知ってるようで知らない、色覚の異常について
「物を見る」という機能は、視力・視野・色覚の3つの機能に支えられています。その中で人間の色の見え方・感じ方(色覚)は、個人が持つ遺伝子のタイプによって異なり、また老化や目の疾患によっても変化します。色覚の異常がある人には先天性のタイプと、なんらかの病気からなる後天性があります。呼び方も、色盲、色弱、色覚異常、色覚の異常、色覚障害者…様々なものが混在し、いまは「色の見え方の個性」という、まどろっこしい呼び方で配慮されているようです。現在「色盲」は、日本眼科学会では使用廃止されています。「全てが白黒で見える」と誤解を受けるからです。以前、色盲と判別された人も完全に白黒で見えるのではなく、カラーで見ている方がほとんどだそうです。
私は先天性の強度色覚異常2型2色覚です。以前は色盲という表現をされていました。女性にはめずらしい、強度のもので進行性でもあります。日常生活では不便だらけです。以前からネット上でも調べていますが、私の見え方を的確に表現しているものに出会った事がありません。個人差が大きいのだと思います。今回は色覚異常がある人も、どれだけ工夫をして不便な生活をしているのか、ぜひ知ってほしいです。
ざっくり
色覚の異常について
眼科で配られた資料によると、先天性の色覚の異常だけでも日本人男性の5%、女性の0.2%の頻度で起きています。つまり日本では300万人以上が該当し、色覚に異常を持つ人は意外に多いのです。身近な人にもいるはずですが、理解が浅く誤解の多い病気だと思います。色覚の異常は、病気なのです。人によって同じ色覚に異常がある人でも見え方が違うことや、免許取得が出来るのかどうかを知っていますか? 女性でも先天性の強度色覚異常があり、色が判別できない人がいることを知らない人や、伝えても「日常生活には不便がないんでしょう?」と言う人がほとんどです。私は色が判らないために様々な苦労を強いられてきました。意地悪もされました。でも経験の積み重ねで、なんとなく区別する方法や、誤魔化す術(すべ)を身につけてきました。
色が判らない…経験しないと解らない不便と心の傷
「え?これ緑だよ、色盲なんじゃないの?」子供の頃から、何度もウッカリ色の話をして、言われたセリフです。幼い頃はそこで黙ってしまいました。とても馬鹿にした、傷つく言い方だからです。それを理不尽に思った私が使い始めた方法は、「え?違うよ、色弱!」と言い切ることでした。すると相手は非常に居心地悪そうにして黙ります。相手の知識のレベルはその程度です。もちろん色に関する話になったら、なるべく会話に口を挟まないようにもなりました。
色が判らないので配慮してほしいことを伝えても、少し知識のある人ほど「日常生活には不便がないんでしょう?」と言います。その「不便無いんでしょ?」という言葉のあとには、「見えてるんだし、色まで付いてるんだから大して困らないでしょう」という心の声が聞こえます。いえ!苦労していますし、不便もしています!怪我もします!と言いたいです。
失敗と挫折の数々
幼稚園の授業参観の日のお絵かきでは、グレーのものをピンクで塗りつぶし、「恥ずかしい思いをさせやがって!」と母に罵倒されました。それからは色鉛筆やクレヨンに色の書いてあるものは、しっかり読んでから使用して、それが出来ない時は一度使った色を元に戻さず別けて置くようになりました。全色から同じ色をまた選択することが難しいからです。
小学校で最初の挫折は、一年生理科の実験です。花の汁を絞って塗った紙を火であぶり、色が現れるまでの変化を書いて提出する時でした。全く変化が判りませんでした。初めてのカンニングで乗り越えました。
光の加減で黒板に書かれる文字が全く読めないことも多く、全体的に授業についていけなくなりました。白いチョークでも全く読めないことがありました。読めても時間がかかるのです。幼い頃は本人でさえ理解していなかったので、不便を訴えようがありませんでした。色がからむと比較したり確認に時間をかける分、大変急いで生活しています。
色で判断するゲームは、基本的に出来ません。それ以外のモニターを観るゲームも、すぐに疲れてモニター酔いします。
大人になってからも、たくさん失敗しました。いや、もっと不便に気づきました。
タイツの色を間違えたり、靴下を左右違う色で履いてしまうことは多々あります。気をつけて慎重に選んでも間違えます。ボタンも掛けにくいです。布地に開いているボタンホールが、なかなかみつかりません。
焼肉屋さんやバーベキューでは、焼き色の判断が出来ません。みんなに焼いてあげる、気の利いた女の子になれません。病気の説明をして、場の空気を重くしたくないから、バレない方へ私が逃げることを選ぶ場面が多かったと思います。
大人になると余計に桜や紅葉、花火の本当の色ってどんなに綺麗なんだろう…と思うシーンが増えました。道端の土と落ち葉と、犬の糞の違いが判らないで踏むこともあります。
コンクリートや木の階段の段差、高さの感覚が判らずに、落ちたり転んだりして足を痛めることは多々あります。駅の階段では端に寄り、ゆっくり手すりにつかまって降りるようにしています。時々、途中で怖くて足がすくみ動けなくなります。駅といえば、路線図も上手く読めないです。
食材が上手く選べないですし、食品が傷んだり腐っているのかも色で判らないです。鼻炎だから臭いもよく判らず、二重苦です。でも料理は好きで、勘で作ります。
自分で野菜を作っても、雑草と芽の区別も、色での成長の判断も出来ず、庭を雑草だらけにしてしまいました。
インターネットで色を選択する買い物では、何度も失敗しています。なるべく色を教えてくれる人と買い物をするようにしてきましたが、いまはそういう相手も身近にいないので、最近自分が着ている服すら何色か判らずに着ています。黒と思っていても、他の色だと気づかずに着ていると思います。
病気で血尿になっても判りませんでした。いつか血便になっても全然気づかないでしょう。
もちろんこれは、私の見え方の問題です。色盲や色弱といわれた人も、それぞれ違う見え方だと思っています。
LEDの色が判らない
大きな不便として、LEDで充電が完了したのか充電中なのか、状態も全く判らないことです。製品によっては充電中は点滅、完了でライトが消えますが、色の変化で教えてくれても判りません。なぜ、よりによって一番判断できない色で作られるのだろう…表示方法が統一されないのだろう…。故障にずっと気が付かず、途方に暮れることもあります。説明書を読んだりサポートに電話しても、何色にライトがなっているかを聞かれて伝えようがないのです。
LEDライトの白くて明るい色も疲れて苦手です。眩しさで色味の判断がつかなくなるので、夜は暖色系のライトで過ごします。パソコン作業や携帯の画面はなるべく明度を下げますが、頭痛がしたり疲れやすいのは、人より判断がしづらいのも関係あるかもしれません。
信号機もLEDになってすぐの頃は、見え方に慣れず周りに合わせていました。白っぽくて、夕日の反射などで判断が出来ないこともあります。運転免許は、試験で信号機の識別ができれば取れます。歩行の際も色で判断するよりは、どこが明るいかで判断する割合が高いと思います。白線が見えないこともあり、周りへの責任も考えて運転をやめました。
検査を無くし職業の制限が少なくなる一方、認知がされづらくなる
私が小学生の頃、日本では健康診断で石原色覚検査が必須でした。たくさんの丸で出来た絵を見せられて、何が書いてあるか言ってください、という検査です。読めない数が多いと、別室のようなところへ連れて行かれ、簡単な説明をされます。そして眼科へ行くように言われます。
その後日本でも差別を無くすために検査が強制でなくなり、以前は制限されていた職業も一部受験が可能になったようです。海外では色覚検査自体、全く行わない国がほとんどです。たしかに私も絵を描いて、個性的と評価された事も多々あります。モネやゴッホが色弱だったという話もあります。しかし果たして「個性」というくくりで見逃すことが、色覚に異常がある人にとってプラスになるのか、私にはわかりません。知っている方が自分を守れる場合もあったし、知っているが為に人と違うことがどんどん増えて傷つき、将来を悲観しました。
LEDを含めた電子機器の色の判断、新しいテレビで映る色の見え方など、配慮が必要なことが多い問題だと思います。
色覚の異常に対して冷たい社会
色覚に異常があると、職業の制限もあります。時代の流れで変化しているようなので、詳しくここでは触れないでおきます。特に色の識別が命に関わる職業を選択する前には、医師や専門機関に相談をすすめます。
私は中学一年生の時、美術部の先生から三冊の色覚の異常に関する本を渡されました。「あなたにはなれない職業があるから。知っておいたほうが良い」と言われ、渡されました。難しい専門書だったので全部をしっかりとは読みませんでしたが、特に「就けない職業」の書いてある章は、念入りに何度も読みました。私のなりたい職業もそこにあり、絶望しました。
ユニバーサルデザイン、私には全然優しくない
信号機の色の部分に、バツ(✕)が付いた物が色覚に異常がある人のためのユニバーサルデザインらしいです。初めて見た時、突然強烈にいつもと違うものが目に飛び込んで来たので、とっさの判断が必要な運転中、非常に動揺しました。「通行禁止?それとも工事中??進んでいいの??見間違い???」とパニックになりました。気をきかせて新しいことを導入するならば、その事を確実に知る手段が欲しいものです。一度見かけただけですが。
他にもユニバーサルデザインの商品があります。特に活用したいほど良いものに出会ったことはないです。自分が経験して得た工夫の方が役立ちます。
眼科医ですら判らない世界
私は子供の頃からたくさんの眼科で色覚に関するテストを受け、話を聞いてきました。他の科の先生でも、とても興味を持ちます。でも私が大きく便利になるような知識があるわけではありません。眼科でも根本的には昔と言うことが変わらないというのは、研究者が少ないからだと思っていました。出会うのは、解らないことが多いから色々知りたがる医師か、適当に勉強で得た知識を言って流そうとする医師です。
一部の眼科では、光で判断しづらくなるのを緩和するため、色付きレンズを使用した眼鏡やサングラスの使用をすすめてくれます。冬でもできるだけサングラスをしたい程です。元々色はあまり関係ないですし、見えているのは暗いハッキリしない世界なので、目が楽になるのはとても便利です。私は近視性乱視という病気も持っているらしいので参考になるか判りませんが、茶色の色付きレンズに度をいれた眼鏡を長年愛用していました。理解のない人には、いつも色眼鏡でガラの悪い人間だと思われていたと思います。
好きなことが色を扱うこと…辛い職業の選択
私は諦めきれず、好きな服飾デザイン系の学科へ進みました。様々な場面で現れる色の識別で、大変苦労しました。染色やしみ抜きの実験まであります。細かいレポートは自力では書けません。
色彩学の試験では「色弱だから判りません」と解答用紙に大きく書いて、無事に単位をもらえました。他の科も教授や友人にサポートしてもらい何とか卒業できましたが、あまりに苦労が多く色を扱う職業は諦め、違う世界に入りました。
その後セル画の仕事を少しした以外は、色を扱う専門職は避けていました。セル画は色指定があるので、番号で一人でもできる仕事です。ただし、どの職業でも日常生活と同じく、色の認識が必要な場面がありました。パソコンの時代になると、その場面は余計に増えました。
今すぐ色を扱う仕事は辞めなさい!と言い放った医師
メンタルヘルスの問題が悪化してからは、母の亡くなる前と重なり仕事も出来ずにいましたが、入院の際にOTで経験したレザークラフトが先生に評価され、再び色を扱う仕事に就きました。周りにサポートしてもらい、大きな問題は無かったのですが、私の目にどのように見えているかを周りに伝えたいという気持ちが高まりました。もっと的確に仕事をするには、自分を知りたいと思いました。色の再現力もないからです。
まずは近所の眼科クリニックへ行って検査を受け、相談しました。いつものように簡単な説明がされただけでした。ドライアイ用のプラグを入れる手術まですすめられました。新しいことは何もなく、意味がありませんでした。
その後、色覚の異常を調べる内、都内の御茶ノ水の病院に「色覚外来」という専門外来があることを知りました。専門科なのでホームページ上では、最新の検査器具が紹介されていて、生活のためのカウンセリングもあり、とても期待して行きました。結果的には、先に行った眼科クリニックと全く同じレベルの検査しかされませんでした。石原色覚検査表と、木のブロックを色のコントラスト順に並べるパネルD-15テストの2つです。結果も当然同じです。女性では非常に珍しい、非常に強度の色盲と言われました。さらに『生活しやすくなるためのカウンセリング』という場での専門医の心無い言葉に驚きました。
「今すぐ色を扱う仕事は辞めなさい!あなたがどんなに努力しても、色を扱う仕事は出来ません。他に仕事はいくらでもあります!」「あなたがどのように見えるかを、人に伝えることはできません。無駄です!」
病院を出て駅へ戻る途中でその女医のキツイ言葉で傷つき、号泣してビルの隙間に隠れて泣きました。ちょうど有名なデザイナーさんから一緒に仕事をしようか、という話のあった時期でした。彼女は「サイケデリックな世界に見えてうらやましいわ。メンタルヘルスの問題もきっと良くなる」と言ってくれましたが、もう海外に行って勝負する自信は皆無になりました。いままで受けて来た大きな傷に、後ろ足で砂を掛けられた気分でした。
上手く付き合いましょう!となぐさめてくれた医師
鹿児島に来てからも、色覚の検査をする機会がありました。眼科へ行くと、問診票に書くことになる「色弱」という文字に医師が興味を持ちます。なのでアレルギーや眼鏡の相談で新しい眼科を受診する度に、同じ検査を受けます。新しく出会った眼科医も、女性では珍しい話しでとても興味をもっているのが伝わってきました。先の御茶ノ水の病院で言われたことも伝えました。
大きくて立派な病院で2つの検査をし、色のついた木を並べるパネル検査の結果を、グラフでみせてくれました。ここまで興味をもった親切な先生は初めてでした。
「おっしゃる通り、女性では珍しい強度の色覚の異常です。今は見え方の個性と言いますからね。一生治らない病気だから、上手く付き合って行きましょう。色を扱う仕事が絶対に出来ないとは私は言いません。個性ですからね」といってくれました。光に弱いことも、色々なレンズで見え方を調整してもらいました。
この医師は、疑似体験で色覚異常の人たちの見え方を体験したことがあると言っていました。私が実際の見え方を細かく説明したら、「大変勉強になりました!今まで会った患者さんの中で、あなたが色覚の異常について一番良く理解していて意識が高いです!」と褒めてくれました。前の病院で掛けられた砂も、ずいぶん落ちました。東京の専門医なんかより、よっぽど良い先生です。
でも意外でした。結局、当事者たちも大した問題にしないで生活できるため、研究しても需要の少ない病気だから余計に進歩が遅い、ということのようです。私が勉強するのは、自分の病気の事を誰よりも詳しく知りたいという、当たり前の理由からです。
世間に出回っている見え方の情報は全く当てはまらない
色覚の異常に関するさまざまな場での情報・説明を目にする度に、私には当てはまらない、と思います。
私自身、他の人の見え方を経験したことがないから断言しづらいのですが、インターネットで色覚の異常について調べていると、大抵の見え方の表現が私と異なります。おそらく色覚に異常がある方が書いているものも、異常のない医師や研究者が書いているものもあると思いますが、読んでいて「そうそう!そうなの!!」と頷けるものがないのです。それだけ人によって微妙な見え方の差異があるのではないかと思います。眼科学会が「個性」と表現するのならば、医師が人の個性を数種類にカテゴライズするのは変だと思います。
色覚に異常がある人にとって嬉しい変化
ずっと以前のことで記憶があいまいですが、自宅でも仕事でもマックを使用してきた私が、初めてウィンドウズで色指定パレットをマウスで指すと、色の名前が表示されました。ものすごく感動しました。CMYKやRGBの比率でもありがたいのに、だいたいで良いから判るって素晴らしいと思いました。これこそユニバーサルデザインというべきだと思います。
色がわかる色覚補正眼鏡について
色覚に異常があるひとのための色覚を補正する眼鏡があります。人生で初めて色のある世界が見られて、感動する姿を撮ったYouTubeなども多くあります。
私も試したものがあります。多少コントラストがはっきり、エッジがかかった感覚で見えます。適当な表現かわからないけれど、蜷川実花の世界、という感じでしょうか。フィルム写真でいうと、フジフィルムではなくコダックカラーに近い感じです。
私が出会った眼科医たちは、色覚補正の眼鏡には否定的です。正しい色が見えているわけではない、変わって見えるだけだ、と。私も目への負担を考えると、使用は避けたほうが良いと思いました。まるで強い老眼鏡をかけたようになって歩けないです。度付きの眼鏡すら、感覚が変わってしまうので、かけたままでは怖くて歩けないです。
色が判るアプリ
携帯でレンズをかざすと色が判る「色彩ヘルパー」というアプリがあります。初めて使用した際は、嬉しくて家中の物の色をみました。柱の色とか、木の色の違いに一番興味があったようです。iOSのみのサービスのようですが、本当に感動します。色覚に異常がない人も、職業で色を使用する為に比率も判り便利だと思いますが、普通に見えたら面倒なだけでしょうか。
アメリカでのことしか知識が無いのですが、色覚に異常がある人も堂々とデザイン職をやっています。ディズニーにも、様々なデザイナーにも、たくさんいます。医者や戦闘機のパイロットにはなれないかもしれませんが、多くの人が工夫して、表現者として活躍しています。私がもし子供の頃から知って傷つくことが少なかったら、「個性的でしょう?」と生きていけたかもしれません。
ただし生活上で怪我をしたり、運転で事故を起こす原因にもなりかねません。今後の日本で、色の見え方の個性の扱いがどう変化するのか、引き続き注目していきます。
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