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2024/4/10:フリーペーパーvol.97発刊!

奇天烈な私の奇跡体験

信じるか信じないかはあなた次第

今回の記事は一応わたくし[wani15による実体験の実話]です。しかし経験上、人に話しても信じてもらえなかったり盛りすぎだろって突っ込まれたりという肩透かしに慣れてることもあり…ならばニュートラルに受け止めてもらえばいいし、信じる信じないはあなた次第のエンタメ感覚で知ってもらったほうが気が楽かなということでエモさを感じる方もいるであろうタイトルで今回は綴ろうかと思います。若干のホラー要素もあるので苦手な方はご注意ください。

それでは、wani15がお送りします「常識では信じられない5つの奇跡体験」

産まれて早々に拐われる!?

プロフィールでも公表した私の出生地フィリピンではメイド(家政婦)を比較的安価で雇うのが当たり前の文化でした。そして産まれてすぐに私をあるメイドに子守りをさせたらしいのです。しかし突然「この子は私の子だ!」と豹変し、私を抱いて逃走したらしいのです。そしてある家屋の2階に立て籠もったらしく緊迫した状況…すると叔父らが木を登り窓から2階の部屋に忍び込み、なんとか救出に成功したらしいです。当時は精神疾患という認識や配慮はなく「シラ・ウーロ」というフィリピン語の罵声を浴びせて人格的に否定するだけなのがなんともやるせない。たまに思います、もし誘拐が成功していたらその人に育てられていた?それとも人身売買された…嗚呼、やめましょ恐ろし。

もしかしたら私に魔性の兆候があったのはその頃だったのかな?というエピソードでした。

お寺の幼稚園に通うカトリック児

フィリピンで愛情深い祖父母に育てられた私の母国語はタガログ語(第2共用語は英語)で、国民のほとんどが信心深いキリスト教信者なので日曜日の礼拝にも連れられるのが当たり前でその頃は幸せに育っていたと思います。しかしある日突然、一変しました。育児としてあまり手のかからなくなった5歳になった私を母が日本に連れていったのです。そして、日本国籍取得のための人生が始まりました。そのために手っ取り早く適応させるためなのかカトリックで洗礼を受けた私はいきなり日本のお寺の幼稚園に通うことになりました。

なにもかもが急展開すぎて「???」だったと思いますよ本当に(笑)でもやっぱり子供って母親が好きなんですね。まったく会えてなかった母親にやっと会えて一緒に居たいために頑張ったと思います。今思い返せばどんなに理不尽な目に遭っても、子供はそんなことはわからずにただ親の愛情にすがりたいし応えたいと必死だったんだと思います。その甲斐もあってか、座禅を組んで住職から「喝!」と肩を叩かれるという異文化の謎の修行にも泣きながら耐えてきて、同世代の園児がなに喋ってるのか意味不明ながらも懸命に日本語を覚えていったんだと思います。

お寺の住職に「お主は戌年で優しいが苦労する」と云われた意味が後々わかってきました。

恐怖のベビーシッター

小学校の夏休みで怪談のような体験をしました。母親が最近知り合ったらしい同郷の女性がいて、その人に私と年子の妹の面倒をみてほしいと頼んだようです。第一印象はとても物静かで綺麗な人で、癖の強い我が母に合わせてたまにフフっと笑うおしとやかな女性でした。そしてその人の家は現代アートのような外観だったので明らかに富裕層という感じでした。
どうやら旦那さんが出張で不在らしく寂しいだろうから母が「うちの子たちの面倒をみてやって!」(恐らく強引に)という感じで面倒をみてもらうことになったようです。

そして騒がしい母が去り、妹と一緒にワクワクしながら家の中にお邪魔するとまず目に飛び込んだのは[真っ暗闇な廊下]でした。「えっ…」となり女性のほうを向くと無表情。
3重ロックされると、何も言わず女性が奥へ歩いていき、自分たちは恐る恐るついていき…ちなみに真っ昼間です。どうやら窓中、カーテンで閉め切っていることに気づきました。
そしてお昼ということもあり、カチャカチャと食器の準備をする音が聞こえてきました。

殺風景な食卓に向かって目配せで座れという圧が伝わりとりあえず座って待ちました。
そして運ばれてきた食事がなんと[冷凍肉]ほぼ解凍してない生のステーキだったんです。
私と妹は目を合わせながらこの異様さを共感しました「絶対ヤバい人だ」という恐怖を…。
最初は子供嫌いの嫌がらせかなと思いましたが、なんとその人は食べ始めてしまいました。するとこちらにもギョロっと視線を向けたので…涙目になりながら自分たちも食べました。

そして母が迎えに来て、そのことを説明すると絶縁したらしく…本コワを先取りでしたね。

本物のドラゴンボール

まず、この場を借りて鳥山明先生に哀悼の意を捧げます。先生の死はかなりショックでしたが…そのかわり私のある体験を思い出しましたのでそのことを綴ることで餞としたいです。

小学生の夏休み中にフィリピンへ帰省することがあり、その頃の体験エピソードです。
当時、フィリピンでもドラゴンボールは大人気でした。しかしどうしても解せないことがあってそれは[幼少期の悟空の声がウーロンっぽい]ことでした。加えて、気が抜けた声で「かめはめウェ〜ブ」という台詞がどうしても納得できず「これはドラゴンボールじゃない!」と一人で勝手に不満だったので周りのフィリピン人は「なにいってんだこいつ?」みたいな感じでした。無理もないのです、当時フィリピン版のは日本版から直接ではなくアメリカ版を挟んでいることもありアニメの翻訳や表現も雑だったのでそれしか判断基準がなかったわけですから。

〜数年後〜フィリピンに帰省すると「waniが怒ってた意味がわかったよ!」とまるで崇められるかのように和解し、どうやら日本版ならぬ[本場のドラゴンボール]をようやく理解してくれたようで、明らかに熱気が昔より界王拳ばりに高まっているのを体感して、ようやく皆で仲良く鑑賞しました!
ちゃんと「kamehame…HAAAAA!!!!!」と無我夢中でかめはめ波を撃つ練習を皆でしました!
その頃はセル戦が盛り上がってたこともあり、孫悟飯が大人気だったことも記憶しています。

妥協せずにちゃんと伝えることができて良かったと、今となっては悔いがない拘りでした。

鳥山明先生…皆に元気と勇気を与える作品で世界を繋げてくれてありがとうございました。

like a shenron(神龍)in db

愛猫エルモ

これは成人してからの話ですが…当時付き合っていた彼女が勝手に里子猫を応募しており、その猫がダンボールに入れられたまま受け取り場所へ送られてきました(いま思えば配送かは不明)そしてその猫は警戒心が強すぎてダンボールからでてきてくれません。仕方がないので、ダンボールに入れたまま彼女と同棲していた家に連れて帰りました。ただお腹は空いていたのかダンボールの穴からニョキニョキ手を出しながら餌を探してたのは和みました。

餌付けすると心を許してくれたのかダンボールから出てようやく飼い猫としてスタート。その猫をエルモと名付けると最初の警戒が嘘かのようにめちゃくちゃ人懐こい子でした。
部屋が狭かったので外飼いでしたが、まずは地形を覚えてもらうためリードをつけて散歩しながら覚えさせるという手法を試してみました。もちろん周りからは「犬じゃないのにw」とからかわれる嘲笑はありましたが、私なりにこれが最善だと我流を試してみたんですね。

一週間も経たずエルモは完全に地形を把握した様子だったので、完全に外飼いにしました。
しばらくすると死んだ鳥の死骸をくわえてエルモが帰ってきました。当時はネコ学がなかったのでとりあえず絶叫しましたが、どうやら猫なりの感謝の印だったようですね。
それからもエルモはご飯と睡眠の時だけはちゃんと帰宅して、あとは外で自由な猫ライフ。強くはないけど社交性がズバ抜けていて猫同士の喧嘩を仲裁したり会合にもよく行ったり。
その縄張りエリアのボス猫に気に入られたらしく、仲良く歩いてるのもよく見かけました。
あとエルモは必ず、私が口笛を吹くと現れるスキルがあったのが今思えば凄い猫でした。
私自身がけっこう破天荒な性格なので、家の中で猫遊びするにしても猫相手に柔道したり
猫を人間のように仰向けにして布団をかけて寝かせたりもして遊びました(熟睡でしたが)
そういう自省もあったので外飼いにしたら、人間味のある猫へと成長してしまったようで。

そんなエルモを手放したのは、彼女と破局してからでした。同棲してた家を引き払うために私がエルモをひきとり実家で飼うことに…すると、ある日突然エルモがいなくなりました。養父が言うには他の家に美味しいモン餌付けされていなくなったんだろうと、明らかに厄介払いされてました。それはともかく地形を教えていない土地だから無事なのか心配なのでいつものように口笛を吹いても現れず養父の言う通りだと思い込むことにして諦めてしまいました。

ある日、険悪な実家に嫌気が差して家から出ようとした時に遠くでエルモを見かけました。
ただ目を疑ったのは、エルモはなんと子猫を3匹引き連れていました。エルモはオスです。
エルモはこちらをジーッと眺めていたので、駆け寄ろうとしたら子猫を追って去りました。
エルモがパパになって、それを見せに来て、お別れしにきたのかなと今になって顧みます。
猫に纏わる自伝は以前の記事でも綴ったので、よかったらご覧いただければ嬉しいです。

中学2年生の独り暮らし【後編】→https://1234times.jp/article_71938.html

[猫を外飼い、去勢しない]今となってはありえないですよね。だからこそ尊い経験でした。

like a elmo i miss u…

[余談]なぜにワニ?

ペンネームにしているwani15ですが、時と場所によっては通称ワニと名乗っている為です。15については一期一会という意味を込めていたりしますね。実はワニというのはリバーシブルな発想をすれば正体も明かせるギミックです。あと昔よく友達にもワニと呼ばれていて、ワニのようにちょっと油断できない性格からでしょうかね(危害なければ噛みつかない)私をDVしてきた養父から受け継いだ複雑な気持ちになる名字でもありますが…[清濁併せ呑む]というテーマ性としてワニにしたのかもしれません。生物としてワニの本質は危険視されつつも恐いものみたさで遠くから観察されて見守られる、そういった存在としてもワニというネーミングとスタンスがしっくりきました。実像のヒントを散りばめつつ、謎は謎のままでもいいし、胸襟を開いて知りたければどうぞご覧くださいという、冒頭でも述べたニュートラルなスタイルがwani15の生きやすさですね。きっとこれからも大変な経験をすると思われる星の下なので、せめて心の中にワニを飼っておきたいのかもしれません。実際には飼えないし飼うと大変ですからね、ワニ。

さて以上がわたくしの5つの奇跡体験でした。(ほんの一部ですが)ここまでご覧いただきありがとうございました。

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