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隠れた名作を聴き込む!シガー・ロス「Hvarf / Heim」編。

埋もれていく名作に光を当てたい!

音楽というものを詳しく聴き進めていくと、アーティストによって多種多様な創作ペースがあることが分かります。一年に一作は必ずアルバムとして作品を発表するアーティストもいれば、十年に一枚くらい、まるで彗星が地球に姿を現すようなペースで作品を発表するアーティストもいます。
一年ごとに動きを見せ続けているような多作志向のアーティストによくあるのが、メディアやリスナーから見たいわゆる「代表曲」「代表作」の中に、その合間に出されている優れた作品が埋もれてしまうということです。

作品数が多くなるにつれ、それらは頻繁に聴かれるものと聴かれないものに二分されていきます。今はサブスクリプション・サービスで音楽を聴くと「トップソング」や「必聴アルバム」といった作品の区分けがアーティストごとになされており(これは私が利用しているApple Music上でのケースです。他のサービスはまた違います)、そこに選出されなかったものはアーティストの歴史的な地層の中に埋もれていきます。

ですが、そんな埋もれてしまったアルバムにこそ、他のアルバムにない輝きや特徴的な個性があることもまた多いです。今回はそういった作品の例として、シガー・ロスというアイスランドのバンドの(私のパーソナルな目線において)隠れた名作である「Hvarf / Heim」を題材に話を進めていきます。

シガー・ロスってどんなバンド?

今や「バンド」という活動形態自体があまり目立たなくなっている中、シガー・ロスは1994年から世界各国で活動を存続させている貴重なバンドです。現在はボーカリストであるヨンシー・ビルギッソンとベーシストであるゲオルグ・ホルムの二名のみがメンバーですが、過去にはドラマー等のメンバーも在籍していました。

シガー・ロスの音楽的な特徴としては、コンサートホールの部屋鳴りをさらに巨大化したようなリバーブの深いエレクトリック・ギターの音色と、高い音階の美的な歌声、ロックバンド的な形態から解き放たれていくかのようなオーケストラやピアノの大々的な取り入れ、といったものが挙げられます。

これらの特徴が混ざり合い、シガー・ロスの音楽は非常に壮大でダイナミックなものとなっています。スマートフォンのスピーカーでなく、イヤホン、もしくはヘッドホン、ある程度上質なスピーカーで聴くと、そのサウンドの粒立つような立体感が皆様にも分かると思われます。

いよいよ本題、「Hvarf / Heim」について。

シガー・ロスの代表作というと、挙げられるのは常に「Ágætis byrjun」や「()」といった作品です。これらはシガー・ロスを聴く上では絶対に欠かすことの出来ない名作です。

「Ágætis byrjun」の衝動的なロック・サウンドとオーケストラ等のサウンドを融合させた美しくも熱っぽいサウンドは素晴らしいものですし、「()」はホープランド語というシガー・ロス独自の造語で歌詞を全て書き上げ、音楽的にも様々な楽器・編曲を入り組ませて、より空間的・アート的な世界へと進んでいった意欲作です。

しかし、その陰に隠れてしまった名作がシガー・ロスにはあるのです。それが今回私が取り上げる「Hvarf / Heim」です。

このアルバムの概要を簡単に御説明します。エレクトリックなサウンドの「Hvarf」とアコースティックなサウンドの「Heim」の二作が一作となっているこのアルバムは、過去のアルバムに収められなかった未発表曲と、既に発表されている曲の再録音、ライブ録音によって構成されています。

動物的本能を音に具現化したかの如き「Hvarf」

まずは「Hvarf」の方から見ていきます。

こちらには「Salka」「Hljómalind」「Í Gær」「Von」「Hafsól」の5曲が収められています。「Salka」「Hljómalind」「Í Gær」は未発表曲ですが、完成度は異常に高いです。アルバムに収められなかったものですらここまで緻密かつ壮大に作られていることに、まず驚きを得ます。

特に「Salka」を再生した瞬間の極めて繊細なギター演奏。これは多くの人々がハッとさせられる音なのではないかと思います。言葉でなく、音で全てを語ってしまうシガー・ロスのエネルギーがこのイントロに全て凝縮されていると言っても、決して言い過ぎてはいないと思います。

「Von」「Hafsól」はシガー・ロスのファースト・アルバムである「Von」を録り直したものです。原曲と聴き比べると、シガー・ロスの根底にある美麗な音響を構築するセンスは変わらず、そのメロディがより鮮やかなものに進化していることが伺えます。私は、原曲よりこの「Hvarf」に入っているバージョンの方が好みです。

いずれの曲も、躍動感や壮大さの中にある種の冷静さが感じられます。計算ずくというのもまた違う、動物の本能的な部分をそのまま音楽に変えたようなシガー・ロスの音楽は、この5曲において限りなくその魅力を放っています。ここだけを繰り返し聴くことも豊かなリスニング体験をもたらしてくれるでしょう。ですが、次に紹介するアルバムのもう一つのサイドである「Heim」には、それ以上の感動が待っています。

さらなる新たな視点からの感動をもたらす「Heim」

「Heim」は簡単に御説明すると、完全なアコースティック楽器による過去の楽曲の再録音となります。全てライブ録音ですが、オーディエンスの拍手等はおそらく編集でカットされており、純粋に音だけを聴き取ることが出来ます。

ピアノやオルガン、鉄琴からオーケストラのメロウな音色に至るまで、「Hvarf」で表現されていた動物的な感覚からは離れて、ここでは人間的な理性が生み出す優しさ、慈しみの感情がサウンドの力によって抽出されているように思えます。

アルバムは「Samskeyti」から始まります。声の無いインストですが、同じフレーズが繰り返されながら徐々に広がっていくこの感覚にまずは引き込まれます。

「Starálfur」では潤沢なオーケストラの弦の音が、リスナーにある種の切なさを呼び起こします。

アルバム「()」に収録されていたこのバンド屈指の名曲「Vaka」はオルガンと鉄琴主体の静かなアレンジに変容しています。このアルバムのタイトルである「Heim」は「Home」、つまり家、という意味ですが、まさに小さな家の中でひっそりと鳴らされているようなサウンドです。そこにヨンシーの美声が乗り、理屈を超え、本当の意味で癒しを与えてくれるような音の世界となっています。

次なる「Ágætis byrjun」においてもそれは同様で、アコースティックギターやピアノの落ち着いた音色はただただ優しく、ヨンシーもこのバンドのエレクトリックな場面とは違う柔らかい歌唱を行っており、そこに人間が持ち得る感情の幅広さ、豊かさを見出すことが出来るような音楽が完成しています。これを全て生演奏で表現しているわけで、シガー・ロスの面々が持つプレイヤーとしての技術にも感じ入ることが出来ます。

続く「Heysátan」において、シガー・ロスは遂に一定のビートからも解き放たれます。落ち着いた呼吸を体現し、こちらにもそれを取り戻させてくれるような音楽です。

最後は「Hvarf」にも収められていた「Von」が締め括ります。丸っこいドラムの音色に導かれるようにオーケストラと歌が溢れ出しては凪ぎ、ゆっくりと円を描くようにアルバム全体をまとめていきます。

こういったシガー・ロスのアコースティックな側面を集中して聴けるのは、この「Heim」というアルバムのみです。通常の壮大なシガー・ロスも素晴らしいですが、「Heim」で体現されている優しく柔らかいアコースティックなシガー・ロスこそ、聴き手の感情を煽ることなく解き放つそのアティチュードによって、音楽という表現形態が持つ本質的なエネルギーの発露を実現させているように思えてなりません。

個人的にはエレクトリックなロック・オーケストラ的シガー・ロスより、このアコースティックなシガー・ロスの方が好みです。こういった路線でもう一作ほど作ってもらえないものかと、私は密かに願っています。

つまり、「Hvarf / Heim」を一度は聴いて頂きたい!

ここまで詳しく「Hvarf / Heim」について述べましたが、皆様いかがでしょうか。まだシガー・ロスを聴いたことが無い方も多くいらっしゃると思います。

シガー・ロスが生み出している音楽は、過去の曲であろうと近年の曲であろうと、ノスタルジーや、創作におけるイメージが凝り固まっているような状態には一切振れることはありません。その音楽は真摯に「今」へと響いています。

不安症的な感情を大衆の中でも、政情の中でも全ての人が共有することが当たり前になっている現代において、シガー・ロスの提示する動物的本能・あるいは人間が持ち得る優しさや慈しみを抽出し、サウンドに具現化させていくような音楽は、限りなく説得力を増しています。

言葉だけではなく、声の質感も含めた「音」で全てを語る。それがシガー・ロスというアーティストなのです。心に滋養、エネルギー、優しさを取り戻したいと願うあなたに、「Hvarf / Heim」を是非お薦めします。各サブスクリプション・サービスに「Hvarf / Heim」を含めてシガー・ロスのアルバムは全て用意されているので、聴くのにそう時間はかからないでしょう。
この他のどこにも無い音を、一度は聴いて頂きたいのです。

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