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2018.11.10:フリーペーパーVol.32発刊!

発達障害の子供をもつ医師として

先日、こんな記事を目にしました。
急拡大する「発達障害ビジネス」その功と罪 〜はたして、それは適切ですか?〜

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52401

『発達障害ビジネス』が急増しているという記事です。

たしかに、「発達障害」という言葉を聞く機会は増えています。Google検索の頻度もここ十数年で10倍程度に増えているようです。

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※この画像は2017年9月現在

「発達障害」でのトレンドリサーチはこちら

我が家にも発達障害の子がいまして、地元の小学校に通っています。そういえば、この小学校でも、5年前は支援学級は1教室だったのに、今はなんと4教室!に増えています。…子供全体の数は減少傾向なのに。

では、『発達障害』という障害が、ここ最近すごい勢いで増えているのでしょうか?いや、そうではないような気がします。むしろ、『昔から発達障害の子は居て、その数(率)は大して変わっていないが、一方で “発達障害” という障害についての一般社会への周知は進んだ、理解は深まった。(=診断の機会が増えた)』という方が近いような気がします。

その流れの中で、記事のような『発達障害ビジネス』が急増して来ているのだということですね。

今回は、この件について、親の視点、医師の視点、経済の視点、いろいろな立場からこのことを考えてみます。

親として

うちの子は今、普通小学校で、特殊学級と普通学級と半々の学校生活です。まあ、欠点を挙げればキリがない。聴覚が敏感すぎるのか、耳を塞いで教室から逃げ出すこともあります。友達との距離感が近すぎるためか、馬鹿にされるからなのか、クラスメイトとトラブルになることが多く、怪我をさせてしまった時は、親子3人で菓子折りを持って謝りに行きます(泣)。

……でもほんの一部かもしれませんが、長所もあります。例えばレゴブロックだったり、恐竜の図鑑だったり、好きな物に集中するときの集中力はすごいです(それも障害の一部なのかもですが(^^))。

そういうと、何か「発達障害」に特別な、すごい教育法でもあるのか、と思われるかもしれませんが、うちに限って言えばそういうものはありません。

ひとつだけ挙げるなら…無理に欠点を克服しようともせず、無理に長所を伸ばそうともせず、「自分は自分、ありのままの自分でいいんだ。それだけでお父さんにもお母さんにも、みんなにも愛されるんだ」。というメッセージを全身で伝えようと思っています。

そして、出来た時は一緒に喜んで、『君の力が伸びるとお父さんも嬉しいよ』ということを伝える。ただそれだけです。それだけなのですが、今は、好きな分野だと中学レベルの本も読んでいたりします(算数などは悲惨です。それはそれでそのうちなんとかなるかもしれないし、なんとかならなければそれでもいいと思っています(笑))。

流行りの言葉で言うと『自己肯定感』を育てる、というのに似ているかもしれません。ま、そういう意味では、この姿勢は3兄弟変わらず一緒だし、つまり発達障害がどうこうではなく、我が家の普遍的な教育法なのだと思います。

あと、近隣の方々、地域住民に決して隠さず、どんどん発信しています。『こういう子が地域に住んでいる』と知ってもらって、地域のみんなで理解して支えてくれたほうが、彼が生きやすい(そして親も楽(笑))かな、と思っています。

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近隣の方々と食事会。特に「障害」について説明するわけではありませんが、彼もこの輪の中に自然に溶け込んでいます。

医師として

僕は彼を治そうと思っていません。発達相談・療育などの支援は早いうちから受けていましたが、投薬などの『治療』は全くしていません。

発達障害についてはまだまだわからないことが多いのが現状ですが、今のところ『根本的な治療法』はありません。というか、治療の対象、と思うことすら僕は間違っていると思っています。多分、これは生来のもので、彼の個性です。たとえは悪いかもしれませんが、「ダウン症を治す」「陰気な性格を治す」という医師がいないのと同じ感じでしょうか。

いま彼に『治療』は必要だとは思いませんが*1、その代わり『周囲の理解(少し変わっていても別に気にしないよ、という理解)』と、それを補う『適切な支援』は必要だと思います。

そして、それさえあれば彼は多分今後の人生を、普通に一般社会で生きていけるし、十分社会に貢献できる存在になれると思います。

経済学の視点から

病気や障害は、ビジネスに馴染みません。これは「市場の失敗」です。「発達障害ビジネス」に関して言えば、問題は以下の2点だと思います。

・情報の非対称性

そもそも医療の世界では、医師などの「供給」サイドと、患者・家族などの「需要」サイドで、その医学的知識に大きな差があると言われています。つまり「医療」という商品(あえて商品と言います)については、供給側と需要側でその商品の価値・有用性の判断能力に大きな差があるということです。特に発達障害の世界は、本当にまだまだわからないことだらけで、医療者でさえ本当のところがわかっていない。そう考えると患者・家族の「需要」サイドにとって、商品の有用性・価値判断は、いっそう困難であることが予想されます。つまり「いい商品なのか、そうでもない商品なのか」、が判定困難な状態では「市場原理」は成り立ちにくい、ということです。

・『再現性の欠如』

「発達障害」を治療します・支援します、と言う時、通常それは長期にわたるトライアルとなります。そしてそれは、患者側にとって1回きりのものです。その効果も、それが通常の発達段階なのか、治療・支援のおかげなのか分かりにくい。
つまり、「発達障害治療」という商品は、人生で1回しか購入の機会がない商品、であり、しかも非常に個別性が強く隣人との比較が困難な商品、と言うことができます。結果、こういう商品については、どうしても売り手側の理論が強く反映されてしまいます。これでは市場原理は成り立ちにくい。

市場原理がなりたたない市場(売り手に優位性が高い市場)で、医療を自由に売っていいということになれば、売上は右肩上がりにどんどん増える…ことになりかねません。冒頭の『発達障害ビジネス急増』の記事の裏には、そうした経済学的な背景があるのかもしれません。

以上のことは、がん治療(代替療法など)にも当てはまるし、もっといえば、医療業界全体にも当てはまります。

もう一度言います、医療はビジネスには馴染みません。

医療はもっと謙虚に、『過剰もなく不足もなく、真に患者さんの人生に貢献できるもの』を目指すべきだし、もっと明確に『公』を目指すべきだと思います。

まとめ

『発達障害』については、まだ医学的にも良くわかっていません。根本的治療もありません。そして、その医療はビジネスに馴染みません。

彼らに必要なのは、『周囲の理解』と『適切な支援』だと思います。

『障害があっても、病気があっても、高齢になっても、地域のみんなで違いを認めあって笑って過ごすことが出来る豊かな社会』

そんな社会を考えると僕は、「出生率日本一の徳之島」や、「総合病院がなくなったのに健康被害もなく高齢者医療費を減らした夕張市」のことに思いを馳せてしまいます。そう、離島や僻地では、自然な形で『周囲の理解』と『適切な支援』が存在しているのです。実は、そんな社会は結果として、『低コスト』で『子育てに優しい(出生率も上がる?)』なのかもしれません。
それこそが、今後の人口減少・少子高齢化を迎える日本が目指すべきところなのではないか…。僕は今、そんなことを考えています。

森田洋之先生の意見はこちらに詳しく載っております。

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