天才画家であり研究者であるレオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチといえば名画モナリザや最後の晩餐などを描き出した天才画家のイメージが強いと思います。しかしダヴィンチは芸術家だけではなくあらゆることに好奇心が湧いてくる、もはや研究者とも呼ばれるレベルの勉強家でもありました。そんなレオナルド・ダ・ヴィンチ(以下時々ダヴィンチと略称)について知られていること知られざることを解説していきます。
レオナルド・ダ・ヴィンチが精通した学問
- 数学、化学、光学
- 土木工学、流体力学、機械工学
- 天文学、地質学、動物学、物理学、解剖学、火工品、幾何学
画家をしながら10以上の研究もこなしていたなんて驚きですよね。しかしこういったことも含めて現在まで残る名画に投影されていたのだと考えますと、ただ芸術家としての感性だけではなく研究家としての知性も相まって人々を魅了する要素になったのかなと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチの人物像
レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年4月15日に生まれて、ルネサンス期と呼ばれる14〜16世紀にかけてヨーロッパの文化と芸術が花開き盛んだった時代を代表する芸術家となりました。芸術家は裕福な家柄から輩出されるのが通説でしたが、ダヴィンチは愛人の子いわゆる私生児でした。しかしながら、恐らくその境遇でなければ生み出せなかった天才的な発想による芸術が後々にも影響していくことになります。
ダヴィンチの母は16才でしたが、愛人ということもあり世間体も厳しく育児に向いてませんでした。またダヴィンチの祖父が妊娠に激怒し、ダヴィンチは母ではなくその祖父に育てられました。ただ、実の母とはおなじヴィンチ村で過ごしたのだそう。しかしダヴィンチは祖父から実母のことを教えてもらえず、なんと同じ村に居ながら互いに母子だと知らないまま(母はダヴィンチの成長した姿を知らない)同じ村に住む他人として過ごしました。
とはいえ、世紀の芸術家になるほどの鋭い感性をもったダヴィンチが果たして近くて遠い母の面影を感じていなかったのか?母の名はカテリーナ、村娘としてダヴィンチと交流することもあったと思います。みえざる絆を感じていたことはあったと思います。というのも、ダヴィンチの名画モナリザは母の面影を求め続けて描いたのでは?というくらいこだわり未完成のまま。にも関わらず世界中からその魅力に惹き寄せられる名画です。
他にも様々なエピソードがありますが、そんなダヴィンチが暗い幼少期ばかり過ごしたかというとまったく逆で、育ててきたのは祖父と叔父という男親でしたがむしろ愛情深く自由に育ったようです。その経験があったおかげなのか、驚異的な才能を開花させていきました。
冒頭で精通した学問を述べましたが、さらにダヴィンチは仕事や肩書も多才だったようです。
画家、彫刻家、建築家、科学者、軍事顧問官、解剖学者、音楽家とたくさん掛け持ちしていることに秀でてる特性として、4時間起きて20分だけ寝るという睡眠スタイルのおかげで多くの活動ができたのだろうと思われます。ただし天才にも欠点があります。それは完璧主義ということで、ひとつの仕事を完結まで成し遂げられないということ、モナリザの件もそうでした。
レオナルド・ダ・ヴィンチの謎
ダヴィンチは現在までに残したものは名画だけではなくテクノロジーのヒントも与えましたが、さらに多くの謎も残していきました。【ダ・ヴィンチ・コード】という映画をご存知でしょうか?ネタバレはしたくないので語りませんが、そういった現在の作品によってダヴィンチの謎を追求するものが多いので時代が経つにつれてダヴィンチへの関心が薄まらずむしろ深まっていき、ダヴィンチは本当の意味で後世に影響する様々な課題を残していきました。
例えば、ダヴィンチは1500年頃すでに飛行機やヘリコプターなどを発想していてその設計図まで描いています。そして実際に飛行機が誕生したのは1900年年頃と、約400年先です。
当時の人でも空を飛びたいという想像まではしていたでしょうが、それを具体的に浮力などを計算して設計図として描いたというのはいくらなんでも思考が未来へ行き過ぎています。
未来予測ではないか?と言われるほどの作品によってダヴィンチの謎は注目されています。
ダヴィンチは出来事や図形や計算、果ては愚痴までいろいろと書いたネタ帳がありますが
故スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなどテクノロジーに関わる業界人は必読してます。
その中には水の研究ノートというのがあり、ビル・ゲイツがオークションで買っています。
1994年に3080万ドル(約43億5212万6607円)という凄まじい額で落札されたみたいです。
それほどまでに欲したノートには一体どのような内容が記されていたのか気になりますね。
最後に
天才にありがちなこと、それは孤独です。レオナルド・ダ・ヴィンチもまた孤独でした。
しかし時代が社会性よりも芸術性を尊ぶルネサンス期であっことや、ダヴィンチの天才的な思考を理解できなくてもその才能と精神に理解を示してくれた者たちの協力もあってこそダヴィンチは最高の孤独のままで創作に没頭し、納得がいくまで幾度も手直ししながらも後世まで色褪せない芸術を生み出しました。孤独であることは不幸、母親がいない人生なんて不幸、そんな不幸を払拭するために一般的な倫理観に当てはめて生きていたら果たして天才レオナルド・ダ・ヴィンチは誕生したのか?そんなことにも想い馳せながら、この多才な偉人の解説をしました。
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