序文ーギターソロが目立たない現代、ギターソロを思考する
ギターソロ、という言葉は様々な音楽用語の中でもなかなか市民権を得ているものではないかと思います。ギターがバンド・あるいはグループでの合奏の中で一際前に出て音を鳴らす場面は全て「ギターソロ」という括りに分類されます。
しかし、近年はあまりギターソロを多用した新しい楽曲を聴かなくなってきた気もします。プレイリストでシングル感覚に音楽を聴くことが日常になった以上、ギター奏者が一人で一瞬目立つより歌やコードの転調による展開がたくさん入っていた方が音楽としてお得な感じがするから……というのが真相なのかもしれない、と私は解釈しています。しかしながら、それもまた少し寂しい。やはりロックに憧れを持った人間としてはがっつりとギターを聴きたい瞬間があるのです。
そこで今回は私はこれまで聴いてきた中で「これこそギターソロだ!と感動したギターソロ」を5つ取り上げ、「ギターソロ」という音楽において少しずつ風化しつつある……ような気がする行動について思考を巡らせてみようと思います。皆様どうぞお付き合い願います。
ざっくり
1.ニール・ヤング&クレイジー・ホース「Change Your Mind」
ギターソロ界の覇者にして最大級のギターソロ・アウトサイダー、ニール・ヤングの1994年発表の名曲をまずは取り上げたいと思います。
アメリカに根を下ろして動き続けるシンガーソングライター、ニール・ヤング。彼は自らの楽曲に長大なギターソロを取り込むのが定石のミュージシャンです。彼が奏でるギターソロは実は全く技術的ではなく、音階のパターンもそこまで多くはない。しかしながらとにかく「音の強度」が異常に凄まじい。異常に歪み、ギリギリとした、旋律自体が深部から充血しているような壮絶なサウンド。このギターを「戦車のようなエレクトリック・ギター」と評したミュージシャンも居られましたが、そのくらいの壮絶さが確かにあります。ここには音の力で全てを理解させてみせるという鋼のように硬質な意志が転がっています。
本作が収録された「Sleeps With Angels」というアルバムは同時期に亡くなったニルヴァーナというバンドのカート・コバーンへの想念が渦巻いた、極めてシリアスなアルバムです。というのも、実はカートはニールが過去に書いた「錆びつくより燃え尽きる方が良い」という有名な歌詞を遺書に引用して自殺した、という背景があるのです。
その中心部として横たわるのがこの14分に及ぶ「Change Your Mind」。ギターソロを奏でることによる高揚感よりも、ギターソロを奏でることで思考を深化させていくような感覚がここにはあります。
すなわち、ギターソロの本質は技術力や音の派手さによって楽曲を盛り上げることではない。ギターソロの中にそれを奏でる者の哲学や思想性がくっきりと浮かぶような弾き方・音の鳴らし方こそが「ギターソロ」という行為に求められることなのだ……ということをニール・ヤングはその音を以て教えているように思います。だからこそ「Change Your Mind」という言葉が繰り返される、抱擁のような綺麗なサビも活きてくる。ロックバンドという制限に満ちた表現方法を超越するようなこの壮大さも含めて、音楽における「ギターソロ」の意義を考えるには最良の一曲でしょう。
2.ジミ・ヘンドリックス「Voodoo Child (Slight Return)」(ライブアルバム「Live At Woodstock」より)
そんなニール・ヤングの演奏スタイルにも多大な影響を与えたプレイヤー、ジミ・ヘンドリックスのライヴ盤からのテイクを続けて取り上げましょう。
ジミのギタースタイルはリアルタイムでの過剰なエフェクトを際立たせたエネルギッシュなプレイですが、彼の最高傑作は間違いなく1969年に行われた大規模な音楽祭であるウッドストックでのライブ盤「Live At Woodstock」でしょう。
まず前提としてジミの音楽はブルース・ミュージックを基礎としたギター演奏を強く前面に押し出したものであり、彼が遺したほとんどの楽曲には必ず暑苦しいほどに激しいギターソロが入っています。
そんな中でも特に長大なギターソロが聴けるのがこのウッドストック盤の「Voodoo Child」。スタジオ録音のバージョンよりさらに速まったテンポで披露されるギターソロ…..いえ、この曲に関しては歌の部分で鳴るバッキング・プレイも含めて全編がジミのギターソロと言えてしまうでしょう。流暢な指の動きで、かつ雑味たっぷりの音を伴って鳴らされるエレクトリックな音色で耳の奥までジミ・ヘンドリックスの色彩に塗りたくられていく音楽体験。ただただ圧倒的です。
しかし何分も長くギターソロを奏でてもジミの音に一切飽きが来ないのは、やはり音に乗せられた表情がいくつもあって豊かだから、ということが最大の理由でしょう。
ギターを弾く喜び、相反してギターを掻き毟るほどに深まる孤立感、ジミが抱える自分を取り巻く世界への怒り、それ故に在る慈しみが音の中に滲み出ているのです。どうしようもなく人間的な演奏。人工知能が発達し機械が音楽を生成することも一般的になっていくであろうこの社会において、ジミ・ヘンドリックスの感情に満ちた演奏はより大きく聴き継がれていくでしょう。これは人間という生き物でなければ表せなかった感情表現であると私は思います。
結局のところ音楽に求められるのは、どんな人間がそこに居て音を鳴らしているか、ということではないかと思うのです。ジミというあまりに「濃い」人間のギター、是非チェックをお願い致します。
3.TOURS「Parakeet」
続いては近年の日本の楽曲で印象的だったギターソロ・ソングを御紹介致しましょう。2012年に結成、メンバーチェンジを経て現在はYOMOYAというバンドのフロントマンである山本氏、元シャムキャッツの藤村氏、SuiseiNoboAz〜THE RATELとバンドを変遷する溝渕氏から成るTOURSというバンドの「Parakeet」です。
この曲のギターソロは曲の間奏ではなく、長いアウトロにあります。フリーなプレイではなくかっちりと構成が決められている感じのギターソロですが、そのフレーズの輝きは素晴らしいものがあります。
(例えが突飛な気もしますが)1986オメガトライブの「君は1000%」にも通ずるような比較的シンプルなコード進行を背に、クリーンで綺麗なギターのフレーズから派手な鳴りのフレーズへとグラデーションを描くように移行していく様がクールでありながら熱っぽいです。相反する要素がきちんと一つになっているのがとても良いですね。近年の日本から生まれた楽曲でここまでギター演奏を豊かに聴かせてくれる曲はなかなか無いと思います。録音の状態も非常に良いです。
ニール・ヤングやジミ・ヘンドリックスのギターソロはフリーに音を泳がせるような演奏ですが、日本においてはこの「Parakeet」のようにかっちりと決まったフレーズを弾いていくソロの方が主流のように思います。ニールやジミの鳴らすロックミュージックにはセッション的な要素が大きく混じっているので、セッション、即興演奏という文化があまり根付いていない日本においては、自然とギターソロも決められたフレーズの中を泳ぐような形が一般的になっているのでしょう。そして当然即興の方が・あるいはかっちり決まっている方が良い、あるいは悪い、などという対立的な論は全く無意味です。
結論として、ギタリストが奏でるフレーズがどれだけ曲の中で輝いているかが肝なのです。多方面からの論を述べるよりも音楽としての総体を大事にして自らや他者の演奏を精査しようとするミュージシャンが私は好ましく思いますし、私も何より「音楽」第一のリスナーであり続けたいと「Parakeet」を聴きながら思うのです。
4.キングス・オブ・コンビニエンス「24-25」
趣向を変えて、アコースティック・ギターによるギターソロを持つ楽曲を御紹介致します。ノルウェー出身のアイリック・ボーとアーランド・オイエの二名によるアコースティック・デュオ、キングス・オブ・コンビニエンスの「24-25」です。
アコギの爪弾きとハーモニーで紡がれていく非常にロマンチックな楽曲ですが、間奏にギターソロが二回あります。前述の「Parakeet」のようにメロディーをきっちり決めて弾かれるソロですが、そのメロディーが大変に美しい。このメロディー以外、この間奏には存在できないだろうと感じるほどの絶対性、そして存在感があります。静かに、しかし強力に、威風堂々とメロディーがたなびいていく様は是非とも一度体験して頂きたいです。知らないままでいるのは非常にもったいない話です。光り輝くような残響処理のコントロールの見事さも忘れてはいけないところでしょう。
私は趣味でアコースティック・ギターを弾くことがありますが、アコギの鳴らし方、響かせ方というのはエレクトリックのそれより非常に難しいです。ピックを使えばまだ難易度は低いですが、この曲はアコギの感触から察するに恐らく全て「指弾き」です。
アコギを指で弾くには、指の力が弱いと響きが悪くなります。逆に指の力が強すぎても弾かなくていい他の弦と干渉したり、変に音が強調されてしまったりして音楽として不器用になる。この「24-25」のように指でアコギを綺麗に奏でるのは本当に難しいことなのです。さらにここで二人はハーモニーまで披露しているという事実が私を驚かせます。ソフトで透き通るような楽曲でありながら難度の高い内容なのです。
技術をひけらかさない、しかしながらこれほどまでに巧みな演奏は無い、という絶妙な表現のバランス。あまり日本国内で浸透していないことに首を傾げたくなってしまうほどに、これは名曲・そして名演でしょう。
5.bloodthirsty butchers「燃える、想い」
最後に御紹介しますのは日本のバンドであるbloodthirsty butchers(ブラッドサースティー・ブッチャーズ)の楽曲「燃える、想い」のギターソロです。
前述のニール・ヤングやジミ・ヘンドリックス、さらにロックからパンク界までの様々なミュージシャンからの影響をごった煮状態にし、ロックバンドという表現形態にまとめ上げる異能の集団ブラッドサースティー・ブッチャーズ。メンバーは吉村秀樹氏・田渕ひさ子氏(この「燃える、想い」が発表された時は未参加。彼女のパーマネントなバンドのひとつであるナンバーガールの一時解散後に加入)・射守矢雄氏・小松正宏氏の4名で、このギターソロを手掛けている吉村氏の没後もブッチャーズの音楽を称える声は後を立たず、ロック系の音楽を愛好する若い世代にも確実に聴き継がれています。
ブッチャーズは日本のバンドの中でも特別にギターソロを織り交ぜた壮大な演奏を得意としますが、この「燃える、想い」でのギターソロはバンドでの出音がそのまま頭の中に入ってくるような強烈さで、イヤホンで聴いてみるとブッチャーズの面々が音を鳴らすスタジオの中に自分も入ってしまったような錯覚を覚えます。
少し専門的な話題にシフトしてみましょう。エレキギターには「ピックアップ」という部品が目立つ場所に付いており、それらは「シングルコイル」「ハムバッカー」の二つに分けることができます。ここで使われているのは恐らく「シングルコイル」のギターで、「シングルコイル」が付いているギターは「ハムバッカー」のギターより金属的な、線の細い響きを特徴とします。その「シングルコイル」の線の細い響きをディストーション(音を爆発的に歪ませる)、コンプレッサー(音をもわもわと柔らかくする)など様々なエフェクトで補正・増幅させることで、このギラギラしていながらも煮えたぎるようなサウンドを生み出しているのでは無いかと私は解釈します。
こういったスローな楽曲の中で盛り上がりを生み出していくバンドはむしろ海外に多く、日本にはまだそこまで目立っていない印象です(アンダーグラウンドなシーンにはいくつか存在しています)。こういった音楽は海外では「スロウコア」などの個別なジャンル名とともにしぶとく根強い人気があります。私はブッチャーズに「スロウコア」の空気感を強く感じます。速いビートだけがロックではなく、落ち着いたサウンドだけがスローな音楽を形作れる訳ではない、という意見の提示をブッチャーズから受け取ることが出来ると思います。2022年には「燃える、想い」が収録された名作「yamane」がアナログレコード化されるそうです。レコード派の方は要チェックな点ではないでしょうか。この「燃える、想い」を是非お聴き下さい。
ギターソロが人間の感情を揺らし、学びを与える
ここまで5つのギターソロを見てきました。皆様のお気に入りになるような演奏はございましたでしょうか。
ギターソロとは、簡潔に言えば「人間の感情を揺らすもの」だと思います。言葉でなく音で感情を揺らす。波打たせる。そして、リスナーの視野を深く広げる。それが音楽というコミュニケーション手段が持っている最大の面白味であると私は思います。
音よりも言葉の意味性を改めて重視するようになった現代日本の音楽界においては、音によるコミュニケーションの交わし合いにはあまりスポットライトが当てられなくなってきているのが現状かと思います。
しかし、世の中の風潮というものは激しく移り変わるのが当たり前のことです。気付いた時には「音」の面白さに注目が集まってくる時もあるのではないかと思います。そんな時代が訪れた時、「ギターソロ」という表現方法に再び焦点が当てられたら、それはとても面白く、幸福なことではないでしょうか。
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