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2018.9.10:フリーペーパーVol.30発刊!

私「外出」出来ないのに……「当たり前」という言葉に含まれた孤独

皆さん「外出」について深く考えたことがありますか?
きっと、外出は生活において当たり前のことに組み込まれているでしょう。
しかし私にとっては外出が一大イベントになってしまう時期があります。

どうして外出が出来なくなるの?

事前に言っておきますが、私は引きこもりではないです。
ただ、外出すると様々なストレスがかかるために、病状的に困難なことだと、私はもちろん、主治医の先生にも言われています。

私が外出しにくいことを簡単に説明すると

「外出→疲れる→外出できなくなる→外出→疲れる→外出できなくなる」

の無限ループです。

そして自分の疲れ具合を自分で把握することがなかなか出来ないので、大抵疲れに気づかないまま帰宅をして、何も出来なくなるという情けないこともよくあります。
こうなってしまうと、用事がない限り一週間、二週間……と家から出ずに時が流れてしまうことも。完全に社会から切り離された生活をしなければならない時期が極端に長いのです。

気づいた時にはもう手遅れ

私は双極性障害といって、元気なときと不調なときの波があるので、体調が持ち上がっている時は大丈夫ですが、下がっている時はほとんど動けません。おまけに、体調が持ち上がっている時にやったことの負担が、不調のときに上乗せされ、ひたすらに沈んだまま日々が流れていきます。
なので、体調が崩れかける直前になって、

「あれ? 体調良かったはずなのにな?」

というふうになり、崩れ落ちていく時には、

「また、何も出来なくなる……」

という絶望を感じるのです。

そして、最初のうちは調子が良かったときの調子で行動するので、それこそ、
「外出→疲れる→外出できなくなる→外出→疲れる→外出できなくなる」
のループが気がつかない内に始まるのです。

出来ない……と感じる劣等感

私は現在の病気の発症が比較的早かったのですが、その時から、
「皆は当然のごとく出来ているのに、私にはとても出来ない」
ということがあり、
今だってこの「外出できない」を筆頭に、出来ないことがたくさんあります。

しかし外出については、当たり前どころか、それがあることが「生活」です。
そうであるのに、私はそれがなかなか出来ません。

これは異質なのでしょうか。

「当たり前」という言葉、そしてその感覚は、私にとっては本当に不確定で、それでくくりにされることがある。それは幾つもある。そう考えるととても生きづらく、
「そんなの当たり前でしょ」という言葉に、私は孤独を感じてしまうのです。