世の中は、様々な人間関係でできている。職場の同僚や先輩、後輩との付き合い。学生時代の親友、友人、先輩、後輩。地元の知り合い。ご近所さんとの付き合い、友達付き合いや親子と言った深いつながり。それこそ一つ一つに特有の人間関係ができるものである。
職場の先輩であったとしても兄弟のように優しく接してくれ可愛がってくれるかもしれないし、友達も友達をも超える親友になり得るのだ。かと言って全ての人間関係が上手くいくとは限らない。
部屋が散らかっているとき、心は「人間関係」「仕事」「恋愛」「過去」「将来」など、さまざまな問題で埋め尽くされています。
— morubo29mila (@morubo29mila) September 7, 2016
一人の人から見た一つの行動そのものは正しく映っても、もう一人の違う人から見た同じものが正しく映るとは限らないからだ。だから、全ての人と上手くやっていこうと言う事は難しい事であるように思える。
その中でもできる事があると思えるのが、程度による妥協だ。
しかしながら、その妥協は果たして良いものなのだろうかと疑問に思ってしまう。我を張り通す事が良い事とは言えないが、妥協ばかりしていても自分がなく難しいとこである。
私が思うに、人間関係・信頼関係ができるのは、相手を許し受け入れる事からがスタートするのではないのだろうか。そう、親が子供の失敗やいたずらを許し何度も見守るように、友人やご近所さんのことも許容しながら付き合いをする事こそが人間関係なのではと。
【私たちは一人で生きていくことはできません。生まれて最初に出会う家族。そして友人、恋人、仕事関係のつきあい…。さまざまな出会いがあり、そこに『人間関係』が生じます。一緒にいるだけで幸せを感じる関係もあれば頭を悩ますような関係も…。けれど、どんな出会いも必然です。すべて意味がある】
— sumiko (@pontaitosumiko) August 18, 2016
そして、そこにある程度の関係性が保たれ付き合いが出来、繋がりができあがってくるのではないのかと、そこにいつか信頼関係が生まれ綺麗な結びつきができるのではないかと思う。
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