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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

東京から移住し、鹿児島市の手厚い福祉サービスに助かっています

40代でさまざまな障害福祉サービスをうけるようになってから思うこと

私はうつ病を患っており、36歳になるまでは東京で一般の仕事をしていました。しかし、その後うつ病の症状が悪化。一つの精神科クリニックへ通い続ける間に病名も薬もコロコロと変わり、悪化したら閉鎖病棟のある大きな精神科の病院へ入院するという状態が10年ほど続いていました。一日に飲む薬は、30錠をこえていました。

その間に、自立支援と障害認定の手続きはクリニックの医師に言われて知り自分で行いましたが、その他の福祉サービスは受けたことがありませんでした。

一度復職をしましたが、自分が人事の責任者でもあり社員の心身のサポートをすべき立場だったので矛盾も生じ、結局は辞める事にしました。

その後も社会復帰へのサポートを一度も受けることなく、一人暮らしで生活の質もリズムも酷い状態で過ごしていました。「デイケア」や「就労支援」などの障害福祉サービスを知ることもありませんでした。

40代の半ばで作業所という言葉を知った

病状が悪化してからは、一人暮らしをしながらジムへ通ったり家族と過ごす時間を増やしたり習い事をしたり、多少の変化はありながらも基本的には自分で出来ることを考えて生活をしていました。

そして5年ほど前に長期入院をした際に、初めて入院時の作業療法へ参加しました。
そこで指導に来ていた先生から「退院後も「作業所」というところへ通えば同じ作業を続けて学ぶことができる」と勧めていただき、40代半ばで初めて「作業所」へ通うことを決心しました。

作業所へ通うために保健所職員から聞き取り調査

当時の東京では自分で行きたい作業所を決めたら保健所に予約をし、面談で病歴などを話して、自分から作業所の利用許可を得ました。

その際に、おそらく保健所との間に入る支援センターのことだったと思いますが、どこも都内は定員が一杯で利用できないから直接保健所が対応している、と説明を受けた記憶があります。私はそもそも福祉の仕組みをまったく分かっていないので正確な記憶なのかもわかりませんが、作業所と私の間には何処のサポートもかんでいませんでした。

40代で初めて通った作業所の印象

初めての作業所は、電車とバスの乗り継ぎで2時間近くかかる距離にありました。

東京23区内から市への移動で、超満員の通勤列車とは逆方向なので座って移動が可能でしたが、都内では自分が学びたいこと(革の作品をつくる作業)をしっかりと提供している作業所が他にはありませんでした。

ですが、「遠くても交通費は支給される」というところが大きなメリットになり、この作業所へ通うことに決めました。

【就労継続支援B型】という文字は書類で見かけましたが、何の違いを意味するのか理解していませんでした。でも作業所というところは学びたいことを先生から無料で学べて、昼食も手作りで美味しく、疲れたらソファや別室の布団で静養でき、困ったことがあれば相談にも乗ってもらえます。娯楽行事もたくさんあり、お金はそれほどもらえなくてもマイナスにはならないし、色々な人が居て、楽しく仕事ができ「作業所」は素晴らしい場所だと思いました。

作業所のメリットをたくさん知ることが出来た反面、40代半ばまで作業所の存在を知らなかったことをとても残念に思いました。

しばらくして体調を崩してしまい作業所へ通うことができなくなり鹿児島市へ転居しました。しかしその初めての作業所は30年以上の歴史があり、長年、利用者家族の声を聞き改善されてきた上で、このような素晴らしい作業所へなり、全国各地の作業所の中でもサービスが充実している作業所だったということも後に知りました。

鹿児島市の福祉が充実していると感じる理由

私が鹿児島市へ来て、最初に行ったクリニックでは、処方の内容を見て診察を拒否され入院ができる他の病院を紹介されました。

その紹介先の病院の先生が薬を少しずつ減らしてくださり、私自身も少しずつ安定する日が増えてきて、今は生活支援センターのサポートも受けながら、病院の音楽療法、センターのヨガや音楽活動に参加したり、B型の作業所を利用しながら体調や生活の相談にも乗っていただいてます。

自分の日々のことを共有し、困ったときに相談する場所があるというだけでもとても安心します。

また、保健所で職員の方から「ヘルパーさんも利用してみては?」と直接声をかけていただき、利用の許可や手配を支援センターを通してお願いして利用することになりましたが、保健所のお仕事を増やすようなことを、自ら声をかけてくれたので親切でびっくりしました。

いまは支援センターを通して、作業所のお仕事を在宅で行う許可を保健所から取って続けています。コロナ禍で全国の作業所の作業も多少変化しているかもしれませんが、私はコロナ禍で在宅を経験し、解除後も許可を出していただいたことで作業を休まずに継続できていると体感しているのでとても助かっています。

作業内容にも地域差があることも

鹿児島市内では農業・製造関連の作業所が多く、中心地であればよりPC作業などの選択肢が増える印象です。もちろんその地域に多いお仕事の経験が、地域での自立に結びつきやすいと言えます。しかし、通所する人の個性に合った作業が選択できればより継続した利用と自信につながり、結果として体調も良い方向へ向かいやすいのではないかと思います。

東京と鹿児島では違う!?作業所へ通所する際の交通費

私が今通っている作業所への交通費は支給されていません。しかし、障害者認定を受けていれば市電やバスが無料で利用できるというところは大きなメリットです。また、自宅から作業所までの送迎サービスがある作業所も多いです。

東京では都営の電車やバスは無料パスを作ることができましたが、自分の生活圏には都営の交通機関が無かったので、必要な交通費が出ないと困る状況だったから支給されたと納得しています。障害の内容や地域により通所のための交通費に関しては扱いに違いがあるようなので、きちんと確認する必要があります。

福祉サービスを必要とする人々が、平等に受けられるようになってほしい

現在、全国の福祉サービスを必要とする人がしっかり福祉サービスを利用できているのか、疑問に思っています。

クリニックや病院、保健所がどの程度積極的に行っているのかがわかりませんが、少なくとも私の場合、東京では自分から積極的に希望しないと詳しく知ることができなかったです。そうすると、それまで一般の生活をしてきた者が福祉の知識がほとんどない状態で病気になった際、社会復帰のきっかけを得られずに悪化していくケースも多いのではないでしょうか。

私は鹿児島市へ転居して良い医師に出会い、手厚い福祉サービスを受けるきっかけを得たので幸運だったと思っています。

もちろん鹿児島市内でも、まだまだ作業所の選択肢やさまざまな意味での地域差は否めないと思っています。どの地域の困っている人も平等に救われる仕組みが行き渡ってほしいです。

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