と言われてきました。動いてはいけない場面で動いて怒られるので、自分は子供っぽいと感じていました。今でも何か思いつくと、どうしても誰かに話したくて我慢できなくなったり、笑ってはいけない場面で妄想してニヤニヤしてしまったり、人と会話をしていても途中で関連した事が頭の中でふくらんでしまって相手には無反応にみえたりしていると思います。自分が診断を受けるまでは、発達障害がどういうものか詳しく知らず、診断を受けて改めて思い返してみると「あれはADHDのせいだったのか!」と納得がいくことが沢山あります。

特にADHDでよく言われる、「授業中に突然あるき出す」という特性は自分には無いと思っていたのですが、よくよく思い返してみると怖い先生に怒られた経験があるから我慢していただけのようです。幼稚園は自由に歩きだしてもあまり怒られませんでしたが、あきらかに小学生の頃はソワソワして歩き出したくて仕方がない衝動を我慢していました。動きたい衝動を我慢するために、足をバタバタしたり、貧乏ゆすりをしたり、身体を前後左右にゆすって発散していました。誰にでもあることだと思っていたので、「みんな、よくバレずにアレを我慢できるな」と思っていました。

短大二年生の時には、初めてその事を人に話していました。「授業中に歩きたくて仕方がない時って我慢するのがキツイよねー」と言ったら、「え?そんなこと私には無いよ」と言われてビックリしました。無いわけがないと思ったので、さらに「トイレに行きたいわけじゃないんだけど、とにかく教室から出たくなることない?」と聞き直しましたが、それも無いといわれました。随分落ち着いた子だったので、「そういう人も居るんだな、アレが無いなんてうらやましいな」と思って納得してきましたが、どうやらそれは私のADHDの特性だったようです。

女性の発達障害が早期診断されにくい原因の一つは、私のように人の目を気にすることや我慢することで、発達障害の特性を隠そうとすることが多いからだと言われています。もちろん、本人には隠しているという自覚はありません。以前怒られた事があるから我慢したり、変だと言われたくないからとりあえず面倒なことにならないように同じようにみせているだけです。衝動性や苦手なことを周囲の真似をして誤魔化すので、家族であってもなかなか気が付かないのです。特に女性同士は、違うことをする人へ厳しい面があります。個人的には、物事を性別(産まれた性で別けること)は嫌いですが、女性同士の同調圧力の強さは生物学的に女性として生まれた発達障害の人の行動に大きな影響があると感じています。もちろん日本人全体の同調圧力の強さも、近年まで日本人の発達障害が診断されにくかった原因の一つだと思っています。

また当事者が発達障害というものを知らず、自分の対人関係で困っていることや勉強の悩みで「他の人と違う原因がある」と気が付かず、自分を責めて我慢しがちです。言葉や表情で上手く感情を表現できないことも、原因だと思います。

私は大人になってからも寝る前にソワソワしてベッドからでること、仕事中に座っていられなくなること、会議中に席を立つこと、映画館で途中で廊下に出るなど、自分にとっては「気まぐれな性格からきている」と思う行動が続いています。毎回、同じ感覚で動くのではありません。その時によって、「気分転換をしたい」「一人になりたい」「つまらないからその場を離れたい」「とにかくいま動きたい」など違うのですが、一言で表現すれば『居心地の悪い感覚が強い時』に動きたくなります。楽しいときや夢中になっている時はその感覚になりにくいし、過集中になって全く動かないほどです。友人間や職場では、もともと私が自由に行動をするタイプだと周囲が認識してくれて寛容だったので、特に大きな問題になったことはありません。上手く誤魔化してきたので、それらがADHDの,「授業中に席を立つ子」という表現にあてはまる行動だと確信したのは診断を受けてからです。

海外ドラマを観て「もしかして私は学習障害?」と疑うようになった

日本で学習障害について広く知られるきっかけとなったのは、トム・クルーズが失読症で台本を読むことができないという話題だったかもしれません。そのトム・クルーズが出演している映画「レインマン」には、自閉症(サヴァン症候群)の主人公が描かれていて、自分のこだわりに似ていると感じたこともありました。道路を歩く時にあらゆる線を踏まないように歩くことに夢中で、車が来てもよけられないことがあったり、ちょっとした動作にも似たものを感じていました。

短大生のある日、深夜に課題の洋服を作りながらアメリカの「ビバリーヒルズ青春白書」というドラマを観ていたら、主人公の一人が「学習障害だから成績が悪い」といった話がでてきました。それを観て自分とそっくりだと思い、教科書を最後まで読めずに勉強ができない原因も学習障害ではないか?と考えるようになりました。当時はネットで情報を調べることができなかったので、本で調べたりその後も関連する記事を長年気にして読んできました。

私が発達障害の検査を受けた結果では、「おそらく学習障害ではないと思う」という診断で、学習障害の検査は受けていません。私の場合は単に集中力がないことが原因なのかもしれませんが、この頃から自分の学習障害の可能性を気にしてきたことが検査を受けたいと思う大きなきっかけの一つでした。

この連載でも「文章や教科書が読めない」という表現をしてきましたが、もちろん全く読めないのではありません。強く興味が持てる、読みやすいと感じる文章ならば早めに集中モードに入れます。私は医学・法律・哲学などに興味が強いようで、そのような本は読みやすく感じます。だから決して、「ひらがなが多ければ読める」という基準での読みやすさではありません。文章に読みにくさを感じると、絵本でも1ページ目を開いたまま進めなくなります。

私にとっては、本を読むことにも苦手なマルチタスクが発生します。興味が強く持てないと、「読むのが遅くて進まない」「どこを読んでいるのかわからなくなる」「同じところを繰り返し読んでしまう」「読むのに集中すると内容が入ってこない。内容を理解しようとすると進まない」「区切りを間違えて読んで、何が書いてあるのかわからない」「漢字やひらがなの読む順番を間違えて意味がわからなくなる」「すらすらと読めず、どくとくの句読点と抑揚のある読み方をするので中身が入ってこない」「常に(頭の中でも)声に出して読んでいるからスピードが遅い」「つまらないと他のページの絵や写真や結末が気になって何度も見てしまう」「思い込みで読み間違えて展開がわからなくなる」、といった理由で読み進められなくなります。

小学生の頃には、主にひらがなの「ち」「さ」「し」「を」などを逆さに書く、カタカナの「ツ」と「シ」「ン」を区別して書けない、「ょ」などの小さな文字を大きく書く傾向があり、小学校高学年の頃に何度も練習して書くことは間違えにくくなりました。逆さに文字を書くことを「鏡文字」といい、左利きや発達障害があると多いとも言われますが、一般に幼少期にはよくみられるものなので、脳の発達が進むにつれてなくなることが多いようです。文字の書き順は習ったことを守って書くのが難しく、好きな書き方にこだわってしまいます。

学校の授業はマルチタスクが発生して入ってこない

学校で、「先生の話を聞く」「教科書を読む」「黒板に書かれた文字をノートへ写して書く」といった複数のことを同時にやろうとしても、私は周りと同じスピードでは出来ませんでした。これが学校の勉強が嫌いで、授業を聞いても仕方がないと思う一番の原因だったと思います。学校は自由に席が決められず周囲が気になって、集中できない環境でもあります。

私が授業を真面目に受けて書いてみたノートは、中途半端に途中まで写した図や文章、ノートの罫線を無視して書きなぐった大小の文字、何度も書き直して消しゴムで真っ黒になって読めないところがたくさん、結局何が書いてあるのかさっぱりわからないノートでした。

大学は高校までと比べると、黒板やホワイトボードに書きまくる先生が少なくて、基本的には教授が自分で書いた本を教科書に使用して、話を聞きながら要点だけを本に書き込む授業が多かったので多少ついていくことができました。私は「聞き間違い」も多いので、高校まではスピードが早くて話も入ってこなかったのですが、大学はゆっくり丁寧に話す先生が多くて、プロジェクターやマイクを使うこともあるので聞き取りやすかったです。一般的な講義では席が自由に選べるので、自分で選んだ場所で落ち着きやすかったのかもしれません。

小学校からの授業も、教科書にちょっと書き込む程度で済むとか、どうしても教科書通りに進められない先生は要約をプリントで用意してくれると助かったのですが、なんであんなに黒板に書きまくりながら大声を出す?という疑問を持っていました。先生が文字を書きなぐる音、消す音、雑に消されて残った文字、チョークの粉、黒板を叩いて説明する音、すべて私は嫌いでした。いまは発達障害の子供が授業中に黒板の写真を撮ることを許可してもらえたり、タブレット使用を許可されるようですが、診断をされず困っていないと思われている子供が、「あなたは自分でノートに書きなさい」と強要されることが起きないことを願っていますし、授業にそのまま使えない教科書なんて早く改善したらどう?と思っています。

まとめ

成人前後、自分の苦手なことを客観視できるようになってきた短大時代のことを思い返してみました。この頃には、発達障害であるかわからないけれど、それっぽいところが多い人であるのは間違いないと意識していたことがわかりました。困ることが沢山あるけれど、それが人と比較して本当に困っていると言って良いレベルなのか?自信がないまま成長してきたからこそ、誰にも相談できなかったし、当時はもっと「努力」とか「頑張ればできる」とか精神論を大切にする時代でした。うつ病は「心の風邪」といわれていたし、精神科へ通う壁も高かったし、いろいろ今とは違う時代背景だったと思います。

この記事を書いている現在、発達障害の診断を受けてADHDの治療薬を服用して半年以上が経ちました。この間に私の生活環境も変わり、新たな人間関係もできました。私に発達障害があることを伝えてからスタートする関係は、私の人生で初めての経験です。その中で一番強く感じているのは、「客観的な視点で自分のことが説明しやすい」「周りの人の私への理解が早い」ということです。私に凹凸があることを前提にサポートもしてくれるし、自分も「無理をして苦手なことを頑張り過ぎず助けてもらえば良い」という安心感があります。感情や感覚を素直に受け入れて表現する練習もして、以前よりゆったりのびのびとした感覚で過ごしています。もうやりたくないことは無理をして完璧にやらなくてもいい、うまく出来ないことを隠さなくて良いんだと思っています。やれることを頑張って、ゆっくり周りの人へお返しできるようになりたいと考えています。

では次回からは、診断を受けずに過ごした短大生の時にアルバイトで事務職を経験し、その後社会に出てどのような悩みがあったのか、私の発症した発達障害の二次障害について、また男性と女性の発達障害の違いや大人になってから診断を受けることのメリット・デメリット、日常生活や仕事で工夫してきたことなどを盛り込んで紹介していく予定です。

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