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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

ザ・スミス 80年代、日陰の下で輝いた一輪の花

リアルタイムではないですが

80年代、イギリスで5年間という短い活動期間にもかかわらずロックミュージックに大きな爪痕を残したザ・スミス。僕が最も影響を受けたアーティストの一つです。リアルタイムではないのですが、20代前半に出会った日から今日までずっと聴いてきたザ・スミス。そんなザ・スミスについて書けたらと思います。

映画のような出会い

1982年、青年モリッシーは定職も無く、親と同居し、アメリカのバンド、ニューヨーク・ドールズのファンクラブを立ち上げ、その会報を書くライターをしていました。モリッシー、23歳。ある日19歳の経験豊富なギタリスト且つ作曲者、ジョニー・マーがモリッシーの文章能力に目を付け、モリッシーの家のドアをノックします。意気投合した彼らはバンド結成することに。ザ・スミスの始まりです。

ジョニーが書いた曲にモリッシーが歌詞とメロディをのせるスタイルで、二人は曲を作っていきました。ベースはジョニーの友人でもあるアンディ・ルーク。ドラムスはオーディションでマイク・ジョイスに決まり、本格的にバンド活動を始めます。

ザ・スミスのバンド名はモリッシーが決めました。スミスとは最もありふれた姓で「世界中の普通の人たちが顔を見せる時だと思うんだ」との理由でのバンド名です。

1stアルバム、「ザ・スミス」

1984年にリリースされた本作。UKチャートにて2位を記録します。このアルバムに収録されているジス・チャーミング・マンが僕はザ・スミスの楽曲の中で一番好きです。他にも1stシングルのハンド・イン・グローヴや一曲目のリール・アラウンド・ザ・ファウンテン、ギターのアルペジオが美しいスティル・イル、聴きどころがあるアルバムです。

同年、コンピレーション・アルバム「ハットフル・オブ・ホロウ」も発表します。

ウィリアム やハウ・スーン・イズ・ナウ?。ジス・チャーミング・マンのジョン・ピール・ショウでの音源、ハンサム・デヴィル、プリーズ・プリーズといった名曲が収録されています。僕がザ・スミスのアルバムの中で一番聴いたアルバムです。

ザ・スミスのライヴ モリッシー、くねくねしてます

僕は映像作品、「ザ・コンプリート・ピクチャー」にてライヴ映像やMVを観ました。彼らはシャツとデニムといった普通の格好でパフォーマンスをしていました。トップ・オブ・ザ・ポップスという番組に出演したときは、生演奏ではなく、バックで音源が流れているだけという、今観れば特殊な環境下の中でも、堂々とパフォーマンスをしていました。モリッシーは体をくねらせ、全身全霊でパフォーマンスをしてます。分厚い縁のメガネや、グラジオラスの花など小道具も多様していました。


2ndアルバム、「ミート・イズ・マーダー」

1985年にリリースされた本作。UKチャートにて堂々の1位!僕が最初に買ったザ・スミスのアルバムです。ザ・ヘッドマスター・リーチュアル、アイ・ウォント・ザ・ワン・キャント・ハヴ、ノーホエア・ファースト、ミート・イズ・マーダー、良曲が多く、1stよりもポップですが、前作よりもモリッシーの思想が色濃く出ています。特に菜食主義についてです。日本盤LPの帯には「肉喰うな!」という文字が書かれています。

3rdアルバム、「ザ・クィーン・イズ・デッド」

1986年にリリースされた本作。UKチャートでは2位。各曲の録音は85年、11月には終わっていたのですが、リリースは86年、6月。プロモーションの影響でこのアルバムは発売が大幅に遅れたわけです。本来なら1位を獲得したでしょう。ザ・クイーン・イズ・デッド、アイ・ノウ・イッツ・オーヴァー、セメタリー・ゲイツ 、ビッグマウス・ストライクス・アゲイン、心に茨を持つ少年、ゼア・イズ・ア・ライト、サム・ガールズ、名曲だらけのアルバムです。しばしば名盤に挙げられる本作。でもザ・スミス自体は多くのストレスを抱え、順風満帆というわけではなかったそうです。

4thアルバム、「ストレンジウェイズ、ヒア・ウイ・カム」

シングルやコンピレーション・アルバムのセールスは好調だったものの、モリッシーとジョニーの間で緊張状態が続き、バンドは分裂の危機にありました。1987年、9月に4thアルバムをリリースするも、発売前にバンドは解散しました。UKチャートで2位を獲得するも、小規模な成功にとどまったそうです。ガールフレンド・イン・ア・コーマ、ストップ・ミー 、活動中のラストシングル、サムバディ・ラヴド・ミー。良曲も多いですが、やはり寂しさがつきまといます。メンバーは四人とも、このアルバムがスミスの最高傑作だとしています。

解散後 それぞれの道へ

モリッシーはソロになり成功をおさめます。僕はモリッシーのアルバムもある時期まで聴いていましたが、今は聴いていません。歌唱力もアップして、良い曲もあるのですが、ザ・スミスには及びません。

ジョニー・マーはいくつかのバンドを転々として、色々な活動をして、最近ではギターヴォーカルとして歌を唄っています。僕はジョニーの歌はあまり好きではないです。ギタリストとしてはヒーローですが。

つまりザ・スミスとは奇跡のバンドなんだと思えます。この二人のケミストリーによって成り立っていたのだと。ただ再結成などは絶対にしないでほしいです。モリッシーもジョニーも再結成は頑なとして否定してます。モリッシーは「素晴らしい旅は終わったんだ。僕は続けたかったが(ジョニーは)終わらせたかったんだ」と語っています。

レコードの醍醐味

昔、レコードを集めるのが趣味で、ザ・スミスも持っていました。ザ・スミスが活動した1982年から1987年とはレコードからCDにフォーマットが代わる過渡期だったそうです。レコードにはA面、B面があり、ザ・スミス以前のアーティストは曲の進行もA面、B面しっかりと考えて作ったそうで。音楽には歴史がありますね。意識してA面、B面と聴くとよりカッコ良さがわかります。

ありがとうございます、読んで頂ければ幸いです。

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