イメージで記憶することの限界
大人になると書き取りのテストがあるわけでもないので、漢字の記憶も感覚に頼りがちです。曖昧な記憶をごまかすため、一画一画をぼかしてみたり。
久しぶりにテレビ中継で見たサッカー日本代表の試合で、画面に表示された監督名に私は驚きを隠せなくなりました。
🇯🇵 #日本代表 🇯🇵
#森保監督 が #東京五輪 メンバー選考理由を語る。基準は個の強さと「チームのために走って戦える選手」
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— サッカーダイジェスト (@weeklysd) June 22, 2021
ざっくり
コロナ禍のスポーツ中継
ワールドカップアジア2次予選
6月15日(火)に行われたカタールW杯アジア2次予選の最終戦、日本代表vsキルギス代表の試合は日本が5−1で勝利。最終予選進出を決めました。
テレビ中継のテロップ
テレビ画面左上には、カタールW杯アジア地区2次予選を示す文字と同時に、日本代表監督の森保一を冠としたおなじみの〇〇ジャパン表記、「森保ジャパン」もしっかりと表示されています。
W杯最終予選の組み合わせが決定!前半戦にアウェーが連続。”森保ジャパン”突破への道を読む(河治良幸) – Y!ニュース https://t.co/oV9k0R5fdR
— 河治良幸(ギャグ封印します) (@y_kawaji) July 1, 2021
サッカー代表監督
〇〇ジャパン
いつの頃からか、国際大会に選出された代表チームを、その監督名の前にジャパンを付け「〇〇ジャパン」と呼ぶことがお馴染みとなっています。その例にもれず、現在のサッカー日本代表チームも「森保ジャパン」と呼ばれています。
加茂周監督
古くは、日本サッカーがまだワールドカップに一度も出場できずにいた1998フランス大会予選の1997年当時、日本代表の加茂周(かも しゅう)監督のもと、ジャパン呼びはすでに始まっていました。
加茂監督は横浜フリューゲルスで「ゾーンプレス」と呼ばれる革新的な戦法を採用し、チームをJリーグの強豪へと押し上げた手腕が評価され、前任のファルカン監督を継ぐ形で日本代表監督として招聘されました。
🏟️🏕️里山スタジアムに対する岡田武史の想いを語る記事の最終回です。
改めて前編からまとめ読みもぜひどうぞ😉
心豊かになる交流拠点に【後編】岡田武史 #里山スタジアム 誕生へ|FC今治 https://t.co/SZEkoQa1wH
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— FC今治 (@FCimabari) June 18, 2021
1998フランスワールドカップアジア地区最終予選
ワールドカップ初出場への道
1997年9月から始まった最終予選で、日本代表はウズベキスタン代表、UAE代表、韓国代表、カザフスタン代表と同組となり、総当たりホーム&アウェー方式で行われる3試合目までを1勝1敗1分け、勝ち点4の成績に留まっていました。
第3代表への道
当時、アジアの代表枠は3.5しかなく、ストレートに本大会出場を決めるには2つに分けられた各グループで首位になることが条件でした。
この大会、日本の同グループでは韓国が勝ち点を積み重ね独走状態となり、2位以下を大きく引き離す形で首位での本大会出場を確定します。
日本が出場権を得るにはグループ2位となり、別グループ2位とのプレーオフで勝利し、第3代表となるしか道は残されていませんでした。
岡田武史監督
日本代表は前の大会でも、最終予選終了間際の失点で、ほぼ手中に収めていたワールドカップ初出場の権利を失ったという過去がありました。
国内では低迷する成績を理由に加茂監督に対する風当たりが強まり、日本サッカー協会は監督の解任を決定。後任として、岡田武史ヘッドコーチを監督へ昇格させる人事を決定しました。
ジョホールバルの歓喜
この大会、結果的にアジア代表は4カ国が出場することになりましたが、日本はマレーシアで行われた別グループ2位イラン代表との第3代表決定戦に勝利し、初のワールドカップ本大会出場を決定します。
当時、岡野より速いと称された、ピッチ上の選手へ猛ダッシュする岡田監督の背中をテレビ画面に見ながら、日本全体が未知なる戦いの場であるワールドカップ本大会出場の喜びに、浸っていました。
[ジョホールバルの歓喜] 日本 vs イラン 1998フランスワールドカップアジア最終予選1997 プレーオフ ハイライト https://t.co/HpXKB0YZjN @YouTubeより
メンツ最高、中田上手すぎる。ダエイ、アジジ、マハダビキアも最高。
でもやっぱ一番は実況の”お母さんも来ている”
— kei229 (@kei__ninniku) June 30, 2021
FIFAワールドカップカタール2022
2002日韓共催
そんなワールドカップも、日本は2002年に韓国と共同開催の形でホスト国を務め、2006ドイツ、2010南アフリカ、2014ブラジル、2018ロシアと、各大会で立て続けに出場し、今ではアジア枠の出場常連国となりつつあります。
森保、損保
2021年6月15日、民法地上波で放送されたキルギス代表との試合で、日本は着実に得点を重ね勝利をほぼ確実なものとし、終盤を迎えていました。
その時、安堵してテレビで戦況を見つめる私の目に、ある見慣れた文字列が飛び込んできたのです。
「……ジャパン、…保ジャパン、……」
私の脳裏に2つの言葉が錯綜し、ふと、こう思わずにはいられなくなりました。
「森保ジャパンと、損保ジャパンは、違う」。
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FIFAワールドカップカタール2022
アジア最終予選組み合わせ決定
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𝙂𝙍𝙊𝙐𝙋 𝘽
🇯🇵日本
🇦🇺オーストラリア
🇸🇦サウジアラビア
🇨🇳中国
🇴🇲オマーン
🇻🇳ベトナム@FIFAWorldCup #WorldCup #AsianQualifiers #jfa #daihyo #SAMURAIBLUE #新しい景色を2022 pic.twitter.com/wU0l1E2dWH— サッカー日本代表 (@jfa_samuraiblue) July 1, 2021
まとめ
普段から目にすることの多い漢字を、頻繁に目にするばかり映像として記憶に定着させてしまうと、その記憶の確かささえ、疑う機会を失ってしまうものです。
その夜の代表チームの試合は、私にとってまるで数年ぶりに目にするものかのように映りました。
世界中に蔓延した感染症のため、国際的なスポーツイベントを以前のように自由に組むのは、今でも難しい状況にあります。
保険会社として加入者の財産への損害を守るのが損保ジャパンなら、森保監督も代表チームの要として選手を見守るという意味で、両者には似ているところがあるのかもしれません。
「森保」が「損保」。
そう見間違えてしまうほどの久しぶりの映像に、その日は、ジャパンが戻ってきたことの感慨にふける夜となったのでした。
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