『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
カフェの店員さんは大抵私達に興味がない
某スターズカフェという、いい雰囲気を醸し出す男が好む場所に行ってみた。
私は別の珈琲チェーン店によく行っていたのだが、引っ越したアパートのすぐ近くにスターズカフェがあったのだ。しかし私はカフェインが割と苦手。大量に摂取すると如実に夜眠れなくなる。だからいつもカフェインが少ない飲み物を頼むようにしていた。
初めてスターズカフェに行ったときカウンターにいたのはボーイッシュな女の子だった。襟足とサイドを5mm位に刈り上げていて、それ以外の部分をひとつ結びにしていた。それが女の子の器量の良さを更に引き立たせていた。
私は、カフェインが少ないメニューを聞き、ココアとミネラルウォーターを頼んだ(ミネラルウォーターは『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という小説でその存在を知った)。そして店内で、同作の続きを読み始めた。
翌週もスターズカフェに行ってみた。カウンターにいたのは初回と同じ女の子だった。彼女は「今日もココアにしますか?」と笑顔で聞いてきて、私は「はい」と答えた。クールな見た目ではあるが愛想がいいのだろう。私はまた1時間、小説を読んだ。
カフェインレスコーヒー
3回目。またしてもその女の子だった。私が、ココアを、と口を開くより一瞬はやく、彼女が「あの、」と言葉を発した。
「カフェインが少ないのがいいんでしたよね、よかったらこれ差し上げます」
女の子は一枚の手書きのメモを渡してくれた。ちょうどはがきサイズのメモだ。そこには彼女の字でスターズカフェのカフェインメニューランキングが丁寧に書いてあった。
「個人の意見です」という吹き出しと共に、かわいらしい字でカフェインが多いメニューから少ないメニューまで丁寧に書いてあった。ただ羅列しているのではなく、それぞれのコーヒーの特徴もかなり詳しく説明されていた。カスタマイズやおすすめの飲みかたまで手書きで書いてあり、作成するのに30分は掛かりそうだった。
そしてそこで、私はそれから何年も飲み続けることになるディカフェ(コーヒーからカフェインを抜いたもの)と出会った。
メモは明らかに女の子が自分用に作成したものではなかった。それはお客(私)一人に向けて書かれたものだった。
翌週、私はまたスターズカフェに行くことにした。せっかくだから今日は違うものを頼もう、と彼女からもらったメモを手に取る。先週は彼女からの突然のメモに喜んで気づかなかったが、よく見ると、そのメモは手書きでなくコピーされたものだった。
しかも、はがきサイズのメモ紙に切れ目がある。仕事柄、A4用紙を手にすることが多いからわかる。このメモを4つ繋げるとちょうどA4サイズになる。
この手書き風メモは「量産型」だ。1枚の用紙から、このメモが4枚できるという寸法だ。
きっと、スターズカフェには「カフェイン少な目のメニューはありますか」と、あたかもひ弱な羊の皮を被り、店員さんを狙う人が多いのだろう。
彼女たちはその牙から身を守るため、はがきサイズの“盾”をスターズカフェより支給されているに違いない。
スターズカフェの店員さんの愛想は計り知れない。そのやさしさが、時に人を傷つけることもある。ひとまずA4からカットされたメモを片手に、ぬか喜びをしたかもしれない3人の兄弟たちのことを想う。
このエッセイで紹介した本
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹/著