「King of Hobby」と呼ばれていたアマチュア無線
アマチュア無線という趣味があることをご存知でしょうか?
インターネット全盛の昨今、「何も勉強して免許とってまでやる価値があるのか」と言われると、40何年ハマっている者としてはミもフタもないのですが、文理系で国家ライセンスが必要な趣味といえばこれだけで、かつては「King of Hobby(趣味の王様)」と呼ばれていました。
その王様もNETのおかげで地に堕ちたものよ。
なんでもNETのせいにするのはよくありませんが。
映画「私をスキーに連れてって」が火付け役に
このアマチュア無線、無線工学と通信法規の試験があって、それだけでもおじさんの趣味だったのですが、ある時転機がきました。
1978年11月、映画「私をスキーに連れてって」が公開されました。三上博史、原田知世の美男美女コンビの重要な小道具としてアマチュア無線機が使われました。
免許をもっていない人は養成講習会に群がり、不合格だった人や、鼻から試験を受ける気のない人まで無線機を買い求めて帰ったため、一説には「次のスキーシーズンまでにアンダーカバーが3万局増えた」とかどうとか。
正規・不正規合わせて100万局を超えて「世界一の雑魚」とさげすまれ、海外の局によく聞きもしないでこっちから呼ぼうものなら「outside Japan!」と返事がきたものです。
アマチュア無線との出会い
前置きはこれくらいにして、私の話。
私がアマチュア無線と出会ったのは 小学校の学級文庫に担任教師が「初級アマチュア無線教科書」という本を入れたのがきっかけでした。ちょうどその頃から漫画雑誌にも通信教育の広告が出るようになり、母にせがんで教室にあるものと同じ本を買ってもらいました。
その頃の私はひどいいじめられっ子で、ひきこもりや不登校もしょっちゅうで、考えてみると私の病気は、そのころにはもう芽吹いていたのかもしれません。
小学生でアマチュア無線技士国家試験に挑戦!
当時試験は年2回。役所が学校の休みなんか考慮してくれるわけもなく、平日昼間にありました。受験することを担任にいえば話はその日のうちにクラス中に広がって、何を言われたりされたりするか分からないので、試験の3日前からよい子のたしなみとして不登校に突入。
試験当日は参考書と筆箱だけ持って指定された大学に行ったのですが、大学という特別な環境に押しつぶされて頭の中は真っ白。広げた参考書もなにが書いてあるのか、「オームの法則」なにそれ、「フレミングの法則」えっえっえぇぇ〜?
だめだこりゃと9割半くらい諦めて試験場に入りました。
問題も小学生にあわせてくれているはずもなく、情け容赦ない難問が。2時間の試験時間はあっと言う間に過ぎ去りました。
一生の友として
試験の合否のはがきが届くまでの2週間、朝から晩まで針のむしろに座っている気分でしたが、結果は合格!母にせがんで無線機を買ってもらい、父にアンテナを立てる許可をもらい、それから40数年。機械、アンテナ、運用スタイルは変わり、阪神大震災、中越地震、東日本大震災、熊本地震などの災害通信にも関わりながら一生の趣味としてつきあっていきたい思っています。
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