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障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される、この言葉の裏にある本当の障害

障害者 感動ポルノ

最近ツイッター上では「NHKのバリバラが日テレ24時間テレビに喧嘩を売った!」と話題になっているのをご存知でしょうか。

ひふみよタイムズでも取り上げましたが、”障害者を描くのに感動は必要なのか?“という誰もが多少なり抱いていたであろう、でもなんだか口に出しては言えない素朴な疑問を、障害者バラエティ「バリバラ」が生放送で当事者を交え討論番組を放送するとのこと。

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しかも、8/28(日)24時間テレビ放送日の裏で(笑)
当事者を交えてのガチ討論はもちろん、討論内容である24時間テレビの裏でやっちゃうというのもさすがバリバラ。

ところで「障害者=感動」の法則。この言葉を聞いて、2014年に行われたTEDでの「感動ポルノ」という言葉を使いプレゼンを行った難病を患う女性のことを思い出しました。

TEDとは
毎年大規模な世界的講演会を主催している非営利団体のこと。 TEDが主催している講演会の名称をTED Conference(テド・カンファレンス)と言い、学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう。

コメディアン兼ジャーナリストのStella Young(ステラ・ヤング)氏はTED 2014にて、健常者が感動を呼ぶために障害者を取り上げる風潮を批判する内容のプレゼンテーションを行いました。「感動ものポルノ」という強烈なインパクトの言葉を使って(笑)

障害者は「感動ポルノ」として消費される
みなさんも、両手のない少女がペンを口にくわえて絵を描いている写真や、義足で走る子供の写真を見たことがあるのではないでしょうか。
こういう画像はたくさんあり、私はそれらを「感動ものポルノ」と呼んでいます。
(会場笑)
「ポルノ」という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです。

彼女が15歳の頃、両親に地元のコミュニティメンバーから地域の「達成賞」にノミネートしたいと言われたそうです。唐突な出来事でした。
「とてもありがたいお話ですが、ひとつ明らかな問題があると思います。彼女は何も『達成』していないと思うんですが」
両親ははそう答えたそうです。

両親が言ったことはまったく正しかったのです。私は「ふつう」以上のことを何もしていませんでした。何ひとつとして。障害というものを、平均以下の状態であると見なさない限り、「達成」と言われるようなことは何もしていなかったのです。

さらに彼女は「私たち障害者が、障害と共に生きることが素晴らしいのだというイメージを作り上げてきた」と話します。

私たちが今までつき続けてきたこの嘘は、大いなる不正だと思っています。この嘘が、私たちの人生をつらいものにしているのです。「ネガティブな態度こそが、唯一の障害だ」というさきほどの言葉、あれは間違っているだけでなく、この社会における障害の捉え方なのです。
どれほど笑顔を振りまいても、階段をスロープに変えることなどできません。決して。

昨年、ダウン症の子供を持つ親御さんと偶然24時間テレビの話題をする機会がありました。
ということはちょうど一年ほど前ですね(はやっ)。

その際、「24時間テレビは嫌いだから見ない。ダウン症の子供ばかり出てくるし、わざと感動させているみたい」と曇った表情で感動もの扱いされる事に慣れた様子で語っていたのを覚えています。

ステラ・ヤングさんが「もちろん他の障害者の姿からいつも感銘を受けている」と語るように、感動ものとして映し出された障害者の世界からは、確かに感銘を受けるし感動し涙することもあります。

ただ、「障害者×感動モノ」の法則や「障害者を描くのに感動は必要なのか?」この疑問に対する答えは、バリバラで語られる当事者の声や、昨年聞いたダウン症のお子様を持つ親御さんの声の中にあるように思います。

http://logmi.jp/34434

via:logmi

https://ja.wikipedia.org/wiki/TED_(カンファレンス)

via:TED

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