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2024/11/10:フリーペーパーvol.104発刊!

でもそれは自分で決めたことでしょう問題

でもそれは自分で決めたことだから

自分で考えて選んだことと受動的に選んだこと

誰かが諦めた顔で話す、「でもそれは自分で決めたことだからね」を聞くと悲しくなる。

私は定期的に、それも別々の人からこの手のセリフを聞く。

自分の頭で考えて自主的に「自分で決めた」のであれば問題はない。けれど、私にその言葉を伝えてきた人たちは、確かに最終的に判断したのはその人自身なのだろうけれど、主体的に積極的にその選択を選び取ったわけではなくかなり受動的に選んだと感じたし、ため息交じりに、半ば自分を責めるようにその言葉を使う人がまぁまぁ多い気がするのだ。そういう人は大抵が心根の優しいいい人だったりする。

なんというか、こう、本当は誰かが無理やりポケットにその選択肢をねじ込んできたのに、ポケットにその選択が入った状態を「でも今自分のポケットにその選択肢が入っているのは自分で決めたことだから」と言われると切なくなる。

ポケットに詰め込まれたことも出さなかったことも自分に非がある、と感じていそうで、そんなに自分を責めなくてもいいのになと思う。

他人から無理やりポケットにねじ込まれた選択肢とは、親の願望や大切な人の望みだったりして、その根源は「匿名化されたシステム」とか、「似合わない靴」だとか、いろんな本やドラマで様々な表現がされているのだけれど、結局はいわゆる「その時代のあるべき普通」とされているものだ。

周りに合わせたり期待に答えようとして、本来の自分とは違った型番に無理やり自分をねじ込んだ結果、すごく落ち込んだり場合によっては心身が参ってしまった人に、「でもそれは自分で決めたことだからね」と言わせたくない。という義憤に近い憤りがある。

私自身もーー私はいい人ではないのだけれどーー似た経験がある。

型番の違う靴に無理やり足をねじ込むということ

体調を致命的に崩す最初のきっかけはずいぶん前に勤めていた職場だった。仕事自体はやりがいもあり楽しさもあったのだけど、とても狭い職場内の人間関係が全くうまくいかなかった。今振り返ると、どうやってもうまくいかないその職場に見切りをつけてできるだけ早くやめたほうがよかった。ただ、当時は「ここでなんとか頑張りたい」と思っていたので、それならば自分を変えようと思った。

正確には周りから「この職場には1ミリも期待してはいけないから、どうしても働きたいなら自分が変わるしかない」というアドバイスがあった。私は、とても信頼していた当時のパートナーの助言もあり、自分を一度全部壊し、再構築することにした。職場でなんとか働くためにはそのくらいの作業が必要だった。

それはけっこう苦痛な行為だった。今まで人生で大事にしていた価値観だとその職場では全く通用しなかったとはいえ、土台から作り直さないといけない。私はいろいろな人のアドバイスをひとまず受け入れた。どのアドバイスも良さそうに思えたし、こうありたいと思う人たちの意見だった。特にパートナーの望む理想は、確かにそうできたらいいと感じる在りかただったこともあり、求められるままに自分を組み替えようとした。

でも、すごく当たり前のことを書くと、私は「こうありたい自分像」を他人に預けるべきではなかった。信頼していた幾人からのアドバイスは、あくまでその人たちがそれぞれの資質や経験に即して見つけ出したその人にフィットした「正解」だった。

私は自分の資質とまったく異なる型番の靴に無理やり自分をねじ込み複雑骨折していた。

元々、不条理なのは職場の上司なのになぜ自分がここまでして考えかた等々を変えないといけないのだ、という思いがあったから、なおさら似合わない靴を履いたときにうっすら「最終的に自分で選んだとはいえ、これは他の人達が望んでいる価値観だよな」という違和感が拭えなかった。それは日に日に大きくなり、数年たって完全にごまかせなくなった。

自分の信じるものを他人に預けた結果、心身はより壊れ言い訳ばかりになった。体調が取り返しがつかないほど悪くなってからは、さして仲良くない人にまで、相手に負担のかかる打ち明け話ばかりするようになった。それらはシンプルに自分のミスだった。

もしも、なんてものはないけれどもしも、自分の資質に合った靴をきちんと自分で見つけ出し、選び、履いていたらーーその職場はどっちみちうまくいかなかったにせよーー少なくても相手のせいにしたり言い訳ばかりになることはなかったと思う。仕事をやめた後に、「それは自分で決めたことだからね」と言うセリフは、もっと晴れやかなものになっていたと思う。

おわりに

ただこれも、一度しっかり失敗したから思えることなのかもしれない。そしてたいていの人はなんとかうまくやれるのだろうからこの記事は必要ないのだろう。

でもまぁ、ここまで徹底的に体調を崩さないと気付けないというのはもったいないので、こんな人もいるんだなぁと記憶の片隅に残して置いてもらえるとありがたい。役に立つ日が来なければそれが一番いいし、いつか誰かの役に立てば、それはそれでよいのだと思う。みなに幸あれ。

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