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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

ブルー・ナイルという名の音楽的肖像画ーアルバムレビューでその深層に迫る!

スコットランド・グラスゴー出身のネオ・アコースティックグループ

皆様はブルー・ナイルというバンドを御存知でしょうか。スコットランド・グラスゴー出身。ポール・ブキャナン、ロバート・ベルの二名から構成され、1981年から30年以上存続しながらも、発表されたアルバムは4作のみ。生活の匂いのしない、抑制され透き通ったサウンドと歌声。そして異様なまでに美しいメロディー。日本においては非常に過小評価されている(と私は思ってしまいます)ブルー・ナイル。

彼らの音楽はとにかく美しいメロディー、成熟した歌声が印象的。そして面白いのが、大人びた雰囲気を濃く醸し出しながらも、その音楽はどこか少年のような純粋さを感じさせる空気感に仕上がっていることです。プリファブ・スプラウトやトーク・トークなど、ブルー・ナイルが現れた80年代中頃には儚げにもほどがあるような美しいメロディーを書き上げるバンドが多く存在しており、そういったバンドは「ネオ・アコースティック」「アート・ロック」と呼ばれ、当時とは表舞台の様相が変容した今でも様々な音楽愛好家たちに親しまれています。

現代においてはR&BやAOR、ファンク・ミュージックからヒップホップまで、諸外国においても日本においても大人びたエッセンスを持った音楽が主流になってきました。そんな今こそ、ブルー・ナイルは再び聴かれるべきではないかと思うのです。

私とブルー・ナイルとの出会い

私は父親のCD棚にブルー・ナイルのアルバムがあったことでその存在を知りました。
父親は無類の音楽愛好家です。決して音楽情報が豊かとは言えない鹿児島の田舎で、誰も知らないレコード・CDを収集していた父親のおかげで、私はブルー・ナイルを知ることができ、彼と同じように音楽を愛することのできる人間に育つことができたのです。後追い世代の私が恐縮ですが、今回の記事ではブルー・ナイルの各アルバムをレビューし、その美麗な肖像画の如き音楽の深層へと迫っていきたいと思います。

「A Walk Across the Rooftops」(1984年)

まだ開放的で若々しい感覚が残るファースト・アルバム。一曲目を飾る表題曲からして、既に普通のロック・バンドには持ち得ない感覚が宿っています。トランペットやベースが空間的に余白を与えられながら配置され、その中をポール・ブキャナンの歌声が切々と揺れる。AOR的なサウンドですが、幾分かアート的な気質を感じさせます。

続くのは屈指の名曲「Tinseltown in the Rain」。すっきりしたドラムス、静かにゴリゴリ打ち付けられるベースに少しばかりの躍動感。そして異様なほどに美しく研ぎ澄まされたメロディーに心が震えるような感動があります。当時のディスコ・サウンドの息吹も取り込んだようなリズムも良く、ダンスミュージックとしても清廉とした表情があり、今の時代には特に新鮮に映ります。

しかし現代に聴かれるべきは「Easter Parade」以降の三曲ではないでしょうか。
それこそ青に溢れるナイル川に潜り込んでいくような静けさでピアノが鳴る「Easter Parade」は、ビートを排した世界で個人の呟きを最大限の純度に絞り出した傑作。少しチープな感覚のシンセサイザーも楽曲の儚さとマッチしています。「Heatwave」はワム!の「ラスト・クリスマス」にも通ずる美しいメロディーが印象的。ラスト曲である「Automobile Noise」は、リズムマシンと工場の作業音のようなビートが交差する様に古い工業都市の幻影を見てしまいます。シンセサイザーの音色も実に雰囲気があります。そう、このアルバムはとにかくシンセサイザーの音色が良い!現代の方がシンセサイザーもリズムマシンも多様な種類があるはずなのに、どうにもこの頃の機器や使われ方の方が良い音に感じられてしまうのは、単なる私自身の懐古趣味的な感覚の表れに過ぎないのでしょうか。
ファースト・アルバムにして1980年代特有の狂騒的な感覚から遠く離れ、達観と哀愁に満ち溢れた世界を体現することに成功したブルー・ナイル。彼等はそこから5年の月日を辿り、より強力な作品を生み出します。

「Hats」(1989年)

本作こそ、間違いなくブルー・ナイルによる一世一代の傑作でしょう。
オープニングの「Over the Hillside」が静かに始まる様からして、美しく澄んだ空気が感じ取れます。ドラムはアルバム全体を通して完全にリズムマシンによる物となりましたが、メカニカルな感覚は全く無く、機械によるリズムであることによって一定のさざ波を繰り返すような独特なビート感が生まれています。現代のヒップホップ系の音楽など、さらにビートに対する感覚が進化した現代でも余裕で通じてしまうような気品ある鼓動。

2曲目となる「The Downtown Lights」で第一のピークポイントが訪れます。前作と比べて圧倒的にポール・ブキャナンの歌声に力強さが宿っています。いくつもの和音が重なったシンセサイザーの緻密な入り組みようにも打ち震えますし、ブルー・ナイルにしか作れないであろう強靭なメロディーがしっかりと届きます。終盤、オーケストレーションが盛り上がり、ポールの歌声がスパークしていく場面は映画的に素晴らしいです。

その後も名曲のみが並び続けるこのアルバムですが、個人的には「From a Late Night Train」がお気に入りです。完全なる好みの話ですが、こういうビートの無い歌に自分は凄く惹かれるのです。遠くで鳴り響く管楽器の音色の切なさ。重奏的ながら静けさが漂うオーケストレーション。つくづく迫る物があります。そこからさらなる躍動的なマシーン・ファンクの名曲である「Seven A.M.」へと繋がる様にもドラマ性を感じて熱くなってしまいます。

「都会的なサウンド」「大人の雰囲気」というような分かりやすい一言では片付けられないような、霧がかったスモーキーな感情表現。何を見つめれば良いかが一瞬で分かるような、単純にキャッチーな歌を聴きたくなる時も確かにあります。しかし、私はブルー・ナイルが生み出すような何層にも地層のある音楽にこそ光を感じます。

以上、このアルバムはとにかく名作です。今聴いても全く古びない音楽であり、現代の音楽に対してもより良い物を作り出すヒントを提示し続ける記念碑的作品と言えます。
ブルー・ナイルをどこから聴けば良いか分からないという方は迷わずこの「Hats」から入って頂きたいですし、AORやネオ・アコースティックといったジャンル名に馴染みの無い方にもお聴き願いたい一作です。

「Peace at Last」(1996年)

「Hats」から7年後のアルバム。幕開けの「Happiness」はアコースティック・ギターの爪弾きがまるで静かに眠りから覚めるようなドラマチックさ。難しいコード進行を使っている訳ではなく、言葉をたくさん詰め込んでいる訳でもない。大袈裟なアレンジが施されている訳でも勿論なく、しかし確実に何かが始まっていくような感覚を与えてくれるオープニング。そしてそれはあくまで良い予感の兆し。後半にはゴスペル調のコーラスも入り、夜が明けるような色の移り変わりを楽しめるとともに、ポールの歌声が切実な祈りとして響きます。

アルバム全体を通してポールがより自由かつ活発なフィーリングで歌唱を行っており、「Hats」に見えた翳りや、少し神経症的な哀感は払拭されています。打ち込みのリズムから生のドラムへと変化した楽曲も多く、そういった明るさやオーガニック性に違和感を感じてしまう方もいらっしゃるかもしれません。しかし私はこの変化もまた、表現の在り方として美しいと思います。

ベスト・トラックを挙げるならば、私はラストを飾る「Soon」です。アルバムで最もドラマティックで美麗なメロディーが聴けるこの曲。押し付けがましくない抑制されたアレンジで、哀感を少し含んだ旋律を表情豊かに紡ぐブルー・ナイル。隙のない佇まいとはまさにこのことでしょう。「Hats」における「From a Late Night Train」の流れを汲むようなピアノ・バラード「Family Life」も非常に美しいです。

7年というブランクに大きな意味を感じさせる、間違いなしの傑作です。聴いていてとても魂が浄化されるような作品である、という意味では「Hats」を超えている気もします。音楽に救いという物が確実にあると私が信じるのは、この世に生み出される何万作ものアルバムの中に、この「Peace at Last」のような作品が存在しているからです。是非お聴き下さい。

「High」(2004年)

8年越しのアルバムにして、2021年現在での最新作となります。今作発表後にバンドのキーボーディストであったポール・ジョゼフ・ムーアが脱退。一つの区切りとなる重要作です。
一曲目は「The Day of Our Lives」。前作「Peace at Last」の朝方のようなどこか爽やかな雰囲気から、再び翳りのある世界に戻っているような感触です。音は若干現代的な輪郭のある物になっていますが、この空気感は明らかに「Hats」の再来です。

アルバム全体を通し、一息ついて安心させられるような気品のあるメロディーと音が鳴り響いていますが、一方で時代の進化にもきちんと追いついています。
Broken Loves」という曲は少しジョージ・マイケル的モダンR&B感を薫らせていますし、「Soul Boy」はシャーデーのような密室的なファンク/ネオソウル系の楽曲。名作「Hats」と地続きのメロディーを紡ぎながらも、「High」には当時、1980年代には存在し得なかったニュアンスが込められているのです。

私のお気に入りはアルバムのラストを飾る「Stay Close」です。オーケストレーションが重層的に漂い、ポールが歌い始めるこの空気。これこそブルー・ナイル。
静かに同じコードが反復され、抑制の効いたムードの中に激しさを注入するような音の世界。最早ある種の悟り切った眼差しすら感じます。7分台の楽曲ですが、一切長さを感じさせません。この楽曲でアルバムを締めくくることにもメッセージを感じます。

このように、「High」もまた道を一切外さない傑作となっています。
一貫して聴きやすい音楽ですが、日本における派手な「J-POP」「J-ROCK」の在り方とは真逆の位置ですし、日本で彼等がなかなか評価されないのはこの抑制に抑制を重ねたムードの醸し出し方による物なのだろうか、と思いもします。
是非とも今一度、聴き直されて欲しいブルー・ナイルの傑作!是非お聴き下さい。

「Mid Air」(2012年 ポール・ブキャナンのソロ作品)

ブルー・ナイルの現時点での最新作は前述の「High」ですが、その後ポール・ブキャナンがソロ作品を発表しています。タイトルは「Mid Air」。これもまた彼の音楽を聴き進める上で絶対に外せない作品となっています。

アルバム製作中に親友を亡くしたという背景があり、メジャー調の楽曲が多く並びつつもそのアレンジは声・ピアノ・少量のオーケストラといった最小限の形でまとめられ、極めて内省的な音楽となっています。
切々と鳴り響くスローな楽曲、ポールのいつにも増して憂いを帯びた歌声に、どうしようもない喪失感が滲みます。14曲ともアレンジ、曲調にきっちりと統一感のある流れ。アルバム全体を通して一曲であると示すような感触もあります。
このアルバムに、個人的にはフランク・シナトラの1955年作「In the Wee Small Hours」を思い起こします。ここでのポールはまるでかつてのシナトラのように、さも張り切って歌っているように演出しないような自然体の歌を歌い上げています。

このアルバムに勝手にキャッチコピーを付けるならば、「憂いを意識すればこその、実感に満ちた救済の音楽」と記したいところです。ポールが喪失感・孤独感といった負の感情から一切逃避せず、真剣に向き合った結果生まれたのがこのアルバムなのだと思います。日常の騒がしさに疲れている方には、ブルー・ナイルの諸作と合わせて是非とも聴いて頂きたく思います。

ブルー・ナイルの音楽は時代の遺物ではない。消費とは縁遠いエモーションがある

以上、ブルー・ナイルにまつわる5作のアルバムを御紹介させて頂きました。皆様のお気に入りとなるような作品はありましたでしょうか。

ブルー・ナイルが鳴らす、重層的な感情に満ちた音楽。それは今の音楽家たちにはなかなか体現ができない物だと思います。現代では歌詞もメロディーもアレンジもとにかく分かりやすく、派手に飾り付けを行った音楽が求められているのが現状です。作品のリリースペースや、リリースされてから消費されていく流れも年々生き急ぐかのように早まり、ブルー・ナイルのような一作一作の純度を極限まで上げて発表するアーティストにとっては生きづらい社会のように思えます。

しかし、私はブルー・ナイルのような音楽が時代遅れであるとは思いません。むしろ潜在的には、ブルー・ナイルが作り上げるタイプの重層的・複合的な、美しいメロディーを丹念に紡ぎ上げるような、職人的な音楽こそが求められているのではないかと思うのです。簡単に消費できない類のエモーションをこそ、深層心理の奥深くに人々は求めているのではないでしょうか。
是非、ブルー・ナイルの音楽を聴いてみて頂きたく思います。何か発見がある、ということを私が責任を持って保証致します。

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