『キッチン』よしもとばなな/著
エッセイ
青豆ごはんは食べたことがなかった。
それどころか青豆を「あおまめ」と読むのか、それとも小豆(あずき)みたいに固有の読み方があるのかさえしらなかった。
もともと食に頓着のない私は、食べるものにももちろん無頓着。
「毎日の食事であなたの身体はできている」という言葉も――多くの物事がそうであるように――自分自身が関心を持っていなければなんの意味もなさなかった。
そんなわけでそれらの言葉はただの記号としていつも右から左へ流れていた。
だが一度大きく体調を崩してからのこの数年、私は食に関心を持つようになり、夕食を丁寧につくるようにしている。
そしていつも使う料理本の中に「青豆ごはん」が載っていたというわけだ。だからそれが「あおまめ」と読み、グリーンピースのことだと知った時「よし、青豆ごはんを作ってみよう」と思ったのは私にとってとても自然なことだった。
その日の献立は、「青豆ごはん」「肉じゃが」「小松菜と油揚げの煮びたし」に「じゃがいもとニンジンのみそ汁」。
料理をしていると、それがとても仕事やスポーツに似ていることに驚く。ただやみくもにしてもてんでうまくならない。
肉じゃがを煮込んでる間に油揚げを熱湯にくぐらせ小松菜もさっとゆでる。絹さやは筋をとらないと歯に残るし、「肉じゃが」と「小松菜の煮びだし」が同じ煮物でかぶっている。ということにも初めは気づかない。
青豆ごはん
それは知識や情報の羅列ではあまりうまくいかない。
どうやったら効率的に作れるか。どの優先順位で今日の仕事にとりかかるか。どこにボールを蹴り、どういうゲームメイクをしていくか。
仕事やスポーツと同じで、それは試行錯誤や時間の蓄積をへて身体が獲得していく類のものだ。そこには論理があり秩序がある。直感は技術を磨いたあとに生まれやすい。
不思議なもので、丁寧に料理をつくると皿洗いも好きになる。よしもとばななの小説『キッチン』の主人公の「私」みたく台所で眠ることはないけれど、最近はキッチンに立つのがわりかし好きになった。
今日も私は丁寧に夕食を作る。丁寧に納豆をとりだし、丁寧にねぎを切って、丁寧にご飯にのせて食べる。そして丁寧にお湯を沸かし、炊き立ての白米にかけて食べる。うまうま。
日常生活の報告を装い、料理男子をアピールすることで、黒髪の乙女にモテることを切に願う。
このエッセイで紹介した本
『キッチン』よしもとばなな/著
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