『ソークラテースの弁明』プラトーン/著
うんちくと知性の境界線ってどこだろう
女の子から電話がかかってきた。その女の子からは定期的に連絡が来る。内容は雑談のみ。私は読書家だが、彼女は読書をしないので本の話にはならない。
その日たまたま「最近も本読んでるの?」と彼女が聞いたのは、単なる気まぐれだったと思う。多分「今日はいい天気だね」くらいの意味だ。
私は「ちょうど今読み終わった」と答えた。彼女が「何を?」と聞くので『ソークラテースの弁明』と伝える。「小難しい本を読んだらモテる気がするから読んだ」とふざけて言うと、案の定「モテないよ」と返ってくる。そして続けて「ちょっと内容教えてよ」と笑う。
私はほんの“さわり”を話した。彼女が何故か「それで?」と促す。仕方がないからまたちょっと話す。「それからどうなったの?」と聞かれたのでまた続け、とうとう5分くらい話してしまった。
女の子はそれまでのふざけた声のトーンを少し落とし、「あのさ、その話は本当に好きな女の子にしか話しちゃだめだよ」と言う。
「なんで?」と私。
「あたしに彼氏がいるからよかったものの、こんなにさらっと話されるとちょっとキュンとくるのよ。普段全く本の話をしてこないからなおさら」
「本当に?」
「本当に。だから気のない女の子には話しちゃだめだよ」
「わかった」
そうするよ、と言って電話を切る。わっしょい。よし、女の子たちに話しまくろう。
次の日から、私は女の子と会うたびに『ソークラテースの弁明』の話がしたくて仕方がなくなった。しかし私も馬鹿ではない。女の子にとって、急に興味もない話を力説されるほど苦痛なものはない、そのくらいは知っている。焦るな、チャンスは必ず来る。さりげない会話からつなげるのだ。
だが、日常会話で『ソークラテースの弁明』の話はまず出ない。というより、「ソクラテス」という単語が出ない。私はチャンスをひたすら待ち続け、とうとう半年が過ぎた。
彼女から久しぶりに電話がかかってくる。『ソークラテースの弁明』を話す機会がなかったことを話すと「何だっけそれ?」と笑う。
「いや、前に内容を話したら『それ絶対モテる』って言ってくれた本だよ」
「そうだっけ。それでどんな内容なの?」
「……えっと……覚えていない」
「何それ」
そう、私は半年の間に本の内容を一切忘れてしまっていた。彼女に必死に弁解する。
「ええと、『ソークラテースの弁明』はすごく良くってね、とても良くってね、そしてすごくモテるんだよ」
彼女は「そうなんだ」と笑い、「それでね、」と雑談を始める。
……信じてくれ。『ソークラテースの弁明』はモテるんだよ。私の願いもむなしく、話題は最近恋人に買ってもらったというマークジェイコブズの時計に変わる。
本の内容
「無知の知」で知られるソクラテスは今から2400年程前に亡くなった哲学者です。彼が裁判で死刑になる様子を描いた本書は、時代を感じさせないほど読みやすく、娯楽小説しか読まない私でもすらすら読めました。
と、最後に「本当は内容をちゃんと覚えている感」を出してみる。本書のモテる可能性に一縷の望みを託して。
このエッセイで紹介した本
『ソークラテースの弁明』プラトーン/著