今回は、前回の第99話ーその2に続き、ベートーヴェンの人生について私なりに書かせて頂きます。
ベートーヴェンは自殺まで考えましたが、「メロディーは僕の耳にはっきり聞こえないが僕の指と心にはっきり聞こえている」と前向きに考えて作曲を続けました。
34歳の頃(1789年)、フランス革命以来、「ナポレオン」の名がヨーロッパ中に広まっていました。民衆の喜びや希望の為に生きている「ナポレオン」の為に「英雄」を作曲しましたが、ナポレオンが皇帝になった知らせを聞いて、楽譜を破りました。
その後、ヨガフィーネに久しぶりにお会いしました。ヨガフィーネへの熱い思いをかけて「熱情」の曲を作曲しました。ベートーヴェンはヨガフィーネに恋をしますが、上手くいきませんでした。
38歳の頃、ベートーヴェンは「耳の病気やかなわぬ恋。望んでいないことが、どんどんやってくる。これが運命」と言って、「運命」を作曲しました。それと同時に「作曲」しました。
45歳の頃、ベートーヴェンの弟(カール)が亡くなりました。
54歳の頃、「合唱」を作曲して演奏を行い大成功を収めました。
56歳の頃(1826年3月26日)、病気の為、ベートーヴェンは亡くなりました。
ベートーヴェンの勉強を実際にしてみて、私はベートーヴェンは耳の病気等、どんどん望んでいない事がやってきて色々な苦労と孤独の中で生きてきたのだなと思いました。
そんな中、どんな事があっても諦める事なく並外れた強い精神力で、作曲家・ピアニストとして生きていったのだなと思いました。ベートーヴェンの曲を練習したり聴いたりしていると、ベートーヴェンの生き様が伝わってきます。
ベートーヴェンは、「人々のために曲を書く時の方が、そうでない時よりも、ずっと美しい曲を書く事が出来る」をノートに言葉を残している事から、人に生きる喜びと勇気を与える事に幸せを感じていたのかなと思います。その点は、私の競泳選手の時と共通する部分があり、ベートーヴェンの事が好きになった私でした。
音楽があなたの人生の重荷を振り払い、あなたが他の人たちと幸せを分かち合う助けとなるように。
ベートーヴェン(ドイツの作曲家 / 1770~1827)
— BR@rhythm (@brhythm21) June 16, 2019
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