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2024/4/10:フリーペーパーvol.97発刊!

母を思う小さな男の子の声まで封じなきゃ気が済まないの?

日本人はどこまで息を潜め静寂に努めなければならないのか

図書館や映画館、公共の場所で騒音を控えることは、利用する誰もが心がけるべき基本的なマナーです。バスの車内で携帯電話の呼び出し音が鳴らないよう、マナーモードなどの設定に注意するのも当然のことでしょう。

混み合ったスーパーの店内で、商品棚を都合の良い隠れブロックに鬼ごっこをしている子供たちを、親はしっかり指導しなければなりません。遊び場に不自由する昨今の事情も分かりますが、足の不自由な方、ご高齢の方も含め、他の客も子ども自身もケガをするおそれがあるのですから。

近ごろ、バスや電車など公共交通機関に乗車する子供の泣き声やはしゃぎ声に、苦情の寄せられる件が増えています。

苦情と遠慮

私が目にしたのは、スーパーの大きなビニール袋をいくつも手にした母親の姿でした。同行する男の子は、降車ボタンを押すにも不自由なお母さんを気づかい「お母さん僕がボタン押してあげるからね」と母親にささやいていました。

初めのうちは訳が分かりませんでした。男の子が話しかけるたびに母親が発する「シー、シー、…」という相づちの連続は、男の子が母親へ掛ける短い気づかいの言葉さえ「静かに」と、いさめるものだったのです。

福岡市西鉄バス・薬院駅前

地下鉄薬院駅の目の前「薬院駅前」バス停で乗車し、博多駅に向かう途中でした。車内は立ち客が数人いる程度で、座席は比較的空いている方でした。バスの降車ボタンは総じて余るくらい数多く並んでいますが、身長の低い女性でも無理に手を伸ばさず届くシート付近に一つも設置されていない車両も、よく見かけます。

男の子は、母親が降車ボタンに苦労する様子を何度も目にしているのか「お母さん僕がボタン押してあげるからね」とかすれるような声でささやきました。

母親は「ありがとう」と返事するより先に、まるで急(せ)くように「シー」、といさめます。その後、男の子が何を話しかけても「シー、シー、シー、…」と立て続けに制しました。

ただ、なんというか…母親のトーンには

「子供の声を親の私はきちんと注意していますよ」

といった周囲へのアピールが、如実に表れていました。

母親のそういった相槌がまるで日常茶飯事でもあるかのように、男の子も声を潜め少しだけささやき声で会話すると、黙ってしまいました。せっかくお母さんとバスに乗り買い物に出掛け、窓からの街並みを眺めながら楽しいお話のできる機会なのに。

鹿児島市・はーとぱーく

鹿児島市には、精神障害のある人たちを中心にさまざまな障害を持つ人たちが日常の相談事をもちかけ、当事者同士による交流の機会を提供する「はーとばーく」という市の施設があります。

23→20→(18…)

日本がラグビーワールドカップを自国開催する今年、日本代表の開幕戦が行われた9月20日午後8時頃のはーとぱーく館内でのことです。

夜の遅い時間に久しぶりに訪れた私は、誰でも利用していいテレビに電源を入れ日本対ロシアの試合を見ることにしました。テレビをつけて数分経つころ一人の職員が近寄り、「音量はそれ以上小さくなりませんか」と私に声をかけてきました。

館内でテレビを視聴する場合の音量のルールは、そのテレビの表示する目盛りで「20」以下とされています。しかし、私がそのとき出していた音量はその手前の「18」。規定の音量までまだ余裕を残す程度のものでした。

その時のテレビの音量を18より小さくすることは、私にとって別にどうでもいいことでした。すぐに帰ろうとも思っていたし、テレビというものはBS、地上波、番組の内容などにより、目盛りで表示された音量は同じでも様々に変化するものです。コマーシャルになると急に音が大きくなるのは、スポンサーであるCMが番組そのものより聞こえやすいよう配慮されているからです。

この施設が設定した「20」という音量も、今から5年ほど前までは「22」に設定されていました。しかし、この施設を常用する一部の利用者から苦情があり「20」までと下げられ、最近では許容されているはずの「20」すら常識のある利用者ほど遠慮して出さない傾向にもありました。

騒音の定義

それぞれの生活を穏やかに過ごすため、音の制御は重要なマナーです。ですから、些細なことと言わず音についてきちんと議論しルールを決めることは重要です。

必要な音

ただ、昨今の国内あちこちで起きている音や声に関する議論は、生活上やむを得ない場面においてさえ制御に向かう動きが強まっているように感じます。そして、その注意の向かう方向性が最近あまりにも的を得ていないという気がするのです。

心とルール

その場の多くの利用者を邪魔するような、意味もない大声や機器の大音量は控えなければなりません。しかし、周囲を気遣い声を潜めることさえわきまえた小さな子供の、車内の状況まで理解した上での「お母さん僕がボタン押してあげるね」との声にまで気を使わせてしまう、昨今の日本の過剰なまでの「気遣いの押し付け」は、ちょっと異常とさえ言えるのではないでしょうか。

なぜ、そのマナーか

そして、「なぜ」マナーを守るのかという部分についての合理性を欠いたものさえ、最近の世間では必要以上に蔓延しているように見えます。

公共施設の待ち時間で見るテレビの音量は気づかうべきものです。それは「無いなら無いで構わない」無駄な音量だからです。災害時に自治体が流す緊急情報や、音の制御を設けない自由な場における「適切な」音量は別にすれば、無いと困るような大きな音などほとんど無いのではないでしょうか。

しかし、降車時にボタンを押さなければ乗客はバスを降りることが出来ないし、子供が母親に自分の意志を伝えるためには言葉を発さなければ伝わらないでしょう。

だから、恐らくは事前に「大きな声を出したら嫌だと思う人もいる」ことも母親が言い聞かせているであろう子供に、母をいたわる声量さえ抑えさせなければならない昨今の無情なまでのマナー社会は異常だと言えるのです。

誰を守るべき

内容は異なるものの多くの人が同じようないたたまれない場面に出会った経験があるのではないでしょうか。

批判の正当性

なんでもかんでも苦情にして、写真に撮ってすぐにツイッターで拡散する。相手に反抗する手立てが無いと知った途端に好きなだけ延々と殴り続け、挙句の果てに謝罪をしつこく求める姿が、日本でもここ数年で加速しました。

今回バス車中で遭遇した事例が無益だと思う最大の点は、おそらくバス車内の誰もが男の子の声をうるさいなどとは思っていないこと。万が一おかしな苦情人間が車内にいて、自分の子供がわずかでも危険にさらされることの無いよう、母親があらかじめ用心させた愛情の姿が彼の小さな声だったということです。

誰のせい?

そして、そういう用心をさせたのは数人のわずかな執着性質の人間でありながら、そういった人間を生み出したのは私たちの小さな社会が宝として持ち続けてきた「寛容」が崩壊したせいであることを、すべての大人は知る必要があるでしょう。

誰を責めることも出来ないけれど誰もが自分の問題だと思い合うことでしか社会は変わらないということを、時間をかけてでも再び今から積み上げていくことでしか、この社会は改善していかないのではないでしょうか。

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