サフェト・アリバシッチは1982年、旧ユーゴスラビアに生まれ、ボスニア紛争下で地雷を踏み12歳で左足かかとを失った。
「まだ少年だった自分にとって、世界がすべて破壊されるような経験だったよ」
そう話す彼は、シッティングバレーボールと出会い、人生が変わったという。
ここで言う、シッティングバレーボールとは何なのか。
その名の通り、座ったまま試合を行うバレーボールのことを指し、健常者も脚に障害を持った人も関係なく楽しめるものだ。
夏季パラリンピックの競技種目に採用されており、20歳で代表入りしたアリバシッチは10年近くその中心選手として名を連ねている。
大会前に彼は、「リオではどのチームも強敵だし、素晴らしい試合になるはずだ。どのチームも十分な準備をしてくるし、簡単な試合など一つもない。でも、決勝に進むのは、僕たちだよ」と語っている。
その言葉通り、決勝に進出したチームは、リオ・オリンピックそしてパラリンピックのホスト国であるブラジルに勝利し、金メダルを獲得した。
[朝日]地雷で足失った選手ら、連覇王手 シッティングバレー https://t.co/euwlJKKbeN (17日、シッティングバレー男子準決勝)12歳のとき、地雷を踏んで左足かかとを失った33歳のエース、アリバシッチの強烈なスパイクが相手ブロックをはじき、2連覇を狙うボスニ…
— 5newspaper (@_5newspaper) September 17, 2016
しかし、金メダル獲得への道のりは簡単なものではなかったそうだ。
2010年の国際大会でイランに敗れたボスニアは、イランを世界選手権で優勝を狙えるチームの一角になると見なし、練習を積んできた。
ところが、準決勝でブラジルがイランに勝ち、決勝の相手はブラジルに決まった。決勝戦を振り返って、アリバシッチはブラジルの驚異的だった粘り強さを認めている。
「最初、ブラジルが優勝を狙えるほどの強敵だとは思っていなかった。簡単な試合になるだろうとリラックスして決勝に臨んだ。しかし現実は違った。試合は困難を極め、チームはなんとか勝利し、金メダルを獲得することが出来た」
シッティングバレーボールの決勝面白くて寝れない…。
— みきちん🐻 (@KitchenMi) September 18, 2016
大会終了後には、MVPを獲得したアリバシッチ。
「国際大会での受賞は特に重要なんだ。障害者スポーツはボスニア・ヘルツェゴビナではあまり重要視されていない。だから自分にとって今回の受賞はまた違った重要な意味を持っているよ」
そうして自分自身がその例として、スポーツが障害者に与える恩恵を強く感じているという彼は、以下のようなメッセージを残している。
「障害のために目標や希望が叶わないと思ってほしくない。スポーツ全般、特にシッティングバレーボールは社会参加するための素晴らしい手段だし、精神物理学的にも健康につながる。すべての障害者に送る私からのメッセージは、屈するな、諦めるな、ということだ」
via:WOWOW
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