ざっくり
ジャズは人の精神を確実に癒す!眠れない夜、私は「GLASHAUS」に救われた。
私は、10代後半から20代初めの辺りは入眠時は音楽を聴かなければ眠れませんでした。そんな時に自分がそれまで愛好してきたロックやパンクのレコードはあまりそぐわず、ジャズのレコードに手を伸ばすことが多くなりました。
ジャズのレコードは私を快く眠りに誘いました。ピアノやウッドベースなど、ジャズに使われる優しい音色には、人の精神を癒す効能があることを身を以て実感する機会でした。それ以降、私はジャズをずっと聴いています。
睡眠がうまくいかなかった当時、よく聴いていたのはチェット・ベイカー、パット・メセニーなど海外のジャズミュージシャンの作品でした。
日本人のジャズアルバムも探しはすれど、眠る時にはほぼ聴いていませんでした。遠くの国のミュージシャンの音の方が、日本という国で、日本ならではの条件下で生きているという現実感から逃避させてくれたのです。
そんな中、日本人のジャズミュージシャンの作品に心地良く入眠できる作品を発見しました。それが、伊藤ゴロー氏の「GLASHAUS」というアルバムです。今回は「GLASHAUS」について詳しく考察し、記事を執筆していこうと思います。
「伊藤ゴロー」とはどのような人?「GLASHAUS」の作品背景は?
まずは伊藤ゴロー氏がどのような人物であるかを見ていきたいと思います。
伊藤ゴロー氏(本名、伊藤尚規)は、日本のギタリストです。幼少からクラシック音楽に親しみ、中学時代からはロックやボサノバと出会い、1998年から布施尚美とのボサノバ・デュオnaomi & goroとして活動を開始。ジョアン・ジルベルト、ビートルズからの影響を強く受けていながらも全く独自のハーモニーをギターで生み出し、以降、坂本龍一氏をはじめ、海外のミュージシャンたちからも評価を確実なものとしてきました。
今回取り上げる「GLASHAUS」は2012年に発表されたアルバム。ジャキス・モレレンバウム(チェロ)、アンドレ・メマーリ(ピアノ)、マルコス・ニムヒリター(ピアノ)、ジョルジ・エルデール(ベース)といった面子と共に、最大4人編成での演奏というスタンスで録音されました。そのうちの2曲では伊藤氏のみの演奏も聴くことができ、ストリングスの入ったテイクもボーナス・トラック的に付加されています。
「GLASHAUS」を一曲ずつ聴き込む!
ここからは、「GLASHAUS」に収められた10の楽曲を一つずつ聴き込み、考察していこうと思います。
1.Glashaus
アルバムはまず、ガットギターの音色から始まります。そこにピアノが乗り、ギターとピアノの対話が始まります。どちらも広い音域を行き来しながら空間を満たしていき、どちらかが前に出過ぎることも後ろに下がりすぎることもない、絶妙なバランスの掛け合いを行っています。
深めにかかっているリバーブも心地良いです。ここで広がっている音像に闘争的な雰囲気は見当たりません。音による理想郷の創成、というような感じです。
非常に複雑でありながら難解さを感じさせない、美しいコード進行が印象的です。そしてこの「複雑でありながら難解ではない、美しいコード進行」という概念は、このアルバムに通底する重要なポイントとなっていきます。
2.Five Steps
静かな3拍子の曲です。今度はピアノではなく、ウッドベースがガットギターと対話を行います。
この様子を聴くと、このアルバムにはどうやらドラムが無い、ということに皆様もお気付きになるかと思われますが、ドラムが無いことで不思議な浮遊感が表出していることもお分かり頂けると思います。ドラムという楽器は音量がかなり大きめ、なおかつ高音域が突出している楽器ですから、ひっそりとした雰囲気のインストゥルメンタルを展開するには不必要になったのだろうと推測します。
とにかく抑制の効いた静かな楽曲。ミステリアスな、霧が立ち込めるような空気さえ漂います。
3.November
かなり哀しい曲です。悲劇的と言ってもいいかもしれません。チェロが奏でる主旋律がたっぷりと憂いを帯びており、ガットギターはそれを引き立てる役目を担っています。
途中、ピアノがチェロと交代して主旋律を奏で合ったりと、緻密な掛け合いが行われています。ですが聴いている側には緻密さから来る窮屈な感覚は感じさせず、しなやかな空気感が保たれています。個人的に、このアルバムの中で最も好きな曲です。
4.Tone Revenge
深いリバーブがかったガットギターが、前曲の余韻ゆえか、透明な孤絶を感じさせます。この曲は最後までガットギターのみとなっておりますが、複雑なコード進行が展開されていて、まるで他の楽器も鳴っているような感覚を覚えます。
音楽はメロディーや音像によって、聴き手が普段感じることのない「切なさ」「憂愁」といった感情を呼び起こすという、非常に革新的な表現方法ですが、この「GLASHAUS」は全ての曲が「切なさ」と「憂愁」に満ちていて、ですが聴いていて悲しくなることはなく、その悲しいメロディーや音像を聴くことがとても贅沢な体験に思えてくるのが不思議です。
5.Obsession
再びウッドベースが入ってきました。メロディーの似通った感じから、前曲から続いている物語のような感じがします。このアルバムは音像がどの曲も完璧に統一されており、アルバム一枚通して一個の物語のような感覚があるのが非常にコンセプチュアルです。
ウッドベースが優雅かつストイックなソロを奏でる、そのサウンドの存在感に静かに圧倒されます。
6.Wings
ここではチェロが再び一際悲しいメロディーを奏で、人間的な起伏のある感情を広げていきます。「November」の姉妹編と言えるような楽曲で、ゆっくりとしたリズムがより深く悲しみと一握の希望を心に沁み込ませていきます。
余計な装飾を一切無くして、本当に美しいメロディーと和音の感覚、そして優しい音像だけにエモーションを込めて、聴き手に語りかける。この音楽はとても誠実です。実際に人間が語りかけてくるようなチェロの、抑揚のセンシティブさが印象的に輝いています。
7.Beaches
再びガットギターのみの楽曲です。少し晴れやかな感じのメロディーが採用されており、前曲の憂いある世界から太陽が垣間見えるような感覚が訪れます。2分と短い曲ですが、この曲があるとないとではアルバムの中身は全く違う。そんな刹那に宿る陽だまりのような曲です。
8.A Stamp
再生された瞬間に広がる格調高いピアノの響き、そこから導き出されるチェロの悲しみに溢れた旋律から始まるこの曲で、アルバムはゆったりと最上のピークを迎えます。
伊藤ゴロー氏のアルバムではありますが、ガットギターは他の楽器の引き立て役に徹している場面も多く、伊藤氏自らのテクニックの披露ではなく、純粋芸術としてのアルバム製作に重点が置かれていることが感じられます。
贅沢に聴き手の耳を包み込む、どこまでもひっそりとしたブルーな音の世界が、言葉を超越した強い力で涙を誘います。これがまさに音楽の醍醐味、と言えるような曲です。
9.Glashaus-with strings-
オープニングを飾る「Glashaus」にストリングスを加えた曲です。溢れるようなストリングスが響き、より表情豊かになったこちらのバージョンも、1曲目の静かなバージョンも、どちらも素晴らしく思えます。
10.Wings-with pianoGLASHAUS
「Wings」のチェロをピアノと置き換えた曲です。これはもうほとんど別テイクで、全く違う感覚で聴けます。
キース・ジャレットやビル・エヴァンスの諸作のような、いわゆるジャズ的な空気感が付加されて、この曲に備わっている別の側面を提示しています。
「GLASHAUS」という、世界を解きほぐす最上の一作。
一曲ずつ掘り下げて「GLASHAUS」を聴いてきました。やはりアルバムのピークポイントは「November」「Wings」「A Stamp」といった楽曲でしょうか。しかし、このアルバムはピークポイントだけを押さえて聴いてもあまり意味はないと思われます。全曲が一曲のような作曲と楽曲の配置によって「GLASHAUS」は成り立っているのですから、この全ての楽曲を一周して聴くことが、このアルバムを理解する鍵になるのではないかと思われます。
また、色々なシチュエーションでこのアルバムを聴いてみると、よりその音楽を楽しめるのではないかと思います。読書の時のBGMにも最適でしょうし、部屋から抜け出して、夜の街を歩きながらイヤホン、もしくはヘッドホンで聴くのも合っている気がします。前述したような、ストレスを抱える夜の入眠時にもお勧めです。
周りの空気を無理矢理に捻じ曲げ、変動させてしまうのではなく、周りの空気に溶け込んで、緩やかに世界を解きほぐしていくような音楽であることが「GLASHAUS」というアルバムの革命的な部分ではないかと思います。是非、この「GLASHAUS」を聴いてみて下さい。このアルバムでは、音楽による静かな平和が実現されています。
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