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2024/11/10:フリーペーパーvol.104発刊!

わたしなりの父としての在り方

父親が育児をするということ

皆さんは父親の育児についてどういうイメージがありますか?育った環境や関係性にもよるでしょう。世論としては父親が育児に関わることはとても推奨されています。実際に身近で見かけることも増えました。ただ、世代によってはそのことに違和感を持たれてることも感じています。なので、私の背景を知っていただいたうえで父親の育児とはなにか?についてひとつのエピソードとしてお話したいと思います。複雑な話となりますがご容赦ください。

私自身が育った境遇について

かなり波乱万丈な境遇でしたが…父親のことだけに絞ると最悪な存在という記憶のみ、というのが正直な話です。母は離婚と再婚を繰り返したことで戸籍上では5人の父親がいました。が、いずれも最悪でした。そのうちの3人は私への虐待、国際差別、愛情格差により人格的に歪まされました。つまり、父親(たち)に対して最悪の感情やトラウマを抱えたまま私は父親になっているわけです。父親としての土台がないままで果たして父親になれるでしょうか?その不安と不穏さを前提に知っていただいたうえで育児について述べていきたいと思います。

父親としての愛情について

前述の通り、最悪の父親たちでしたのでいずれも愛情について学んだことはゼロ…むしろマイナスです。そんな私が父親になることはとても重責でした。父親の愛情をゼロベースから我が子と築く必要があったからです。ただ、最悪の前例を経験したことを反面教師として活かしました。今の家族と感情的(発作)になったとしても愛することや謝ることだけは全力で表現して、家庭が閉鎖的にならないよう率先して子供を連れて外で遊びながら最小限でも人と関わり認知してもらうことを重視しました。なぜそこまでする必要があるのか?それは【DVで育った親はその子にもDVをする】という統計上の法則があります。その法則を受けとめた故に私なりの最善策だと判断したからです。そうすると、父親の愛情を知らない私でも我が子と苦楽を共にした絆によって父親の愛情が芽生えるようになりました。

イクメンという造語が苦手

妻が妊娠中に私なりの工夫でサポートしていました。例えば、悪阻の時トイレに吐くことは妊婦にとって不衛生に思い、容器に袋をセットして用済みの袋は捨てて新しい袋に換えては背中をさすっていました。このことからイクメンというのは子供が産まれてから育児をするパパの姿をみて人から呼ばれることに疑問を感じて苦手となりました。パパが育児に参加するという表現もモヤモヤしますが…父親という当事者である意識だけが大切だと感じます。どんなに流行り廃りがあろうと親と子という関係性の原理は変わらないので、そのことだけ真剣に向き合うべきなんです。

母子と父子のギャップ

母子が子供を抱えていると人から高圧的な態度を受けている場面をよく見ました。ただ、父子だと驚くほどその割合は少ないです(たまに子供自体を好まずに不機嫌な方もいますが)世論では母子を大事にしようと唱えていても、世間は母子を弱い存在とみなす人がいます。その理想と現実のギャップを実感する父親がいれば母子を守れることに繋がっていきます。なによりも母子でも父子でも子供を温かく見守ってくれる社会であれば最良だと考えます。ジェンダーが叫ばれる世界情勢ですが、その前に解決しなければならないのに置き去りにしている社会問題でもあります。

父親の存在意義について

コロナ禍は過去形になりつつあり、これから価値観や常識など大きく変革すると思います。そんな激動の時代を子供たちは生きていくことになりますので、順応すべき柔軟さとブレてはいけない軸とを大人が判断して子供に教えながら育てることがより重要になってきます。
それらすべてを母親に委ねるには限界があり父親も子供を守るため判断力を求められます。
父親に関して私自身が辛い経験をしたからこそ父親の影響力の大きさをよく知っています。

日本ではなぜか父親の存在は軽視され、または関係性が薄くなりがちですが戸籍上ではしっかり筆頭になります。そんな温度差にも納得がいかないのです。思うに、家父長制という法的または伝統的な父親としての影響力ではなく、子供にとって絆が深い存在であることがこれから貴重になってくるのではないかと考えます。欧米などでよく言われているのが生物学的な関係という表現をしていますが、かなりディストピアな感覚になったと危惧しています。

自分は辛い境遇から子供を持つことはないだろうと昔は思っていて、その頃の感覚であればディストピアでもいいし自分さえ良ければいいと思ってたドライな主義だったと思います。しかし今は子供がいることで自分の中でいろいろと心の変化が起きているのだと思います。
父親の愛を知らないくせに父親の愛を語るなと世間から見られても、子供が与えてくれた心の変化のままに私は父親であることを実感していきながら、父親とはなにか?そのことを自問自答し続けていく1人の父親でありたいです。

最後に

私は記事を綴るときにどうしても周りからの反応や世間体や関係性などを気にするあまり躊躇って下書きの段階で足踏みすることが何度もありました。しかし今回は思い切って踏み込んだ記事でもあります。そもそも父親がいない世帯など配慮すればキリがないですがそのことも脳裏をかすめながらも、私のありのままを表現しました。父親とはなにか?について考えていただける機会となれば幸いです。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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