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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

ポジティブが必ずしも良いとはいえない理由

メンタルヘルスの問題との共生

心の傷やトラウマ…誰でもかかえている辛い経験があると思います。
私も両親から虐待や性虐待を受けて育ったためか、幼い頃に親友が目の前で事故死したためか、強盗にあったためか、長いことPTSDや抑うつなどメンタルヘルスの問題と向き合う生活を送っています。来年50歳になりますから、メンタルヘルスの問題をかかえる者としては、まぁまぁ長い歴史をかかえています。

頑張ってポジティブになることは大切なのか

過去には我慢をして頑張り、無理をしてポジティブになり、過去に縛られずに今を生きる、と思い込ませてきた結果、大きく心身が壊れてしまったのだと思います。
粉々に壊れたものを無傷の元通りにするのは、とても難しいと感じています。
いまは必ずしもポジティブでいることが良いとは考えず、ネガティブな面も受け入れるのが人間らしいと思っています。

記憶を塗り替えてしまう人間の能力

私が病院で治療を受けるようになってからは15年ほどで、決して長くはないと思います。
でも治療を受けるまでの幼少期からの長い年月で、フタをして思い出さないように、感じないようにしていた期間のほうが本当はもっと辛かったのかもしれません。
小学生の頃からすでに自殺願望や自分を責めて涙が止まらずに眠れない夜が多く、メンタルに問題があったと思います。しかしそれらを家族に話したところで、余計にひどい目に遭うことは目に見えていました。
誰かに助けを求めれば?といわれても、私の幼少期に児童相談所なんて言葉は聞いたことがありませんでしたし、代わりに警察がきても私が怪我をしても上手く誤魔化し続ける大人たちから、「自分が何をされているのか」ということでさえも、ハッキリと認識ができていませんでした。
「自分が大切にされていると思いたい」という意識が、「あったことを無かったこと」にして本当に記憶を変換してしまい、何年も経ってから事実を鮮明に思い出す事が多々あります。
その際も、思い出した記憶が本当にあったことなのかどうかに自信が持てず、よく検証するようにしています。

実家をでることだけを目標に生きた10代

中学生くらいになると、早く親元を離れることだけが自分の人生を生きる手段だと考えました。

学校へ通いながらお金を貯めて株で増やし、成人した卒業後に実家から離れたところへ自費で引越しました。
一人で引越し先や働くところなどを全部決めてから、家族へは引越しの一週間前に伝えました。反対しようが、家出でかまわないと思っていましたが、何も教えずに出ることまでは出来ませんでした。離れても、私が思い通りにならないとストーカーのように着歴を残したり、怒鳴り声や脅すような言葉が留守電に残っていることがありましたが、突然目の前に現れる心配がない距離に居たことで、心はとても楽になりました。
疲れやすく週末は寝込んでしまったり、フラッシュバックで嫌な感情が湧いたり、電話の声で落ち込んで自分を責めたりすることもありました。
しかし社会に出て様々な普通の大人たちに出会い、過去のことは自分が悪いことが原因ではないと認識できたことが一番の救いでした。そして愛情を受けて育った人達に出会って一緒に過ごすことで、過去を忘れていくようになりました。

心療内科受診のきっかけは身体の痛み

30代の始めに婦人科系の手術を受けた頃から、摂食障害、突発性難聴などストレスから来る病気を起こすようになりました。離婚して、とても忙しい時期でした。
私が心療内科で治療を受けるきっかけは、背中の激痛でした。
ある晩、背中の強い痛みで横になることができず、呼吸で身体が伸縮することもつらく、内科で心臓の病気と診断されました。ニトログリセリンを使用しながら、痛みを我慢して仕事を続けていました。そのうちに喘息もあると言われました。苦しくて歩けなくなったり、声がでなくなって動けなくなったりして、会社の人が車で自宅に送ってくれたりしていました。
しかし何ヶ月も経ってから、「メンタルの問題からきているようだ」と心療内科を紹介されました。
心療内科で出される薬を飲み始めると、幻聴や幻視が始まり、自分でタトゥーを入れたりリストカットをするようになりました。すぐに強制入院になりました。

多剤投与で薬物依存やアカシジア状態

ほとんど何をしたのか記憶も残っていないこの15年ほどの間、大量の薬を飲む状態が続いています。ひどいときには一日に30錠を超える数を飲んでいたと思います。
摂食障害の治療といわれて入院したら、ほぼ薬物依存の治療だったこともありました。薬物を身体から抜く治療は、まさに荒療治でした。
アカシジアのような状態で、何ヶ月も徘徊していたこともあります。理性はあるけれど本体は発狂したような状態が続き、とても辛い症状です。5年経っても症状はまだ完全には消えず、再発することが何よりも怖い症状です。

他の人と比べないほうが楽

年齢を重ねて図々しくなった面も多分にあるかと思いますが、若いときよりも今のほうが自分らしくいることを大切にできるようになったと思います。基本的に人と自分を比べるという考えが、ほぼありません。
病気の回復もメディアで扱われる人の多くが数ヶ月で復帰するように見えて、自分が何年も同じところに居るのを悲観する時期もありましたが、今はそうは思いません。
入院をすると、「私のほうがこんなにすごい」といってマウントしてくる人にも遇いますが、病気の原因や症状、回復は人により全く違って当たり前だと思っています。

 何もできない時は、何もしない時と認めてあげる

何回繰り返しても、抑うつ状態のときは何もできなくなる自分のことがとても嫌になり落ち込みます。しかしメンタルの病気も他の病気と同じように、「何もしないでゆっくり休む必要がある病気」と考えると良いと思っています。
『いまは自発的には何もしない時期』と開き直り、たっぷり眠ることだけを意識します。
もちろん涙が止まらずに将来の具体的な死に方を考えたりしますが、これは私の思考のクセなので、長くても何ヶ月か後にはベッドでゴロゴロしながらストレッチをしたり、マッサージをしながら考え事をしたり…と少しずつ動けるようになっていきます。
渦中にいると冷静に客観視をすることは難しいのですが、心の片隅に「このままずっとではない」という言葉を置いておくだけで、自分の良くない状態が多少楽に感じる要素になります。
そして生きるあいだを少しでも気分良く過ごすには、医師に治療を任せるだけではなく、自分でも心地よい生き方を探ることがとても大切だと感じています。
自分の全てを理解できる人は、どこにも居ないのです。

カウンセリングの有効性

私のような病状にはカウンセリングが有効だと考えられるのですが、私は過去に3名のカウンセラーと上手く行きませんでした。
私は自分の過去を話すことに抵抗がなく、友人にも話して相談してきたので、傾聴だけで「話せてスッキリしました!」という感覚はありせんでした。特に最初の2名はジッと見たまま頷くことも相槌もなく、一人でずっと話し続けるのがとても不自然に感じました。

最後のカウンセラーには、『死相が出ている。死ぬ前の人の顔をしている』と言われ、その言葉が頭から離れなくなり、本当に死のうとした経験があります。以来、カウンセリングには慎重になっています。
認知行動療法に関しても、その3人目のカウンセラーが一回だけ、市販の本を白黒コピーしたものを用意してそれを読んで矢印通りに進むということをしました。「えっとね、あなたは‥ライオンさんタイプですね」とかいう動物占いのようなことを言われ、あっけにとられてしまいました。翌週には元の傾聴でカウンセリングを始めたので、認知行動療法はやらないのかと聞いたら、「あなたには認知行動療法は合いません」と言われました。
いつか信頼できるカウンセラーに出会い、安心してカウンセリングを受けることができる日がきたら、ぜひ受けたいと思っています。

まとめ

心地よい生き方は、人により違います。
一人で過ごす時間が楽な人、一人で過ごす時間が苦手な人が居るように、心地よさに正解はありません。その時の気分によっても変わって当然です。
いまは自分のポジティブ・ネガティブ両方の心身の声に耳を傾けて受け入れながら、日々を無理なく心地よく過ごせるように、と思っています。

頑張らず、少しずつゆっくり模索する。ほどほどのポジティブさで充分なのかもしれないと思っています。

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