津久井やまゆり園事件
津久井やまゆり園事件から十年が経過した。十九名が命を奪われ、二十六名が重軽傷を負ったこの事件は、日本社会に深く沈殿していた優生思想と、障害者の存在がいかに脆弱に扱われてきたかを露わにした。十年という時間は、社会が事件をどう受け止め、どのように変わったかを検証するには十分な長さであるはずだ。しかし現実には、事件の本質は十分に語られず、社会の構造はほとんど変わっていない。
本稿では、事件の「匿名化」という象徴的事実を起点に、社会の構造的盲点、優生思想の歴史的連続性、そして個人の変容の困難さについて論じたい。
1 「刻まれなかった八名」という事実が示すもの
津久井やまゆり園の敷地には、事件を風化させないためのモニュメントが建てられ、十一名の名前が刻まれた。残る八名は刻名されていない。遺族の意向やプライバシーの問題が背景にあることは理解できる。しかし、十九名のうち八名が「名前を持たないまま記憶される」という構造は、事件の本質を再演してしまっている。
犯人は「重度障害者は生きる価値がない」という優生思想を抱き、存在そのものを否定した。社会は事件後、「匿名の方が無難」「語らない方が穏当」という空気の中で、結果的に匿名化を受け入れた。
もちろん、遺族の判断は尊重されるべきである。しかし、社会が匿名化を「選択肢の一つ」として受け入れた瞬間、犯人が望んだ「存在の消去」に近い形が生まれてしまった。
名前が刻まれないという事実は、単なる個別事情ではなく、社会が障害者の存在をどれほど脆弱に扱っているかを示す象徴である。
2 事件が暴いた「社会の盲点」
やまゆり園事件は、社会の深層にある盲点を露わにした。それは、障害者の存在が社会の表舞台にほとんど現れないという構造である。
施設は「隔離」ではないが「遠い場所」に置かれる
戦後日本の障害者政策は、表向きは「保護」と「福祉」を掲げながら、実質的には「隔離」と「収容」の論理に支えられてきた。施設は都市の中心ではなく、郊外や山間部に置かれ、地域社会との接点は薄い。
やまゆり園も例外ではなく、社会の視線から遠い場所にあった。
障害者の生活は社会の可視領域に入らない
障害者の生活や日常は、メディアの報道にほとんど登場しない。事件が起きたときだけ、施設名と人数が報じられ、日常の姿は語られない。
その結果、障害者は「社会の外側」にいるかのように扱われる。
被害者の人生は語られず、加害者の異常性だけが語られる
事件報道では、加害者の異常性や思想が繰り返し取り上げられた一方、被害者の人生はほとんど語られなかった。
これは、障害者の人生が「語るべき物語」として社会に認識されていないことを示している。
優生思想が社会の底に沈殿したまま残る
旧優生保護法の歴史を振り返れば、日本社会には長く優生思想が制度として存在していた。
事件はその残滓(ざんし)を露わにしたが、社会はその根を直視しなかった。
3 優生思想の歴史的連続性
やまゆり園事件は突発的な異常ではなく、歴史的連続性の中で理解されるべきである。
旧優生保護法の影
1948年に制定された旧優生保護法は、「不良な子孫の出生を防止する」という文言を持ち、障害者や精神疾患を持つ人々に対する強制不妊手術を合法化した。
この法律は1996年まで存続し、約1万6千人が手術を受けたとされる。
障害者の「隔離」と「収容」
戦後の福祉政策は、障害者を地域社会に統合するよりも、施設に収容する方向に進んだ。
その結果、障害者は「社会の外側」に置かれ、存在が可視化されにくくなった。
社会の無意識に残る優生思想
優生思想は、露骨な形では語られなくなったが、社会の無意識の中に沈殿している。
「生産性」「効率」「自己責任」という言葉が強調される社会では、障害者の存在はしばしば「例外」として扱われる。
やまゆり園事件は、この歴史的連続性の延長線上にある。
4 十年経っても社会が変わらない理由
事件から十年が経過したが、社会の構造はほとんど変わっていない。その理由は複合的である。
行政の制度設計が「安全管理」に偏る
事件後、行政は施設の安全管理や防犯体制の強化を進めた。しかし、障害者の社会参加や地域との共生を促す制度改革は十分ではない。
「守る」ことは必要だが、「共に生きる」ための制度が整っていない。
メディアが「構造」を語らない
事件報道は加害者の異常性に焦点を当て、社会構造の問題を深掘りしなかった。
その結果、事件は「異常者による悲劇」として消費され、社会の問題として共有されなかった。
地域社会の距離感
障害者施設は地域社会に存在しているにもかかわらず、住民との交流は限定的である。
「知らない存在」は「語られない存在」になり、事件の教訓は共有されない。
個人の無意識にある優生思想
個人の中にも、「障害者は特別な存在」「関わり方がわからない」という無意識の距離感がある。
この距離感が、社会の構造的変化を阻む。
5 「寛容な社会」をつくるために必要なもの
結語として、個人の変容と社会の変容の関係について述べたい。
社会が変わるとは、制度が変わるだけではなく、個人の認識が変わることである。しかし、個人が変わるためには、社会が変わる必要がある。
この循環の中で、障害者をはじめとする社会的弱者は、常に不寛容の矢面に立たされてきた。
LGBTQ+の人々、虐待を受ける子どもたち、いじめられる子どもたち。
彼らは「社会の周縁」に置かれ、理不尽な構造の中で生きている。
寛容な個人が寛容な社会を作る。しかし、寛容は「優しさ」ではなく、「他者の存在を前提として世界を設計する力」である。
やまゆり園事件は、その力が社会に欠けていることを突きつけた。
十年という時間は、事件を忘れるには短すぎ、変わるには十分すぎる。
しかし社会は変わらなかった。
だからこそ、今、改めて問わなければならない。
他者の存在を前提にした社会を、私たちは本当に作る気があるのか!?

