就職活動を短縮した「就活」ならぬ「終活」という言葉が普及しています。

人生をより良く終えるために、生きている間に何をすべきかを考える試みは今に始まったことではありません。

それでも、熟年離婚、高齢者の孤独死、貧困高齢者の問題など、核家族化の進行に伴う問題が増加し、を意識した生き方がより問われる時代になりました。

終活とは、死ぬことのみに焦点を当てたものではありません。
「死ぬ」ことは、生きることの最後に待つ、生命活動の一部と言えます。

死を考えるほどに、生きることを真剣に考えざるを得なくなります。そして、それはとても大切なことです。

終活は時期を問わない

まだ若いから死ぬことなんて考えなくていい、という考えも間違いではありません。
自分の人生ですから、どう考えてどう生きようと、何十年もの人生を何に使おうと本人の自由です。

まだ20代なら直近の生活をやりくりすることに必死でしょう。
それは決して悪いことではないし、当たり前のことです。

しかしもし、その忙しい時代から、最終的に自分は死ぬから逆算して今の時期に何をすべきか考えることができれば、「生」はより充実したものとなるでしょう。

両親祖父母が健在なら、死生観やその他、普段考えていることなど、遠慮する必要はないので話し合ってもいいと思います。世代ごとの生と死について、新たな発見があるかもしれません。

生と死は常に紙一重

仮に、自分がおおよその平均寿命である80歳まで生きたとして、その80年の間に死ぬ危険性がまったく無かったかというと、そんな人生を歩むことのできる人は滅多にいないでしょう。

どこかで偶然に、たとえば健康な身体が突然交通事故に遭って死んでしまうことだって、当然のようにあるのです。

その希少な現場に、たまたま自分は居合わせなかっただけ、とも考えられます。

肉体的な衰えによる生命の限度が例えば90年だとしても、生まれた瞬間から90年後までのどこで死ぬかなんて、誰にもわかりません。

昨今は、終活をアドバイスする職業の人もいて、遺言葬儀から法的効力を持たない「エンディングノート」や自分史まで、死を前にして準備すべきものを提案してくれるサービスもさまざま用意されています。

悔いなく生きるから悔いなく死ねる

これぞ終活、といった遺言、墓、葬儀等に関することでなくても、普通に生きている普段の生活の中にこそ、最も重要な終活は潜んでいます。

それは「死ぬ瞬間のための今の生き方」とでも言うべきものです。

自分はもうすぐ死ぬけれど、いろいろなことに挑戦して失敗したり成功したり、結構充実した人生を送ってきた。だから、これで死んでいくことに、悔いは無い

と思えるために、私たちはを精一杯生きているのではないでしょうか。

死ぬ瞬間に満足して人生を終えるために、私たちは生きているのです。
人生のすべてが終活なのです。だから、一瞬一瞬を大切に、生きていきましょう。

死は、滅多なことでは口にしてはならない忌み嫌うもの、では決してありません。死を考えることで、安心して現在を生きられるはずです。

医療技術が進歩し、延命治療の進化と並行して尊厳死の問題が取り上げられるようになりました。

死とは、確かに怖いものです。
それを誤魔化すことはできません。

終活は、元気なうちにしかできないものです。
一度まとまった時間をとって、一人になって、自分が死ぬという事実を考えてみましょう。

自分が今何をすべきか、明確に見えてきます。

via:長谷川介護サービス株式会社

via:明るい終活事務局

via:一般社団法人終活カウンセラー協会