🇵🇭フィリピンが話題になってきているワケ
2026/06/03の時点で、最近フィリピンについての話題が活発化しているようです。それはなぜかというと【柘榴シロというVtuber】が「フィリピンに来なさい」というフィリピンママの再現を披露したことで大ブレイクしてミーム化しました。以下にリンクを貼っています!
フィリピンに来なさい pic.twitter.com/aCBB2UXkhH
— 柘榴シロ (@Zakuro_Shiro) May 3, 2026
はじめはネタでしたが、それをキッカケにフィリピンのことを理解したい日本人や外国人が世界的にも爆発的に増えたようです。そういった時勢ですのでこのタイミングで私からは、ちゃんとした【歴史としてのフィリピンを知ってもらいたい】という内容になっています。
わたしが日本とフィリピンのハーフとして伝えたいフィリピンは、たくさんの国から攻められたり干渉されたりしながらも、強くたくましく生き続けてきた国ということです。なぜそうなのか、その理由をわかりやすくお伝えします。フィリピンは東南アジアにあり、7000以上の島からなる島国です。海に囲まれ、島ごとに文化や生活が少しずつ違います。歴史上、スペイン、アメリカ、日本などの大国に支配された時期が長く、独立した後も政治の混乱、貧困、自然災害(台風・地震・火山)が何度も襲いました。それでも国が壊れずに今も続いているのは、フィリピン人たちの強い心と文化の力があるからです。
🌱昔の基盤(植民地になる前)
昔からフィリピンには、ルソン島やビサヤ諸島、ミンダナオ島などに小さな王国や sultan(イスラム指導者の国)がありました。マレー系の人々を中心に、中国、インド、アラブなどと交易しながら暮らしていました。島がたくさんあるため、一つの大きな国にはなりませんでした。でも、それが逆に「柔軟さ」を育てました。外部から攻められても、それぞれの島や地域が独自に抵抗できたのです。1521年に有名なラプ=ラプという英雄が、ヨーロッパの探検家マゼランを撃退した話は、今でも「フィリピン人は自由を守る」という象徴として語り継がれています。
🇪🇸スペインの支配(約300年)
1521年にスペイン人が来て、1565年から本格的に支配が始まりました。フィリピンという国名もこの頃に付けられ、初めて「一つの国」としてまとめられました。スペインは土地を奪い、人々を働かせ、カトリック(キリスト教)を強制的に広めました。しかし、人々は完全に屈しませんでした。北部では何度も反乱が起き、南部のイスラム教徒(モロの人々)は300年近く抵抗を続けました。19世紀末、ホセ・リサールなどの英雄たちが独立を求め、1896年に革命が起きました。1898年に独立を宣言しましたが、すぐにアメリカに代わられることになります。スペイン時代は今もフィリピン文化の基盤(家族を大切にする考え方やカトリック信仰)を作りましたが、同時に「外国の支配に抵抗する記憶」も強く残しました。
🇺🇸アメリカの支配時代
1899年から1946年までアメリカが統治しました。学校を作り、英語を教え、道路や病院を整備するなど、近代化を進めました。一方で、フィリピン=アメリカ戦争では激しい戦いがあり、多くの人が犠牲になりました。この時期に「フィリピン人」という共通の国民意識が強くなりました。英語が共通語になったり、教育が広がったりして、現代の国家の基礎ができました。1935年に自治政府ができ、1946年にようやく完全独立を果たしました。
🇯🇵第二次世界大戦と日本占領
1942〜1945年、日本がフィリピンを占領しました。この時期は特に苦しく、「バターン死の行進」やマニラの戦いで大きな被害を受けました。日本軍の占領後は同化・皇民政策によりインフラの整備や教育を施しましたが、具体的な内容としては以下に述べていきます。
小学校では毎日20分、中学校では40分程度の日本語授業を実施。日本から文部省派遣の日本語教師(南方派遣要員、フィリピンに約150名以上)が送られ、現地教師の養成も行いました。
内容は日本語学習だけでなく、日本文化の理解・日本国歌【君が代】ラジオ体操などに加えて畑や菜園作りを通じて規律と協力を築こうとした貴重な時期でもありました。
これは実際にあった自分の経験なのですが、たしかにフィリピンの祖母から【君が代】を唄ってもらったり、日本の昔話をよく聞かせてくれました。かさじぞうや浦島太郎などはうろ覚えでしたが【桃太郎】だけは凄くよく覚えていたようでドンブラコドンブラコという描写から、桃太郎が鬼退治に至るまでのお話をフィリピン語を交えながら語り聞かせてくれていたのを、今でもよく憶えています。
戦後、フィリピンは焼け野原から再建を始め、アメリカと同盟しながらも自分の道を探ってきました。
🇵🇭フィリピン独立後の苦難と、それでも強い理由
独立後も大変な時期が続きました。マルコス大統領の独裁(1972-1986年)、民主化のための人民革命、南部の分離独立運動、共産ゲリラ、毎年のように来る台風や地震などです。それでも国は崩れず、民主主義を取り戻し、経済も成長しています。
その強さの理由は、以下の通りになります。
・バヤニハン(Bayanihan)の精神:みんなで助け合う文化です。昔は村で家を丸ごと運ぶ共同作業をしていました。今も災害が起きると、家族・近所・全国で助け合う「kapwa(みんなつながっている)」という考え方が底力になっています。
・家族と宗教の力:大家族で助け合い、カトリックやイスラム教の信仰が心の支えになります。苦しいことを「神の試練」と捉え、希望を失わない人が多いです。
・多様性と適応力:170以上の言語があり、民族や宗教も様々です。分断の原因にもなりますが、逆に「違う文化を取り入れて自分たち流に変える」柔軟さを持っています。スペイン、アメリカ、中国、日本などの影響を「フィリピン風」にして独自の文化を作ってきたのです。
・抵抗の記憶:英雄ラプ=ラプによる革命の歴史まで、「自由を守る」という物語が国民の誇りになっています。植民地時代を「恥」ではなく「乗り越えた強さの証」として受け止めています。
・若さと活力:人口が若く、英語が話せて海外で働く人(OFW)が多く、世界とつながっています。苦しい状況をチャンスに変える起業家精神もあります。
・自然との付き合い:災害が多い分、「また立ち直る力」が鍛えられています。

🌴最後に
フィリピンの強さは、外部から「無理やりまとめられた」ことと、内部から「抵抗と適応を繰り返した」ことの両方から生まれました。侵略は文化を壊さず、逆に豊かにしたのです。今、フィリピンは東南アジア(ASEAN)で重要な国として成長を続けています。そのたくましさは、生まれつきのものではなく、何度も苦難を乗り越えてきた人々の意志と文化の賜物です。「バヤニハン」の精神でみんなで助け合う限り、フィリピンはこれからもきっと強く、たくましく在り続けるでしょう。過去の植民地史は、未来を照らす光なのです。(日本とフィリピンのハーフとして、この国の素晴らしさと人々の強さを、もっと多くの人に知ってほしいと思います。)
さて、毎回恒例となって参りましたが私はフィリピンについて過去の記事にしていますので
この機会にぜひ、ご一読ください。プロフィールにある通り、わたしは自分のルーツをもって日本を大事にするべき理由をログとして残していっているので、よろしくお願いします。
2022年11月18日の記事→ https://1234times.jp/article_68853.html
2023年02月06日の記事→ https://1234times.jp/article_69726.html
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