『ちょっと思い出しただけ』
モテる共通点とモテない共通点
別れた恋人に思い出してもらうためには、好きな花の名を教えておくといい。と何かの一節にあった。
言われてみるとたしかに、「ミモザ」を見ると昔付き合っていた人をちょっと思い出すことがある。けれど花はあまり詳しくないし、日常生活で出会うことも稀だ。
私は基本的に音楽を1日中ずっと聴いているので、より思い出すとしたら花より音楽だろうと思った。実際に、恋人が好きだったYUKIの『うれしくって抱き合うよ』や小袋成彬の『game』は割と長いこと聴けなかった。そんなある日のこと。
以前から少しだけ面識のあった女の子と2人きりで話す機会があった。友人の知人程度の知り合いで年齢も離れていたため、(皆で遊んだ帰りにたまたま方向が一緒だったとはいえ)2人できちんと会話するのは初めてだった。
夜だったし、2人きりは怖いかもしれないので「別々に帰って大丈夫なのだよ」というサインを3つ4つ出したのだけれど、まったく気にしていない様子だったのでしばらく歩きながら話すことにした。
けれど、もしかしたら女の子は緊張しているかもしれない。会話に困るかもしれない。一応私のほうが年上だしなんとか話題を提供しよう。
そう思っていたら、ちょっと信じられないレベルで話が盛り上がった。その女の子も基本的に1日中ずっと音楽を聴いているとわかったのだ。しかも奇跡的に音楽の趣味もほぼ全く一緒だった。100人いたら2、3人としか共感しあえないであろう好みの曲たちのことごとくを、2人とも好きだった。
彼女は「aus」も「小瀬村晶」も好きだったし、彼女の好きな「meitei」や「各銅真実」を私も好きだった。「坂本龍一」で一番好きな曲も、「湯冷めラジオ」で好きな曲も一緒だった。私達はそれぞれの好みをできるだけ伝えあった。結局あまりに盛り上がったのでどちらともなくそのままご飯に行った。
サイコロの目が1000回連続で1が出ることは確率的にあるけどすごく怖い
しかし私は彼女と音楽の話をしているうちにだんだん怖くなっていった。2人ともお互いの個人情報をどこかで入手したっけ?というくらい、音楽の好みがあまりにも同じ過ぎたからだ。「レイ ハラカミ」も「冬にわかれて」も「Kumi Takahara」も2人とも知っていた。
極めつけは、県外のとある地方都市であった、倉庫を使った20人規模のライブにお互い行っていたとわかったことだ。彼女は整理番号3番で、私は5番だった。
彼女が疑惑の目をこちらに向ける。
ーーねぇ、あなたもしかしてストーカー? 誰かから私の音楽の好みを事前に聞いて口説こうとしているの? すごく怖いんだけど。
私は眼差しだけで返事をする。
ーーちがうよ。なんだったら僕も好みが同じ過ぎて怖いと思っているよ、若干君のことを疑ってさえいるよ。多分ほとんど奇跡に近い確率が悪い意味で起こったんだ。ほら、人間は確率的には(理論上は)壁をすり抜けられるっていうでしょ。人間も壁も原子だからさ、理論的には起こりうるんだよ。というかなんで僕が弁明している感じになっているの? 壁をすり抜けられるという謎の例えも怖いし、これじゃまるでストーカーみたいじゃないか。
私達は無言でお互いの目の奥から真実を探ろうとしていた。しかし彼女の目からは疑惑しか見いだせなかった。
ーーちがうよ、ストーカーじゃないよ。本当にたまたま音楽の趣味が奇跡的に合っただけなのに。でも、そうだね、たしかにここまで一緒だったら気持ち悪いね。
私達は気まずい雰囲気のまま店を出て、別々に帰路についた。彼女にはそれから一度も会っていない。
それ以降も私は、ほとんどの時間を音楽を流す生活を続けている。映画『ちょっと思い出しただけ』では、別れた男女がそれぞれの相手を「ちょっと思い出す」シーンがあるが、私は音楽を聴く度にだいたいいつもあの付き合ってもいない女の子のことを思い出す。
単純に聴く曲聴く曲がことごとく相手の好みでもあるからだ。そして彼女を思い出すたびにこう思う。僕はストーカーではなかったのだよと。
このエッセイで紹介した映画
『ちょっと思い出しただけ』2021年公開の邦画