昔、大きめの駅のキオスクの横などに「伝言板」があったことを覚えていますか?

待ち合わせに遅れたメンバーがいると、深緑色の黒板にチョークで「17時、先に行きます○○(人名)」などと記録して目的地に向かうのです。

遅れた人があとから来るのか、伝言を読むのか、読んで意味が分かるのか、すべて不明なまま先に集まったメンバーで行ってしまうのです。

友だちは遠くにありて近いもの

スマホもガラケーもPHSもポケベルもない時代、電話といえば自宅に据え置いたせいぜい留守番電話のみ。当人が自宅を出発していれば、もうそこに電話しても意味がありませんから、そうやってかなり懐かしいやり方で私たちは連絡を取り合っていました。

それで、こと足りていたのです。
そんな方法で集合できることも多かったと思います。

会えなければ

「昨日は会えなかったね。ああ、あのあとすぐ来たんだね惜しかった」

で、終わりです。
そういう距離感で付き合う友人関係が、めっきり減ってしまったと思いませんか?

GPSという束縛

スマートフォンのアプリには、相手が今どこにいるのかかなり正確に突き止めるGPS機能の付いたものがあります。

約束などしていなくても、友人が今どこにいるか、友人同士で把握し続けることができるのです。自分が今どこにいるか、常に知られているわけです。

GPSまでいかなくても、スマホでなくともガラケーでも、電話すれば繋がるし、メールして繋がります。

いまではカケホーダイプランもあるし、ラインなら文面をきちんとまとめなくてもおしゃべりするように連絡できます。

寂しくないですね。

旅や帰省で出会うだけの仲

私は学生時代に地元を離れていて、長期休暇で帰省するときは電車を利用していました。
主に特急列車です。

大学の後期が終了し、年末から来年度が始まるまでの長い休暇に入って地元へ帰省する特急列車の中でした。自由席は混雑していて、私の席の向かいに2人の学生が座りました。

彼女らは4年を終了するところで大阪から九州へ卒業旅行に来たとのことでした。
私は2年生だったので、彼女たちは違う大学の先輩にあたります。

乗っていたは九州山脈を横断する豊肥本線の特急列車で、当時その車両はかなり古い造りだったことを覚えています。特急なのに遅かったのです。

それで、大学で何勉強してるとか、どんなサークルしてるとか、ぎくしゃくした会話をしました。

九州の観光地とか、どこで何食べたいなどについては、明確に答えられたと思います。

もし今なら、メルアド交換するなりラインつなぐなり出来るのでしょうが、出回ってはいたものの携帯電話はまだそれほど普及していなかったと思います。

ちなみに、私は自宅に電話もありませんでした。
これは少数派でしたけど。

それで、一期一会が発生したわけですが、それを良いか悪いかの二者択一で考えなくても、そういう風情もあったよね、と思えることが今は、心の余裕となっています。

友人や親友という言葉では括れない、ちょっとした知り合い、仲間、という関係が当時、深い友人以外にたくさんいました。親しみの段階が多様にあったのです。

確かに、一期一会にしてしまわず、ちゃんと連絡先交換して友人になるなり仕事なら人脈を広げるという考え方も重要です。その一方で、今ここでしか対面できない人と話しているという心地いい緊張感もあると思います。

一期一会って、相手をより大切に思えるとは、思いませんか?