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2024/4/10:フリーペーパーvol.97発刊!

20年ぶりに兄妹と再会して感じたこと

20年ぶりの里帰り

実は今年、20年ぶりに私が育った故郷・佐世保に帰省しました。何故そんなに年月がかかったのか?と疑問に思われるかもしれませんが、本当に色々あったんです(いくつか私の過去を記事にしています)そのキッカケというのが、ワニ家の事情を深く知る外国人の恋人と結婚してドイツに移住した妹の日本への数10年ぶりの帰省でした。
異父4兄妹なのですが、そのうち2人は佐世保に在住なので集結することになったわけです。

昨日の続きのように

こんな言葉があります「何年ぶりかに会ってもまるで昨日の続きのように遊べるのが親友」
その故郷バージョンですね。変わっている場所もあれば、昨日のことのように変わらずに在り続けていてくれる場所があって年をとっても芯が変わらずに生きてくれている人がいて。そんな実家のような安心感とありがたみを与えてくれるのが故郷なのかなと実感しました。
ただ、連れてきた妻子にとっては初めて訪れる場所。なんだか不思議な気分でもあります。

20年という年月はとても重いです。実際に帰省する前はいろいろ悩み尽くしていました。
しかし着いてみると、懐かしさよりも昨日のことのように覚えていてわりと自然体でした。
そしてなにより、妻子が初めて訪れた場所でしたが意外と気に入ってくれたのが嬉しくて。
今までは自分の口から語ってきた想い出ばかりでしたが、その答え合わせみたいな感じで。
佐世保は和洋折衷の土地柄もあってか、まるで海外旅行している気分にもなったようです。

ややこしい話ですが厳密には私はフィリピン・マニラで生まれたのでそちらが出身地です。
ただ、幼少期に苦難はあれど肌感覚でいろいろと形付けられた育ちの故郷が佐世保なので
人から故郷は?と尋ねられたら佐世保!と反射的に答えますが、戸籍上ではフィリピン…。
定義としては記憶の根っこの部分をどの地で形成したか?でいいのかなと解釈しています。
いろんな地を流転しましたがやっぱり帰りたくなるような良き故郷だったと実感しました。

個性的な兄妹

私は長男で年子の長女、そしてさらに10歳離れた下の次男と次女という兄妹で、なおかつ妹たちは同じ誕生日。上の妹の誕生日に下の妹が生まれたという奇跡もあり。そんなユニークな関係性の兄妹ですが、それぞれとどうだったのかを綴ろうと思います。

長女

冒頭で述べたキッカケとなったドイツから日本に家族とやってきたのがこの年子の妹です。私なんかとは対称的で人から慕われるかなりよくデキた妹です。今思えばお互いに違え違いのコンプレックスを抱いてるからか、よく感情的になってぶつかることが多い兄妹でした。
それぞれの家族を繋ぎとめようとしてくれるために来日したので結局は頭があがりません。
先見の明があり、道を導いてくれている存在でその影響力で友人からも信望されています。

次女

一番下の可愛い妹です。自分の中でそのイメージで時が止まってしまっているためか、母親になったことを未だに受け止められず戸惑いましたが、その子どももやはり可愛い甥っ子で子守りをしてた頃の妹の面影を想い出しながら抱っこしました。とてもおおらかで我慢強い子です。問題が多かった家族の渦中にいても癒やしの存在でした。今思えば、そんな役目であり続けるために末っ子らしく我儘言わずに我慢させてしまったのかなと不憫に感じます。ただ、母親になるとやはり逞しくなるのでしょうね。その意志の強さは滞在中一回も泣いていない子どもにも伺えました。

次男

一番、心が通った弟です。男兄弟だからか、気楽に楽しみを共有しやすかった存在でした。
私は歴史が好きで特に三国志が好きで、よく弟に語っていました。離れ離れになって弟を思い返す時に、興味がないのに付き合ってくれていたんだろうなと猛省していました。しかし20年ぶりに再会して、多忙なこともあり10分しか逢えなかった弟を思わず抱きしめました。寡黙ながら、その瞳からいろいろと心情を察して「ごめんな」と一言だけ告げました。後日、親戚のグループチャットで弟の妻があることを教えてくれました「毎月、三国志の作品を見てるんですよ。お兄さんから教わったんだって」と知った時、涙がこぼれ落ちました。なにも知らなかった兄と知ろうとしてくれていた弟。それでもやっぱり兄弟というのは根っこの部分で繋がっていると感じた瞬間でした。

子どもたちの邂逅

不甲斐ない長男の自分ですら奇跡的に子どもがいて、そして兄弟それぞれ家庭を築いていて甥っ子や姪っ子とそれぞれの子どもと会うのが楽しみでした。子どもたちからいろんな言語が飛び交いこれまたユニークな親戚で国際交流となり互いに「cousin(いとこ)」呼び合って初めて会ったとは思えないくらい兄弟のように遊びあっていました。子どもは不思議です。親たちのこれまでの溝を埋め尽くして疑念を浄化するほど癒やしの効果がありました。

コロナがなければ、この子たちをもっと早く会わせてやりたかったという後悔があります。
しかし、それがあったから子どもたちも親もお互いに尊い絆が育めたのかとも思います。
清濁併せ呑むとはよく言ったもので良くも悪くも証明してくれているのは子どもたちです。
私たち兄妹は自分勝手な親たちにより大変な境遇でした。だからこそ、親とはなにかを
反面教師で再構築していく親でありたいという想いは子どもを通して伝わってきました。

自分らしくいられる存在

人はいつの間にか固定観念や理論武装で塗り固めてしまうことで大事なことを時々見失ってしまいます。言葉では表せない情緒や慕情に身を委ねているときが人が安らいでいる瞬間だと思いますし得難い貴重な瞬間です。その瞬間を湧かせてくれる存在が兄妹や親戚や家族、または親友なんだと思います。理屈ではなく根っこの部分で繋がっている存在なのだから。良い所も悪い所も許容してくれている存在がいるから自分らしくいれるのかもしれません。

独特の癖や考え方、そして人知れない生き方なんかも一緒に育ちながら知ってくれている存在がいるかいないかで、孤独になったり犯意が芽生えたりなどの影響力はあると思います。例えば、京アニ放火事件で犯人に思うところがあります。アニメ好きな自分としては許せない反面、社会が見てみぬふりしてきた結果そうなってしまって、もしかしたら誰でもなりえることなのかもなと考察させられます。それだけ人を知って関わることは重要なんだなと今回の再会で感じたことでした。20年ぶりだろうが20秒後だろうが、兄妹に変わりはありません。人生の中で苦楽を共にする存在はそう多くありませんから、老いも若きも関係なく芯から繋がっている存在は大切にしたほうがいいです。

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