風よ僕らの前髪を
エッセイ
B型事業所を利用する前、2年間だけ都会に住んでいた時期があった。なんというか、大分“シティ”だった。
引っ越し初日に入ったスーパーでは買い物カゴの中に冷凍ハンバーグをこっそり入れられる嫌がらせをされたし、次に入った定食屋では、OLのおねいさんが平日の昼間から一人ビールを飲んでいた。田舎ではまずないことだった。
だがそんなことより、私に都会を感じさせたことがある。それは「シティボーイの前髪」だ。
ビルが多いせいか、その街は風がとても強かった。マッシュ風の髪型だったこともあり、ワックスをほとんどつけない私の髪はいつも風になびいていた。頭のてっぺんから前髪近くまで伸びている一束にいたっては、アンテナみたく常にピンと立っていた。
だがシティボーイの前髪は乱れない。髪型は私と同じだというのに、だ。
あるとき街を歩いていたら、目の前から同じ髪型のシティボーイが歩いてきた。私の前髪は風でオールバックになっている。彼の前髪は乱れない。
試しに彼と同じ方向に歩いてみたが、結果は同じだった。シティボーイたちは髪の毛をがちがちに固めているのだと、やっと理解した。
でもどうなんだろうな、と私は思った。女の子が髪に触れたときに、がちがちに固めた髪の毛だったら嫌じゃないか? 女の子が髪を触ってきたときに、指が通らないくらい髪の毛を固めている人ってどうなの、と思ってしまったのだ。
一束ピンと立っているアンテナがシティボーイたちに反応する。横には漏れなく素敵な女の子が並んでいる。
だが、無造作ヘアーの方が格好いいと思ってきた信念は曲げたくない。信念はそう簡単に曲げられるものではないのだ。
融通の効く信念
信念、信念、信念……。私は念仏のように唱えながら街を歩く。気が付くと、ドラッグストアに入り整髪料コーナーの前に立っていた。
目の前にはハードスプレーが並んでいた。購入して振りかけたときのことを想像してみる。スプレーは髪の毛を固め、シティボーイの仲間入りを約束してくれるだろう。ただ、あれ程固かった信念はきっと、スプレーの霧のように霧散してしまうのだ。
ーーそれから2年後、私はシティを離れることとなった。髪型はというと、スプレーでがちがちに固められていた。もう前髪が風になびくことはなかった。
もし誰かに「あなたにとって都会とは」と聞かれたら、私は迷わず前髪がなびかなくなる場所と答えるだろう。
前髪は地盤のように盤石になっていた。しかし実生活のほうは乱れ、なびき、地元に帰り今に至る。
小説『風よ僕らの前髪を』は、殺人に関するミステリーだ。シティで髪がなびくかなびかないかというどうでもいいことで悩む登場人物は一人もいない。
いつも思うけれど、つらい事件を巻き起こす側も、幼少期に被害者だったケースの小説や映像作品は本当に多い気がする。
いっとう辛いことほど人は語らないし、語るときもスケールを小さくして伝える。それを改めて感じた1冊でした。興味のある方はぜひ。
このエッセイの着想を得た本
『風よ僕らの前髪を』弥生小夜子/著
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