ざっくり
過敏なのか、神経の問題なのか。不安を誘発する聴覚の違和感
私は数年前から、聴覚に不思議な違和感を持っています。
一言で言うと、耳が過敏になり過ぎて、好きな音と嫌いな音を差別するようになってしまったのです。好きな音に囲まれていないと極度に不安な気持ちになり、嫌いな音が少しでもあると体調を崩すくらい辛い精神状態に陥るという状態になりました。
このことをかかりつけの精神科医の方に相談してみると、それは聴覚過敏ではない、とのことでした。聴覚過敏なら好きな音も聴けなくなるはずで、好きな音だけは聴けるということは何らかの神経症なのではないか、という説明を受けました。
知る限りの他人に尋ねてもこういった症状を訴える人が居ないので、多分この違和感を持つのは自分だけなのだろうとは思います。ですが、もしかしたら同じ悩みを抱えている方がいらっしゃるかもしれないと思い、今回はこういった聴覚過敏なのか、神経症なのか判然としない耳の違和感と、それに対する対処法について書かせて頂きます。
「好きな音」「嫌いな音」の差別化について
まず、私の「好きな音」を説明してみます。自分は趣味として音楽を愛好しているので、音楽が一番好きな音に分類されます。しかし、自分が興味の無い音楽、もしくは自分の好まない類の言葉やメロディーが入っている音楽は、正直なところ雑音にしか聴こえず、辛いです。
川の水が流れる音や、海が波立つ音、鈴虫の鳴き声、といった自然音も好きです。しかしそういった自然音は、日常生活ではなかなか聞くことが出来ません。私はパニック障害・広場恐怖症を患っているため、基本的に外出をしない生活をしています。よって、自然音とは縁遠い場所に四六時中居ることになります。
次に「嫌いな音」を説明します。外に出ると、ゴォーという音が通底音として鳴り響いているのを皆様も体感したことがあると思います。これは街の工場音、高層ビルの間を吹き抜ける風切り音、ビルが微振動を繰り返す音が元のようです。
私はこの音が苦手で、この通底音を聴いているととても不安な気持ちになります。どこから音が出ているのか全く判別できないし、音を消すことも出来ないというのがもどかしいのです。
車が通り過ぎる時のエンジン音も耳障りで苦手ですし、通りがかる人の話し声も、何を話しているのかが断片的に伝わってきて、そこに他人の思想や意思を感じ取れてしまうことが怖いです。
最近では掃除機の音、無目的についているテレビの音、公共の店内のBGMも苦手になりました。日常生活の中で、何らかの音を「雑音である」と感じてしまうと、もうその思い込みが取れなくなり、音自体を受け付けなくなってしまうのです。
音と精神の動き。その関係を考えてみる
ではなぜ、こういった思い込みが発生してしまうのでしょうか。私なりに時間をかけて考えてみました。
この思い込みというのは結局、持って生まれた性格の問題ではないかと思います。私はやはり、ある種の完璧主義者であると思います。自分の周りにある環境が完璧に快適なものでなければ安心できず、妥協点を見出すことが出来ない性格が聴覚における神経症を苛烈なものにしているのだと思います。少しでも雑音があるとイライラしてしまうのは、そこに雑音があるからではなく、雑音とうまく溶け合えない自分自身の心に怒りを感じている、ということも自覚しています。
生きるということは、様々な人の考えや世の中の変動を受け入れ、自分のエネルギーに変えていく、ということだと私は思っています。しかし現状、私はそれが出来ていないのです。いつでも自分の好きな音で周りを固めて、それが少しでも崩れるとパニックに陥ってしまう。私が抱えているのは、神経症が誘発した悪循環であるということに気付きました。
とはいえ、自分の生まれ持った性格は一夜にして変わるものではありません。いくら意識を変化させようとしても苦手なものは苦手なのですから、私は結局、物理的な方法でなるべく負担を減らす方向にシフトすることにしました。
苦手な音と精神の働きの間で、負担を減らす方法を考える
ここからは、私が苦手な音と折り合いをつけるために行った方法の中で、有効だったものを書いていきます。
一番有効だったのは、ノイズキャンセリングイヤホンと呼ばれる商品を使用する、ということです。私はJBL社のCLUB PRO+という機種を使用しています。値段はおよそ2万円。高額な買い物ではありましたが、結果的に非常に助かっています。
手持ちのスマートフォン、ネット上の使い方をガイドする様々なサイトの指示に従ってノイズキャンセリングの機能を使うと、街のゴォーという通底音から車のエンジン音、人の話し声、全ての音量が(完全に消えることは正直無いですが)一気に減少します。ただ耳にはめているだけでも街の音が耳に迫って来ない。あると無いとでは全く違うのです。耳に圧迫感を感じるという使用者の声もたまに見かけますが、私は外の音の強い不快感を消すためには多少の圧迫感があろうと仕方が無く、むしろ外の音が消えるならプラスでしかない、と思うので、全く気になっていません。
またCLUB PRO+には、周りの半径何メートルかの音だけを耳に入れてくれるアンビエントアウェア機能も付いています。専用のアプリをスマートフォンに入れて、ボタンひとつで周りの音を必要な時だけ付けたり消したり、ということが出来るのです。これも非常に重宝している機能です。
逆に一般的な店頭で売られている耳栓は、全く有効ではありません。それこそ耳に対する圧迫感が強く、あまり音も塞いでくれません。高いお金を出してでもノイズキャンセリングイヤホンを買ったのは正解だと思いました。アナログな方法より、最新の機械によるコントロールの方がこういう時は強力です。
有効というより、大事なこともあります。それは日常的に関わる周りの人に、自分の疾患を理解してもらうことです。
自分だけが個人的に抱える不快感は言葉を使って理解して頂くしかないので、文面で伝えるにはある程度の文章力が、口頭で伝えるにしても表現する能力がないとなかなか厳しいのですが、私は何とか持てる力を全て使って毎回説明しています。それでも私の実感が伝わらないことの方が多いのが現状ではあります。人と自分の間の境界線の深さに感じ入る瞬間です。
周りの文章が上手い人、口頭で説明するのが上手い人に手伝ってもらって、他人に説明する過程で何度も使い回せるテンプレート的な文章・言葉を作り、スマートフォンのメモなどに保存しておくことも良いでしょうし、自分で時間をかけて納得できるような文面・言葉を作り、メモしておくことも有効でしょう。いずれにせよ、答えに近付いていくには日頃から思考をメモすることは重要だと思われます。
大事なのは、他人へどう自分の思いや状況を伝達するかです。自分はこんなに辛い!こんなに苦しんでいる!という悲痛な言い方では他人に気を遣わせ過ぎてしまうでしょうし、実感のある言い回しというのはなかなか難しいものです。しかし、希望を捨てなければ理解者は必ず訪れるでしょう。日頃からメモを積み重ねて、言葉を上手に使う練習をしていくのが大事である、と思いますし、自分にもそれを常日頃言い聞かせています。
精神的な疾患。焦らずにいれば、行動や言葉で治癒できる
簡単に要項をまとめてみると、神経症的な聴覚過敏に陥った場合には、
・速やかにノイズキャンセリングイヤホンを購入・使用すること
・周りにどう説明していくべきかということを、スマートフォンのメモ等を使って文章化すること
この2つが非常に重要であるというのが私の実感です。
精神的な疾患というものは、いつ、どんな人が陥ってもおかしくないものです。しかし、それにかかったからといって状況を嘆いたり、もう何もかも終わりだ!と考える必要はありません。打開策を考えて、自分が幸せに生きられるように自分の思考や環境をシフトしていけば、問題は意外と簡単に解決していきますし、解決とまでは行かなくとも、改善は確実にされるでしょう。
とにかく焦らないこと、適切な手段を重ねること、そして勇気を持って言葉を使っていくこと。それさえ心がけておけば、どんな風に精神が崩れても、緩やかに体勢を取り戻せるのではないでしょうか。
「人間って、#聴力 でいろんなバランスを取れているんだって、痛感しましたね」
耳の大切さも、#ライブ の尊さも知る #佐藤千亜妃 さんが#子ども向け エンタメ鑑賞用 #イヤーマフ に感じる
可能性とは🍀#Wican のイヤーマフ特設サイト内で
インタビューを公開中!— umusicjapan (@umusicjapan) September 16, 2021
最新情報を購読しよう!
就労継続支援・就労移行支援事業者様へ
HIFUMIYO TIMESでは毎月フリーペーパー版を発行しており、各エリア版の加盟店を募集中です。福祉事業者に最適なブランディングと広報力をご提供します。詳しくはお問い合わせください。