新しい瞑想
セルフ生前葬…生存期間中に自らの意思において、自分の葬式を行うこと。または、葬儀に似せた瞑想。疑死体験を通じて、心身を落ち着かせたり、今後の人生を見つめなおすことを目的とする。
メランコリィに陥っていた時期に、ネットで「生前葬」というものを見つけた。それは自分が生きている間に、自分の葬儀をするというもの。それを自分なりにアレンジして体験してみた。
生前葬
生前葬とは、自身が生きている間に、自分の葬儀を執り行うこと。生きている間に自分の葬式を行うと縁起が良いと言われている。そんな言葉を聞くと、自分の葬式だなんて縁起でもない、不謹慎だと思われる方もいるのではないだろうか。しかし、生前葬を含め自分の死と向き合う「終活」を行う人が増加しているのも事実だ。
多くの経営者や芸能人が、終活や生前葬(お別れの会)を行っている。墓を準備したり、葬式のプランニング等。余命宣告された、大切な人に会いたいなど理由は個人により異なる。ただ、それらの行為は死を悲観的にとらえるのではなく、生を謳歌するための一つの区切りの儀式だと思う。
当時メランコリィに陥っていた私は、死生観について調べていた。古今東西の宗教観に触れてゆくうちにとあるアイディアを思いついた。それは、生前葬を模した瞑想を行うこと。断っておくが希死念慮に憑りつかれたのではなく、心身を休める効果を期待するという目的からである。
準備
この瞑想は、アイディアを得たい時や、疑死体験をしたい時にもおすすめだ。準備するものも少なく、場所も取らない、シンプルな瞑想。使用する道具はどれも100円均一ストアで揃えられるうえ、実生活の中で使用できるので無駄がない。
- 刺繡入りのハンカチ
- お花
- フレグランス
- スマホもしくはラジオレコーダー(神聖な曲を流す)
- お香立て、お香
- 暗闇(薄暗闇)
個人的には香りにはこだわりたい。フレグランスはラベンダーや鈴蘭、バラなどのフローラル系、もしくはサボン(ナチュラルで清楚なもの)が良い。
境界
必要なものを揃えたら、家の掃除や不用品を処分する。掃除機をかけ、床を磨き、ごみを捨てる。天気が良ければ寝具類を洗濯し干す。家の隅々まで磨き上げ、花を生ける。フレグランスをコットンやティッシュを折り畳んだものに浸み込ませても良い。窓を開けて風を通すと、微かに花の呼吸の息吹を感じられる。
次に、ウォーキングなどの軽い運動後、食事をする。栄養バランスを考え、腹八分に抑えることがポイント。デザートには桃やザクロなどの季節のフルーツをおすすめしたい。もちろん自分の好きなものを食べるのも良い。食事をするとお腹がじんわりと温まり「生」を実感できる。
食事の後はゆっくりとお風呂に浸かる。体内の水分と湯船のお湯が浸透していく、水に還るようななめらかな感触。立ち昇る湯気が滴り落ちる音。液体から蒸気への循環。いのちの循環を体感できるひととき。ミネラルウォーターを持ち込んだり、入浴剤を入れても良い。
全身のスキンケアを入念に行い、綺麗な服に着替え、髪を丁寧に櫛で梳かす。お香を焚き、ハンカチを顔にかぶせ、ベッドに仰向けに寝る。手は胸のあたり、もしくは体の横にまっすぐに置く。アンビエントやハープなどの曲を流しながら、呼吸をすることだけに意識を向ける。
死について
急速に変化してゆく世界で私たちは生きている。デジタル社会の促進、娯楽の多様化、働き方の多様化など、日々様々なニュースが話題になっている。一方、社会や私たちの生活が豊かになっていくにつれ、新しい問題も出てきている。ネットいじめやハラスメント、都市集中による過疎地の問題など例を挙げればきりがない。
社会や自分の将来を悲観し、自ら命を絶つ人や自暴自棄になり非行や薬物に溺れる人もいる。遠くへ行きたい、消えてしまいたい。そんな感情を誰もが一度は抱いたことがあるだろう。反対に、死について恐怖を抱く人もいると思う。
ドラマやコミックのワンシーンのように取り上げられる死。スクロールで選び、ワンタップで加工・着色、気に入らなければスワイプで消してしまう娯楽化された死。葬式、車に轢かれた動物、人が生きるために殺された動植物、生まれ変わりづける体の細胞。
死はそこら中に転がっている。外にも、家の中にも、今この瞬間にも。
誰もが死と向き合わなければならない。だからこそどう生きるかが問われている。