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2019.06.10:フリーペーパーVol.39発刊!

両親虐待マルトリートメントが壊す子どもの脳

連続する虐待が子どもとその脳を壊していく

内閣府男女共同参画局の示す「ドメスティック・バイオレンスについての概要」には、DVについて「配偶者や恋人など親密な関係にある、又はあった者から振るわれる暴力」という意味で使用されることが多い、との記述があります。DVの加害者と被害者の性別について、男女どちらであるかについての記述はありません。しかし現在のところ、DV事例の加害者は、多数を男性が占めているようです。

ドメスティック・バイオレンス

DVは、英語の「domestic violence」の頭文字です。夫と妻どちらからの暴力であっても、DVと認められます。さらに、彼らに子どもがいて、一方の親がもう一方の親に暴力を振るう様子を子どもに見せるとき、それは面前DVと呼ばれ、虐待として認められます。

面前DV

DVを子どもに見せる行為は、児童虐待です。児童虐待防止法が成立した2000年、面前DVについてはまだ触れられていませんでした。2004年に同法が改正され、子どもへの心理的虐待にあたると定義されています。しかし、DVがそのように社会的に認識され、一般に関心されだしたのは、家庭内暴力の長い歴史から見ればごく最近のことです。

児童虐待

精神に関する専門職が、ほぼ精神科医しかいなかったような時代に、「ドメスティックバイオレンス」「ネグレクト」「トラウマ」などの用語は、まだ一般に馴染みのある言葉ではありませんでした。特定の用語については、まだ存在すらしていなかったでしょう。

必要とされる大人の知識

死にたいと思うほど苦しんでいる子どもが意を決して他人の大人に打ち明けても、社会的な認識の浅さからポカンとした表情をされるだけで何も通じないままウヤムヤになる時代がありました。精神的な苦痛は、時間が過ぎれば終わったことにされてしまいがちです。しかし、そういう泣き寝入りを何十年も強いられる環境にあったなら、記憶をつかさどる脳の一部である海馬が萎縮していくのも無理はありません。

面前DVの記憶

虐待の一種である面前DVは夫婦間の暴力であり、子どもに対して物理的な傷を負わせるものではないのかもしれません。「子どもは関係ないやろ、お前に言うとんのじゃ」との声が、私の耳に今でも焼き付いています。

私は、父から母への暴力を見ていました。砂糖を入れるプラスチックの容器が破損し、尖ったその破片が母の眉間に突き刺さっていました。頭から血を流して逃げ惑う母の姿を、小学4年生の私はどうすることもできず見ていました。「なんじゃあ、大げさやな、そがなもんほっとったらすぐ止まるんじゃ」という声も、一字一句たがわず覚えています。

連続する虐待事件

昨今多く発生し続けている児童虐待は、実の親が実の子どもを殺す事件として表ざたになっています。同じような事件が次から次へと何件も発生し、1週間前に起こった別の事件については、その後の展開について詳細なニュースを追うことができないほどの勢いです。

子どもが実の親に殺される事件に比べれば、私の場合はまだマシだったのかもしれません。私は生きているし。しかし、マルトリートメントの説に従えば、私の脳は、多くの部分が破壊されているのかもしれません。

子どもがDVを語れるか?

夫婦喧嘩と違い、ドメスティック・バイオレンスは暴力という一方的な犯罪です。言葉も、暴力も、性的暴行も、責任も取らず家庭に大量の借金を残すことも、同じく犯罪です。

音声や映像として表出する一般的な暴力に対し、暴力を振るう親の姿が「視野に入ってしまう」だけの家庭内の虐待のSOSを出すことは、心に蓄積するトラウマを言葉に変換し知らない他人に表現することです。それは、語いの少ない子どもにとって、あまりにハードルの高い難しい課題といえるでしょう。子どもの説明を理解するだけの知識や理解力を、大人も持たなければなりません。

依存者の根本的解決

「マルトリートメントをやめましょう」などという簡単な表現で、この問題が終わることはないでしょう。

もしも、加害者の更生まで考えるなら、暴力を廃絶し、DVを行う側の配偶者の「依存心」を立て直さなければなりません。そのためには、その人の社会的無力を本人に思い知らせ、激昂するなら激昂させ、それでも本人の価値の無さを延々と徹底的に知らしめる必要があります。

たとえベッドに縛り付けてでも、その面前で語り続けるのです。それが終わったら、その人を社会的に切り捨てましょう。そういう人は、孤独になってしまえばどこまでも落ちていきます。

責任を取らせる社会

本人の更生という意味では、そこから本人の努力による社会への這い上がりを待つわけですが、大体の場合実現しません。でも、無理なら無理で仕方ありません。自分で選んだ考えで自由に生きて、その結果である自分の人生の責任を自分で負うのは、当人にとって当たり前のことだからです。

私の父は66歳で、肺ガンで死にました。相変わらず賭け事への依存はやまぬまま、大量の借金を作ったまま祖父母の実家に引き取られ、死ぬまで親のスネをかじり続ける人生を送っていたようです。死亡の連絡を聞いて、私はまったく悲しくありませんでした。

千葉県野田市10歳児童虐待死事件

虐待は連鎖します。マルトリートメントとは「maltreatment、悪い扱い」のことを指します。千葉県野田市の小学4年生、10歳の栗原心愛さんが自宅で両親に殺されました。心愛さんが眠れないように、起立を強制し続ける行為は、まるで戦時中の拷問のようです。後の捜査で、さらに酷い虐待行為の連続が明らかとなってきました。虐待の恐れが高まっていると認識しているにも関わらず彼女を自宅に戻すと決定した児童相談所が、まるで機能していない施設であることも明らかとなりました。

虐待の構造

虐待は、虐待する人間が、自分の心の弱さや自分が社会的に無力で何ら必要とされていないという事実を認めたがらない自分勝手な現実逃避のはけ口を、暴力という形で罪もない他者に吐き出す行為です。

そのために、手っ取り早く身近にいる弱い存在を見つけ不満をぶつけることで、自分だけが一時的な安堵を得たいという利己的な依存行為にすぎません。

そんな人がそばにいれば、大人でも対処に苦労するでしょう。

児童相談所

都道府県、政令指定都市に主に設置されてきた児童相談所は、その後の法改正により設置カ所が増えています。政府は児童相談所の数を増やすと言っていますが、いくら数が増えても機能がおろそかなままでは、ハリボテの小屋に過ぎません。

DVと虐待は関連しています。どちらも大人の依存心、心の弱さが原因で発生するものです。しかし、心の傷は社会の中でどうしても発生するもので、発生自体は仕方ありません。

しかし、大人が自分で責任を持って自分の問題に取り組もうともせず、配偶者への暴力や子どもへの虐待にはけ口を求めることで、その後の長い虐待連鎖の歴史は始まってしまいます。

大人がやるべきこと

自分ではない他人に依存を繰り返した結果、なんの罪もない子どもの脳を破損するなんて、あまりにも自分勝手で残酷、無責任な行為です。

自分よりはるかに弱い子どもに、自分の不安と不満の受け手を押し付けるなど、大人と呼ぶことすらはばかられる稚拙な行為です。

同類の悲劇を起こさないためには、大人自身が強い心で適切な手順を踏み、自分の問題は自分で取りくむという習慣を身につけなくてはなりません。配偶者へは相談という形で冷静に対応すべきです。

行き過ぎた行為は警察なり児童相談所なりが役割に応じて早い段階で察知し、前もって事件を食い止めなければなりません。負の連鎖は、今ここで自分がその流れを止めると強く決意するところでなければ止まりません。

私には、自分の小さな子どもを自分自身の手で殺すような親の気持ちがどのようなものか、まったく理解できません。虐待により子どもの脳が破壊されるということは、人間が本来持つ自然な感受性をその子が失うということです。

虐待はやめましょう。この世から子どもが居なくなりますよ。

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