人は、一人では生きていくことが出来ない。

そもそも、一人では社会のコミュニティに属しているとは言えないのだ。

社会に触れ、誰かと誰かが繋がって、助け合うことで初めて生きていくことが出来る。

 

当然のことだと思われるかもしれないが、これは重要な考えだと私は思う。

 

障害者は、孤立しやすい。

何故なら障害者には、コミュニティに属するための、大きな2つの関門があるからだ。

 

第一に、他人との出会いがほとんどない。

そうして、健常者と知り合いになることは特に難しいのだ。

私たち障害者には、外出をあまりすることが出来ない人だっているし、

仮に外出をすることが出来ても、参加するコミュニティは大体決まっている。

それは、同じ「障害者」の集まりだ。

 

こういった現象が起こるのはどうしてなのか?

それは第二の関門で説明しよう。

 

第二の関門は、他人から理解を得ることが難しいということだ。

世の中にある様々な障害。

それらに対する認知度は社会的にとても低い。

これでは、私たちは自分の病名から症状、そして配慮して貰いたいこと……。

説明することが多すぎる。

更には、説明したことに対して、相手側からこちらにとってプラスになる反応が返ってくるとも限らない。

そうなってくると、私たちは理解し合える可能性の高い、障害者同士のコミュニティに参加をするのだ。

 

しかし、これではある一つの問題が起こってくる。

結局障害者は、「社会のコミュニティ」に参加することが出来ていないということだ。

 

資料として、このようなウェブサイトを見つけた。

日本の障害の重い人の現実(きょうされん地域生活実態調査最終報告)www.dinf.ne.jp

障害のある子どもを親が手にかける、一家そろって心中を図る。21世紀となって10年経った今でもこうした悲惨な報道は後を絶ちません。その背景を一言で言えばこうなります。「障害のある人の極めて貧しい収入、家族に依存した介護による毎日は、ギリギリの生活になっている」。言いかえれば、親など家族が居なくなってしまえば、途端に生活を維持できなくなる「生活保護予備軍」「社会的入院・入所予備軍」ということです。

これが、障害の重い人の現実だ。

 

これには、障害者で結婚をしている人が全体の4%という衝撃的な事実が書かれている。

また、誰と一緒に暮らしているかという項目では、

親との同居が一番多く、6割。

その次はグループホームとなっていた。

 

障害者同士の繋がりはもちろん大切だ。

しかし、それは社会にある「障害者のコミュニティ」という小さなもの。

私たちが必要としているのはそれだけではなくて、

障害を持たない「健常者」からの支えなのだ。

 

人は、一人では生きていくことが出来ない。

もちろんそれはそうなのだが、私たち障害を持つ人は少しでも多くの助けを求めている。

私たちの病気という「分からなさ」をそのまま遠ざけずに、どうか歩み寄ってほしい。