fbpx
2024/4/10:フリーペーパーvol.97発刊!

超大型ジャンプ台から車椅子で空中一回転!パラリンピックを盛り上げるアーロン選手

車椅子で、メガランプと呼ばれる高さ15メートルのジャンプ台から飛び出し、空中で華麗に後方回転をやってのける。そんな不可能だとも言える大技を決める彼は、アーロン・ウィールズ・フォザリンハム選手、23歳だ。

マラカナ競技場で開幕したリオパラリンピックの開幕式にも登場。

開会式の冒頭では、「ウィールズ」(車輪)の愛称で有名な米国のアーロン・フォザリングハムさんが車椅子で登場。巨大なランプから車椅子ごと跳びあがり、背面宙返りをしながら大きな輪を潜り抜けた。

今、アメリカで注目を集めているパフォーマンス集団「ナイトロ・サーカス」に所属し、その中でも一番の人気者である彼は、実は脊椎に先天性の異常を抱え、生まれつき下半身を自由に動かすことができない。

アーロンは、ネバタ州に暮らすケイリーンとその夫・スティーブンの養子として育った。
実の親はアーロンを産んだ後、失踪している。しかし夫婦はもちろん、アーロンよりも先に夫婦が養子として引き取っていた2人の兄妹も彼を可愛がり、アーロンは実の親から捨てられたという悲しみを実感することなく幼少期を過ごすことが出来た。

そうでありながらも当然、困難はある。
成長と共に入退院を繰り返し、受けた手術の回数はなんと22回。
一介の教師だったスティーブンにとっては、手術費用を捻出するのも相当な苦労だったが、アーロンのために一家は質素な生活をすすんで受け入れた。

そんなアーロンに、人生の転機がやって来たのは8歳の時だ。

彼は生まれて初めて、ある場所にやってきた。 そこは…スケボーやマウンテンバイクなどを行なう公園、スケートパークだった。

 兄のブライアンがスケートボードを始めたため、父と共に見学に来たのだ。 すると…ブライアンが一緒に滑ろうとアーロンを誘った。 こうしてアーロンは、生まれて初めて ランプと呼ばれる急傾斜を滑ってみることになったのである。 だが…顔から思いっきり落ちてしまった。 そのあとも何度かトライしたが、結局その日は全くできなかったという。

しかし、アーロンは大興奮。その日の夜、母親にスケートパークでの出来事を語り、いつかはジャンプが出来るようになりたいと話した。
それに対して母親であるケイリーンは猛反対。これまでアーロンを他の兄妹と比べて、特別扱いをしてはいけないと心がけてはいたが、大怪我につながるとなれば話が違ったのだ。

それでもアーロンは諦めなかった。

翌日、アーロンはヘルメットを母親に見せた。 実は、この日の朝、近所のフリーマーケットで子供用のヘルメットを見つけたのだ。 アーロンは、心配していた母親を安心させるため、貯めていたお小遣いを全てはたいてヘルメットを買ったのだ。 ケイリーンは、絶対にヘルメットを被って滑ることを条件に、スケートをやることを認めてくれた。

それからアーロンの、猛練習の日々が始まる。
学校から帰ると、毎日のように練習に励んだ。中学生になると、地元の小さな大会にも出場。どんどんスケートにのめりこんでいった。
そして、自分の練習風景を撮影し、動画サイトに投稿するようになると、スケートパークで話しかけてくる人も現れ始めたのだ。
だが、同時に、スケートが上手くなればなるほど、現状に満足できなくなっていった。 車イスでスケートをしているのは、自分だけ。もちろん 公式な大会に出場できるわけでもなく、ただ地元の小さなスケートパークで滑り続けるしかなかったのだ。

ところが、またしても彼の人生に転機が訪れる。
アーロンが、18歳の時だった。

ちょうどこの頃、ナイトロ・サーカスのテレビ放送が開始され、瞬く間に アメリカ中のスケーターたちを夢中にさせていた。ナイトロ・サーカスの名物だったのが、メガランプと呼ばれる高さ15m、傾斜45度の超大型ジャンプ台。 これを使い、毎週、一流のプロライダーたちが、大技を競っていたのだ。 地元の小さなスケートパークしか知らないアーロンにとって、いつしか、あのメガランプを使ってジャンプすることが、何よりの夢となっていた。

 そんなある日のこと。 動画サイトでアーロンの存在を知り、連絡をしてきた人がいた。 その人こそ、アーロンの憧れていた夢舞台、ナイトロ・サーカスのプロデューサーだったのだ! 何と、トライアウトを受けてみないかというのだ!

そうして迎えたトライアウト当日、アーロンは憧れのメガランプを滑ることになった。
しかしそれは、アーロンにとって未知の世界。それでもとにかく、高く、遠くに飛ぶことを意識して挑んだ。

すると、誰もが予想していなかったことが起こる。

なんとアーロンは、空中で身体が1回転!見事なバックフリップを決めたのだ。

生まれて初めてのメガランプで、1回だけのジャンプ。そこで大技をやってのけた彼は、見事合格!夢にまで見たプロライダーになったのだ。

その後、正式にナイトロ・サーカスのメンバーになったアーロンは、信じられない技であっという間に観客を魅了した。 ほんの数ヶ月前まで、地元の小さな公園でしか滑ったことのなかった少年は、一躍、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンに名前が掲げられるほどのスーパースターになったのだ!!

アーロンは現在、パフォーマンスの他にも、ドイツ、中国などで講演を行い、多くの人たちにネバーギブアップの精神を伝えている。

障害者にとって、自分の歩む道を邪魔してくるのは他でもない「障害」だ。しかし、アーロンのように、障害と共生しながら成功を収める人も存在する。
誰だって、ミラクルは起こせるのだ。
そうして自分の歩もうとする道を阻む障害に尻込みせずに、何事もチャレンジ精神を抱き続けることが、重要なことであるのは間違いないだろう。

http://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/element/video=31510.html

http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/150129_2.html

via:NHK

via:フジテレビ

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7717

via:wedge infinity

最新情報を購読しよう!

就労継続支援・就労移行支援事業者様へ

HIFUMIYO TIMESでは毎月フリーペーパー版を発行しており、各エリア版の加盟店を募集中です。福祉事業者に最適なブランディングと広報力をご提供します。詳しくはお問い合わせください。