3月はの入り口。

こちら九州の南の端は気候も暖かく、人々の行動も活発になってきました。
24節気に「啓蟄けいちつ)」という言葉がありますが、この言葉は虫などの生き物が土からはいだして活動を始める様子を表しています。

植物の成長も著しく、春の花が咲くとともに周囲をモンシロチョウが舞います。
雨上がりにまったりと生あたたかい風が吹くと、草いきれや雨の染み込んだ土は懐かしい故郷の香りを漂わせます。
不安定な気候は晴れと雨とを繰り返し、空気は徐々に湿り気を帯びてきます。

雨粒に濡れた濃い緑色の葉はキラキラと輝き、みずみずしい活力を漂わせます。
そしてそれらは、私たちのごく近い周囲に長年に渡って存在してきたものです。

どこにでもあるけど貴重な自然

自然、と呼ぶにしても、その規模や種類には様々なものがあります。
山や渓谷、海、川、手付かずの野原だけでなく、人の手の加わった公園や海岸、農作物のために整備された田畑も自然と呼べるでしょう。

手付かずのまま放置された空き地は原野のようです。

最近は危険防止のためか、あまり見かけなくなりましたが、深いむき出しの側溝などが自宅の近所にありました。
その中で雨の降った直後にカエルがうずくまっていたりアメンボがスイスイ泳いでいたものです。

水の引いた後は植物が成長してシソの葉が群生していました。

バッタもカマキリもアブラムシも突然視界に入ってくるのは当然のことで驚きもしなかったし、名前も知らない鋭い縦長の葉で手を切って血を流しても「あ、しまった」とだけつぶやいて、そのまま平気で遊んでいました。

「自然」の楽しみ方いろいろ

緑色の草が風に揺れる様子を見るだけでも、心が落ち着く感じはありませんか。
花は、咲けば野生のものでも色鮮やかです。

なかには栽培された植物が野生化したものもあるでしょう。
植物は動物以上に複製機能に優れているからです。

入館料を払って公営の植物園に出かけるもの、もちろん良いですよね。
丁寧に栽培されたバラの花などは、手工芸品とも呼べるものです。

さらに、特別な植物公園に出向かなくても、半径数メートルの小さな公園はあちこちにあるものです。
植物を、見ましょう。ホッとしますよ。ここに、花びらが付いている、ここから根が生えている、ということを知りましょう。
生き物の大切さが伝わってくるはずです。

ブランドのついた花ばかり楽しまなくても良いのです。
アスファルトの裂け目から芽を出した花が咲いた様子を、力強さの象徴ととらえる向きもありました。

少し手の込んだ自然

人間の作った自然も、たくさんあります。
先ほど挙げた田畑以外にも、例えば「動物園」なども。

動物も植物も両方いますから。
「人間」という生物も加わって、独特の自然の有様を見せてくれます。
「人間が関わると、自然ってこの程度のものになるのか…」ということも分かります。

暖かい日に動物を眺めるというのは、心が休まります。
動物に、人間という自分を観察してもらう気分でどうぞ。

海なら、崖のような天然の海岸もあれば施設の整えられた釣り堀のような海もあります。
こちら地元には、桜島が眼前に広がる錦江湾に「磯釣り公園」というものがたまたまあるので、このようなことが言えるのかも知れません。

春には春の、魚が釣れます。
一年中同じ魚がターゲットになるわけではないのです。

自然は、遠くに求めに行かなくても、身近にあるものです。
でも、春という季節は何度でも訪れるかもしれませんが、次の春までは1年間待たなければいけません。

せっかくの「春」なのだから、春というアミューズメントを遊びませんか?

段々と暖かくなって、梅が咲いて、桜が咲いて、虫がうごめいて、嫌な虫も否応ながら増えてくるでしょう。

梅雨になって暑くなって、あっという間に夏です(それはそれで良いと思いますが…)。
だから、どこかに、自然という安らぎを見つけておきましょう。

どうにもならない辛い日が毎日とはいわずともあって、私たちはそれを乗り越えなければ生きていくことはできないのですから。

たまには、高いお金をかけて温泉に行ったり、スキーに行ったりすることも大事なことです。
でもどこかに、自分のことを引き止めてくれる、あたりまえにそこにいてくれる自然をとっておきましょう。

それが、いつでもそこにあるばかりに、今までその存在に気づきもしなかった、道ばたに咲いた、小さな、忘れな草であったりするのですから。

via:TED