続、「頑張りなさい」の言葉を考える
車椅子で外へ出掛けると出会う、「頑張りなさい」などの言葉。
前回の記事「障害者あるある。『頑張りなさい』の言葉の背景を考える」では、その言葉の背景について考えてみました。
今回は前回とはまた違う、もうひとつの「頑張りなさい」に込められた思いをお届けします!
それは春の嵐のように…
ある日、信号待ちをしていると、肩を叩かれ声を掛けられました。
なんとも爽やかな人でした。
ただ…ひとりのときも楽しそうって、一体どんな感じなのでしょう(笑)。
無意識に口ずさんだり、笑ったりしているのでしょうか。
声を掛け、わたしを見掛けると嬉しくなると話してくださったので、きっといい感じなのだろう!と納得しています。
言葉を受け取る側の思いもそれぞれ
この「頑張りなさい」の言葉と対応も、人によってはあまり良い気分にならないかもしれません。
しかし、通りすがりの人に声を掛けられやすく、なにかと目立ちやすい車椅子ユーザー。
そんな自分の存在をプラスに捉えられたように感じて、わたしは嬉しかったです。
そして、なにより笑顔で話し掛けられたこと。
(どんな思いがあるにせよ、見ず知らずの人に泣かれると心が沈むものです。)
わたしを見て、他の移動がむずかしい人へ思いをはせられたことにも、あたたかな気持ちになりました。
出会いと言葉を大切に
正直、車椅子を使用して外へ出掛けることはまだまだ大変です。
物理的にも精神的にも何度、悔しい思いをしたことでしょう。
※その一部は、連載中の「GO!HI!」をご覧ください。
GO!HI!ゴーハイ的 合理的配慮な日常- | HIFUMIYO TIMES
https://1234times.jp/category/serialization/gohi
だからこそ、通りすがりに涙を流されたり、励まされたりすると「わたしのどこまでを知って言えるのだろう」という思いに駆られます。
前回の記事のような、幼い頃に掛けられた心ない言葉によって外へ出ることが恐かった時期もありました。
今回の出会いはわたしに対してだけではなく、「自分も頑張るわ」と伝えてくださったことで、これまでの出来事や言われてきたことも肯定されたように感じたのです。
同じ言葉でも伝え方、自分の価値観や状況で感じ方は変わるものです。
言葉に囚われすぎず、時に反面教師にしながら(笑)、わたしはこれからも車椅子ユーザーとしての生活を楽しんでいきたいです。