私が私を取り戻すきっかけは!
前編は私がALSになるまでの話でした。ここからは、後編、ALS発症後について書いていきます。
私が退院してから我が家の日常生活は、一変しました。私が勤務していた居宅介護支援事業所に、訪問看護、訪問リハビリ、訪問介護を頼みました。良かったのか?わかりません。ただ「普通に仕事ができていた日々が当たり前ではなかったんだな」と痛感し、支える立場から支えられる立場に変わったんだと強く感じました。
私が一つ一つのことができなくなる度に、訪問看護、訪問リハビリ、訪問介護サービスが増えていき、主人は私の介護と親の介護と子育てを一手に担い、最初はお手伝いだった子供たちも次第にその範疇を超えて、日々ヤングケアラーの状態になっていきました。その姿を見てどんなに苦しかったか。もう家の中はギスギスしていて、いっぱいいっぱいの主人は常にピリピリの状態で子供たちは主人に対し、ハレモノに触るような態度になっていました。これも私がALSになったからだと自分を責めても責めてもどうにもならず、どこに相談しても環境は変わらないままでした。
主人ががいろいろな場所、いろいろな方に相談し、重度訪問介護の制度を知り、やっと利用までにこぎつけました。しかしケアマネジャーから『重度訪問介護はよくわからないのよ』という言葉を聞いた時は、強く憤りを感じました。無知は罪ですよね。重度訪問介護が始まってからは、安心をいただいたような日々でした。今では私のサポート体制は、主人、子供たちと14事業所サポートスタッフの方々は70人を超えています。
いろいろな考えのスタッフの方々がいて今考えれば、すぐに「、んっ?」ってなるのでしょうが、「あの頃は私の心が弱っていたからでしょうか?」支えてもらう立場だから仕方がないと思い、気づかなかったのだと思います。サポートスタッフ、ケアマネジャーに言われるがままに、介護用の下着に変更し、着替えやすい服装に着替え、化粧やネイルをやめ、靴もスリッパに変えて、まるで入院患者のようでした。さらにシーツ交換を依頼しても拒否され、それも当たり前で仕方がないと思って過ごしていました。
しかし、あるアテンドさんに出会い、普通の下着やおしゃれ着を着せてもらい、化粧やネイルをして映画に行きました。もちろん!何事もなかったようにシーツ交換もさらりとしてもらいました。「これこそが在宅でサポートを受けながら生活することだ。」「これでいいんだ」と涙が出ました。 どん底の私に、主人の『泣いて過ごしても1日。楽しんで過ごしても1日。どうせ過ごすなら楽しんで過ごそう!』という言葉と、あるアテンドさんのチームの『とりあえずやってみる』の前向きな姿勢のサポートをきっかけに私は笑顔が取り戻せたと考えています。
向き合って頂き支えられて
ALSを発症してから、間もなく話すことが出来なくなり、視線入力機器を導入していたのですが、なかなか病気の進行に私の気持ちが追い付かず、話すことを避け、機械を使用することはあまりありませんでした。視線入力機器で会話をすることに抵抗がありました。現状を受け入れることができずに『嫌なんです。怖いです。きついんです。どこまで頑張れば許してくれますか?』という思いから解放されませんでした。
話せなくなることでやる気が消え、心を閉ざしてしまった私に向き合ってくれたのがST(言語聴覚士)さんでした。私の思いを形にして頂いた事をきっかけに、視線入力機器は次第に「私の体の一部」と感じるようになり、伝えることが楽しくなりました。
私の視線入力機器に対する気持ちが変わり、ヘルパーさんたちが私の気持ちを代弁してくれたおかげで、私の日常と生活の質は大きく変わりました。私の気持ちや何気ない会話も視線入力機器を使用し、ハードルなく気軽に話せるようになりました。
それからは私が旅行に行った時の写真や感想をSTさんに指導を頂きながら編集することも出来るようになりました。私も編集することがとても嬉しく、旅行をするたびにサポートの方々に動画を見てもらうことがとても楽しくて楽しくて。
そんなある日いつものようにSTさんのリハビリを受けていると『就労してみませんか?』と提案がありました。根拠があったわけではありませんでしたが、迷わず『はい、やってみたいです』と返事をしました。
ここまではどん底から復活したきっかけを書きました。
次は「私が社会参加できる」と嬉しかった話を書きます。
あきらめなければ、、、また。
ここからは、いよいよ、ALSの私が社会参加する話になります。
「私が社会参加ができる。」ALSに罹患してから窓の外の通勤する方の姿を見ては、私の当たり前の日常が変わったことや社会から離れていく感じを受けました。訪問看護、訪問リハビリ、訪問介護が介入してから私だけではなく、家族の日常も変わり、家族のプライベートもなくしてしまったことを感じ、心苦しくなりました。私が思い描いていた未来が壊れていった時、社会から離れていくことが、どんなに虚しくて苦しかったか。だからこそ、STさんの『就労してみませんか?』のこの言葉に勇気をもらいました。
ケアマネジャーさんOT(作業療法士)さんにもご協力頂き、ひふみよベースさんを紹介頂きました。後日 ひふみよベースの方が訪問してくださり、チャットや日報の作成の仕方など実際の仕事について話を聞きました。私の想像では簡単な作業から始めるのかなと思っていました。
すると、『ライターをしてみませんか?』という一言。
「ライター???えーーっ???何を言ってるのかな?」と最初は意味が分かりませんでした。「んっ?マジッ?」となりました。「 無理無理無理」と、何度STさんやOTさん、家族と話をしたか、数え切れません!
しかし皆さんから『やってみましょう!』『頑張れ!』『私にしか書けないことがある!』と声をかけて頂けたことがとても嬉しくて、力をもらいました。
皆さんのおかげで、ライターデビューすることになり、第一弾を書くことができました。
第二弾は『無理ですからのやってみましょうを重ねた結果、家族旅行に行けた話』について執筆したいと思います。
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