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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

金澤翔子さんが描く共生社会の書道の世界

ダウン症の天才書道家・金澤翔子

 

実は私自身、金澤翔子さんが生で揮毫(大勢の前で書道のパフォーマンスをすること)したところを見たことがある

ダウン症の天才書道家、金澤翔子さん。彼女の描く書は圧巻で迫力があり、生でその書を見ると涙が出そうになる、と言われている。私は2021年に宮崎県で行われたワークショップで金澤翔子さんと母の泰子さんからサインをもらったことがあった。

初めて生で見る翔子さんが直接描く書は想像よりも気迫に満ちて、思わず鳥肌が立つほどだった。

10歳で書いた般若心経

 

金澤翔子さんは1985年、東京都生まれ。出産間もなく、ダウン症と診断された。母の泰子さんは生まれて初めて翔子さんと対面したとき、涙が止まらず、翔子さんが成長してからもダウン症の告知を受け入れることが難しかったという。泰子さんは街の書道教室を開いていた。翔子さんは物心をつく頃から書を親しむことになった。

翔子さんは小学に上がってから支援学校ではなく、普通級に在籍していた。しかし、小学4年生の頃、とうとう学校から支援学校に行くよう勧められ、孤立していた頃に翔子さんと泰子さんは大掛かりな般若心経をしたためることを決意する。

こうして、描いた般若心経はその後の翔子さんの書道人生の指針となった。

14歳で最愛のお父さんとの別れ、個展を開く

翔子さんが14歳の時に最愛のお父さんががんで亡くなった。打ちひしがれた翔子さんと泰子さんはお父さんとの生前交わした約束、二十歳での個展を開くことを決意した。18歳で支援学校を卒業し、家にいることが多かった翔子さんが一念発起して、開いた個展は銀座の一角で行われた。

泰子さんは当初、これが最初で最後の個展になるだろう、と思っていたという。しかし、翔子さんの描く個展は評判を呼び、大きな反響をもたらすことになる。

翔子さんの書は瞬く間に全国へと波及し、全国各地で揮毫するようになる。金スマなどテレビ番組出演や奈良の東大寺や鎌倉の建長寺での揮毫、大河ドラマでのタイトル採用、国連でのスピーチ開催など活躍は多岐に渡った。

生で見たからこそ分かったすごさ

 

金澤翔子さんの描く書は世界観がある。そして、その一文字一文字にもお世辞ではないが魂が込められている。見る者を圧倒する。鳥肌が立ち、涙が零れる。翔子さんが歩んできた道程もさることながら、ダウン症だからこそ描ける邪気のない書に見る者は魅了される。

翔子さんの元にはダウン症の子連れが多く訪れるという。翔子さんはそんな後輩たちにも声を掛け、気さくに話すという。

私もサインをもらい、勇気をもらった。翔子さんの書をモチーフにした絵葉書は毎日、手帳の中に仕舞ってある宝物だ。

ダウン症の翔子さんが描く書の世界、これからも活躍が楽しみだ。

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